願望成就 金色の文字で想起せよ
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「願望成就」
その2
アセンション、つまり神に近づくにあたり、
「願望成就」もしておきましょう。
神事です。
宗教家の中には(といいますか、大抵の宗教家のかたは)、個人の願望など持っちゃいけない系の話をなさいますが、
その人にとっては、願望が執着の対象なのだと思います。
神は執着しません。
神は常に望み、その望みを全てかなえます。
ゆえに神は「自由自在」と呼ばれます。自由自在こそ、神の本質です。
「自由自在」を、あまりカンタンに考えると、ちょっと誤解を生みそうです。自由自在は神我一体の境地で、そうやすやすとは到達できないと思いますが、それでも近づこうとするのを神事というわけです。
つまり、神事としての「願望成就」は、「望み」かつ、「その望みに執着しない」ことです。
多くの宗教は、望むこと自体を否定しますし、たとえ望んでも、何かイイワケをしたくなります。
オカネがほしい、と望むすると、それに言い訳をつけます。(どこかに寄付したいから、とか、何か慈善事業がしたいからとか)
それは自由自在とは言いません。何かエクスキューズをつけなければ、望んではいけないという制約をつければ、それは神の御心とは言えないように思います。それは、とりもなおさず、望みが執着だと、認めていることになるからです。
つまり定義づけしますと、願望とは執着せずに望むことであり、
欲望とは自己の望みに執着すること。
一見似ていますが、正反対の結末を迎えます。
ではやってみましょう。
必要なのは、イメージング力です。
〇〇を〇〇したい。と思ったとしたら
イメージングにより、文字でそれを想起します。
文字の色は金色にしてください。
難しかったら白色にします。背景に色をつけたかったら、虹色のいずれかがいいでしょう。
「〇〇したい」という想起はしません。
「〇〇したい」という想起のまま自分に返ってきますので、「したい」状態が返ってくるということは、願望達成できないことになってしまいます。
「〇〇した」と、決定したものとして、想起します。
念力と違い、天に自分の未来を「刻印」します。
色を指定するのは、
色にはそれぞれ周波数があり、金色または白色は神の波動領域だからです。
神は何ものにも執着しないのですから
この色で想起するというのは、この波動領域で自分の未来を刻印することを意味します
「執着」という「低周波数」になりにくい色なのです
最初はうまくイメージングできないとしても当然ですので、気にせずに続けましょう
「私、「自分の名前」は、〇〇を〇〇した。」
(ここでできれば、いついつ、と具体的な年や、もしわかれば日にちも想起する。必須ではない)
最後に、「成就。ありがとうございます」でシメる。
あるいは単に幸せになりたい、とかであったら、すでにその状態だ、と想起します
「私、〇〇は、幸せです」
「私、〇〇は、いつでも幸運です」
「私、〇〇は、豊かです」
など。
いずれであっても、決定事項にしてしまいます。
そして、最後に「ありがとうございます」と感謝のことばでシメます。
望みが叶うことは感謝ですから、
感謝もすでに叶ったものとして、してしまうのです。
一度に全文でなくても、順々にでもいいのでイメージングします。
さらに発展形として
イメージング力がついてきたら、
その望み「〇〇」と「自分の名前」を、イメージングの中で重ねます。
これは、自分の状態から近い望みか、遠い望みかを知ることにも役立ちます。
キレイに想起できるのなら、その望みは日限どおりに叶うと思います。
ダっとカルマがでてきて(つまり雑念が邪魔して)、うまく「望み」と「自分」を接着できないのなら、もう少し頑張りましょう。
もちろん、肉体上の行動も大事です。この3次元世界は肉体と想念のコラボです。
しかし、想起すれば、自分の肉体上の尽力に、ターボがつく感じです。
金色の文字で望む望みが、誰か人を傷つけるようなものであってはいけません。
それは、傷つけることまで自分に返ってきてしまうからです。
たとえそれが正義だと思っても、誰かの権利を侵害する望みはしません。
望みは自分自身の望みにします。
他者についてこの想起はしません。「だれそれさんの病気が治りました」みたいな想起は、しません。
その人に失礼です。ズカズカと土足で踏み込むようなものです。その人にはその人の道筋があって、病気となる状態を自ら選択しているのかもしれません。
まとめです。
自分のことを望みます。
望みを「かなえた」、つまり、すでに「成就した」という状態を、金色または白色の文字で想起します。
色がイメージしにくい、とか イメージできてない と思うかもしれませんが、
実際はできています。これはマントラで光をいただいていても、見えない、感じない人がいるのと一緒です。
見えても見えなくてもできています。
雑念や黒い雲がでてくるような感じがしたら、それは、成就をはばむ「カルマ」が出てくるからで、洗剤で汚れが浮き上がってくるのと一緒です。気にしないでやりすごせば消えていきます。また出たら、またやりすごせばいいのです。
「私〇〇は、〇〇を〇〇しました!
成就! ありがとうございます」
繰り返します。
よく、ビジョンで、自分のなりたい状態をイメージングしましょうといわれますが、
それがうまくいかない場合など、文字の想起のほうがより鮮やかにできると思います。
※もしも、どうしても文字想起がうまくいかないのなら、頭の中で声に出して叫んでしまってください。
両方やってもいいです。
想起したら、気分をすっきりさせ、
叶うか叶わないかなどヤキモキせず、
執着しません。
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