スピリチュアルとテクノロジー

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2018年04月07日 11:34




   
    
    
      


 テクノロジーや物質的成功を批判するスピリチュアリストは少なくない。だがそれがアセンションを妨げる想念になってもいる。これを手放す事は、高次でスムーズなアセンションを成し遂げる、一つの大きなカギとなる。
    





光の皆様、いかがお過ごしでしょうか?



前の記事で、地球人類にとって、アセンションが、一部の人たちをのぞき、多くの人々にとって、かなりきわどい状況にあることを説明しました。何しろ、心あるスピリチュアリストの絶対数が、いく分(というか、かなり)足りていないのが現状ですから・・・。


それであっても、光の皆様の波動域は素晴らしいものがあります。これだけ順調に波動を上げているのですから、光の皆様のお一人おひとりの力がいかに強力であることか、と思っております。

また、当ブログでよく引きあいに出す、平和の祈りの会の方々も、うまずたゆまず祈りや印を行い、波動を上げています。






私はといいますと、この状況にあって、なぜ、タイムラインが、「きわどい」状況になければならないのかと、考えておりました。

・・・といいますか、私自身は、自分がきわどい状況にあるとは思ってないのですが・・。

私は、まだ霊覚も得ていないし、神我一体を成し遂げてもないのに、自分は「きわどい状況」とは思っていません。

これは、私がワンダラーであるため、波動状況と、これまでの魂の経験とを照らし合わせ、このままいけば、イケるだろう、という状況を感知しているためだろうと思っております。





しかし、前回の記事でも書きましたように、高次な霊能者である祈りの会の現会長、そして会の創始者であり霊覚者である五井尊師も、今の状況は薄氷を渡るようだ、と考えておられるようです。


人類が次元を上昇する際、今の波動状況と、上昇とのギャップがあまりに大きいと、上昇の衝撃も巨大になります。ですから、2012年を超えるあたりなど、本当に人類のほとんどが死滅するほどの壮絶なタイムラインを、かろうじて切り抜けた、という話は、このブログでもご紹介いたしました。


ですから、今もまだ、些細なことでそうした道筋、そうしたタイムラインに行ってしまう人が多いかも、と聞いても、驚くにはあたりませんよね。

もちろん、肉体の死とは、アセンションの終焉を意味するわけではありませんが、その逆に、肉体が死ねばアセンションできる、と決まっているわけでもありません。

肉体というのは、魂のスプリングボードですから、大半の人類の肉体が死滅する、というのは、アセンション組にとっても大打撃です。それだけでなく、物質地球さんにとっても、大変なダメージです。






しかし、おかしな事ですが、こんな風に危機感を持っているのが、祈りの会の現会長や、霊覚者の五井尊師、そして私のような者です。


どういう人間かと言いますと、自分は、そのような悲劇的なタイムラインを行くつもりはないし、また、行かないだろうと思っている地球人、でいながら、他の地球人の道すじを気にかけている、アセンションサポーターです。

もし行くしたら、それは、五井尊師や現会長などが、ご自分が導きたい人々のため以外にはないでしょう。それでも彼らはもちろん地球とともに次元上昇は遂げるはずです。(というか、すでにアセンションをしてしまってる方々なわけですが)





地球と共に次元上昇を遂げない人たち、どうなるかと申しますと、どうも、いろいろな情報を見るにつけ、何万年後かには必ず次元上昇できると決まってもいないようです。

じゃあ、何十万年先とか、何百万年先になら行けるのか、というと、これも決まっていないようで・・・。じゃあ何千万年先か・・・と、これも決まってないようでして・・。

なにしろ、常に、選択はその人自身の側にあります。将来的に、光の皆様のような方々がいなくなってしまうタイムラインですから・・・、互いのネガティブを共振・増幅しあって、どんどんネガティブスパイラルにはまって、いつ果てるともなく、ネガティブにはまり込んでしまう可能性もあり・・・、

そこから抜け出すのは、今、地球さんとともに次元上昇するより、さらに困難そうです。

だって、今の地球から上昇できないのに、もっと低い域に行ってしまったところから上昇するなんて、並大抵の苦労ではなさそうですものね。

ここはぜひ、一人でも多く、アセンション組になっていただきたいものだと、あらためて、思います。



私は、前回記事で書きましたように、中道路線は極力お勧めしない所存でおりますので・・・。

しかも、それが、中道路線を行く方にとっても、苦痛の少なくなることも確かなようなので・・・、

そんな、今は大変だけど、あとでめちゃ楽になる道──楽というだけでなく、マックス高次の道を目指す方々にとっても、それを最も可能にしやすい道──を、一人でも多くの方が行くには、どうしたらいいか、と、考えてきたわけです。




中道路線、とか、ザックリすぎるくらいザックリ言ってますが・・・・。もちろん、タイムラインですから、その選択は無数です。しかし、概ねの人々が、概ねとる、似通ったタイプの道すじというのはあります。

極端に高次であるか、極端にネガティブである道以外の、タイムラインです。

その、大多数が選択する似たり寄ったりのタイプの道筋が、苦痛や苦難に満ちた道すじになることも、考えられるわけです。今の、時点ではですね。








それにしても、光の皆様が、これだけ波動を上げていても、なお、こんな、ネガティブな波動に煩わされ続けるのか・・・

高次のアセンションツールを駆使していても、ですね。まだ何か、必要なツールがあるのか・・・と、つらつら考え続けていたのです。




そこで、至ったのは、この物質世界での、望みの成就や、成功を手にするということ、その真意をご理解いただこうということです。

ある程度の域にあるスピリチュアリストの方から、「はあ? なんでや」とツッコミが入りそうな結論ですが。

「物質世界から脱却するためのアセンションに、何で物質世界での成功が要るん?」とか「アホか。低次元」とかですね。

ですが、どこの入り口から思考回路に入っても、出てくる回答はこれです。説明が要るでしょうし、説明してまいるつもりです。





私は、これによって、多くの読者を獲得するとは考えておりません。

むしろ、読者を減らすかもしれないとも考えます。それだけ、誤解されやすいテーマです。

スルーして触れずにおこうかとも思ったのですが、現在のきわどい状況をかんがみ、やはり書くことにしました。







昨年も私は、エポックポイントの合間を縫って、財の神、富の神というテーマでつづっていました。

これは、物質次元におけるアセンションを、最も高次に成し遂げるための、ある種、最終回答と思っております。

今年は、財と富だけに絞って書くのではなく、もう少しカテゴリー広げてみるつもりですが、財と富、これが、最も端的で、象徴的と考えています。

財と富を得ること、それが、最終回答だと言っているのではありません。

本質的には、それはどちらでもいいのです。


問題は、財と富にまつわる、人々の想い、そのプロテクトです。

高次の世界しか知らないハイスピリット(ハイスピリットが、すべて低次元から出発して高次の神になっているわけではありません。多くはこの物質次元を体験していません)には、到底理解できないほどの、執拗なまでに強固なものです。

このプロテクトを外すことが、光の皆様にとって、想いの牢獄からの解放をもたらす、最も大きなカギと考えられるのです。





しかし、財と富に対する観念は、否定的にせよ肯定的にせよ、閉塞感に満ちているので、どのくらいの方が、本当にご理解いただけたかはわかりません。






昨年も、読者のネガティブを刺激しないか、波動が下がらないかと用心しながら書いていたのを思い出します。


私が常に警戒しているのは、財と富を望むことと、欲望や執着を結びつけている人、そういうネガティブな想念です。

ことわっておきますが、財と富を望まない人であっても、欲望や執着と結びつけている限り、ネガティブです。

光の皆様であればこそ、財と富を望む、ということを、欲望や執着からの解放とすることができるのです。





これが、多くの人に、なかなか、わかってもらえない点ですが・・・。

このテーマは、スピリチュアルでは、アンタッチャブルといっていいテーマで、仮に書かれるとしても、上述のように、批判の対象として書かれます。スピリチュアルとは相反するもの、という扱いです。

冒頭にも書きましたが、私はそれが、アセンションを阻む大変大きな原因の一つと考えているのです。




簡単に、ざっくり書いてしまうと、

真のスピリチュアリスト、光の皆様の、物質世界での成功が、アセンションを成功させる、という道すじを、私は説きたいと思っているのです。(光の皆様の、ですよ。闇の皆様ではなく)

と申しますのは──

どうも、心清らかな光の皆様は、自分のことより、世界の平和を、と思うあまり、物質世界での成功を軽んじる傾向があるように思います。

それはそれで素晴らしいことで、物質的な欲望や、欲望の対象への執着などは、ネガティブな想念であり、アセンションを阻害するものには違いありません。

でも、そういう方にこそ、物質世界での成功も少し考えに入れていただきたいのです。

つまりその、物質的な成功や、お金など、どうでもいいと思っている方に(もう、そういう方限定で、と言っていいくらいそういう方に)、物質的な成功を得てもらいたいのです。

というのも、

光の皆様のような、高度なスピリチュアリスト、高度な波動域にあるかたが、物質世界で成功するというのは、

この、三密度の物質世界、幻想の世界と呼ばれるこの世界に、光を流れ込ませることになるからです。

何しろ、当ブログはアセンションのためのブログですから、ここにきて、「ついでにご利益信仰もしておきましょうね」なんてつもりではないのです。


そもそも、弱肉強食思考の、低レベル波動の人たちが成功するのを、いいように許している世界が、アセンションのタイムラインであるはずもありません。

物質世界は、アセンションの過程に、まだ長くあります。その物質世界において、光の皆様が望みを叶え、成功することが、グローバルな意味での、アセンションに繋がるのです。

光の皆様の、物質世界における願望成就を、当ブログではアセンションメソッドととらえているのです。

なぜなら、それを、アセンションとして行うためには、想念の牢獄からの脱却、想いのプロテクト外し、欲望や執着を手放すことが、必要だからです。

つまり、そうした、ハイレベルな波動域における願望成就は、アセンションを遂げるためのけん引力であり、それを可能にできるのは、高次の光を享受する皆様だけです。物質思考の方の専売特許にされたままでは困るのです。

よく、高次のアセンションマスターやサポーターが、皆様に、物質世界でも幸福になってくれることを望むのは、よく働いてくれた皆様へのご褒美というより、世界の波動を上げるからなのです。

まさに、「波動上昇の質的変容」を成し遂げるために、避けて通れないテーマであると、個人的に考えているのです。



これは、アメリカなどでよくある、自己啓発とか、成功法則のためのセミナーみたいなセオリーとは、似て非なるものです。

世界の平和と、霊性の開発にまい進する、光の皆様であればこそのセオリーです。

一見すると、よく似て見えるかもしれませんが、波動域として完全に違う道すじを目指しております。前の記事や冒頭で触れた、この「きわどく、薄氷を渡るようなタイムライン」からの脱却を目指すため、光の皆様向けのセオリーであり、ぜひご理解いただきたいメソッドです。







そもそも、今、物質世界で成功している人々は、物質至上主義で、さっぱりアセンションに貢献していないどころか、足を引っ張ってる現状があるというのに、その人たちのようになれとでもいうのか──、


こうしたことを、ご説明してまいりたいと存じます。



繰り返しますと、波動上昇の質的変容を成功させる、という、当ブログ最大の目標を達成するためですので、そのつもりで書いてゆきます。

今年も少し長い説明になるかもしれません。しかし、今だ地球人類が完遂していない波動に至るため、私も心血を注いで書く所存です。

長くはなりますが、なにぶん、波動的なことを言葉に変換して書いております。

願望成就を、欲望や執着でなく、逆にそれを手放すためのセオリーとするのは、光の人であっても、波動的な切り分けが難しい分野であり、それで説明が細かくなるのです。

ですので、このテーマに関しては特に、ご面倒でも読み飛ばしはせず、よく咀嚼してお読みいただければと思います。







まず、スピリチュアリストによくある、物質世界に関する批判から見てまいりましょう。





スピリチュアリスト、あるいはモラリストと自認する方に、よく、テクノロジーの進歩や、金融経済を批判する方がいらっしゃいます。


テクノロジーの進歩が、自然を破壊し、人間の精神性をおとしめたとか、いった類の批判です。

また、経済、特に金融経済を批判し、額に汗して働くことが尊く、株などの投資でもうけるのは、怪しげで、人の道にはずれたことであるように批判します。


私はこうした考えには全く首肯しかねるのです。

と申しますか、批判したい気持ちはわかるのですが、対象を見誤っているのではないかと思うのです。




否定すべきは、テクノロジーではなく、テクノロジーの悪用であり、

経済ではなく、経済システムを利用した悪業です。

つまり、批判する対象に対して、誤解があると思うのです。


これが、単に見解の相違だけなら、ここで取り上げたりはしません。

この誤解が、アセンションへの道筋、タイムラインを、低下させる一因になっていると、思われるのです。

この点、今回のテーマのベースとなると思うので、ご説明してまいりましょう。







まず、テクノロジーや科学への批判ですが・・・、


実際のところは、テクノロジーが人の精神性を損なったことなどありません。そう思うなら、その人は、もともと精神性が低かったのが、現れてきただけです。

そもそも、テクノロジーや科学は、私たちの精神性を高めてくれています。

暮らしを維持するだけが精一杯の肉体の労苦から解放され、その分、頭脳を磨くことができるようになりました。そして頭脳活動、ひいては脳内の波動をより細やかに、より精妙にし、波動レベルを研ぎ澄ますことができるようになってきたのです。

精神性が高いとは、テクノロジーの恩恵に浴した生活環境の中にあっても、なお、自然物への感謝、美しさへの敬意や驚嘆の想いを忘れないということです。

と申しますか、

問題なのは、テクノロジーが進化していることではなく、遅れていることではないかと思われます。

現代の社会は、テクノロジー的に、特段、発達した惑星とも言えません。むしろ黎明期であり、これからテクノロジーが進歩するにつれ、自然との調和が可能になってくるでしょう。

そのほんの端緒にいるから、自然を破壊してしまうのです。つまり、科学が進歩しすぎたのではなく、科学の進歩が不十分であることが、精神性を損なっているのです。

精神性と、テクノロジーは、車の両輪の関係とも言えます。






また、経済、すなわち、お金をさげすむのも、スピリチュアル、道徳的と自認する方にしばしばみられる思考パターンです。



昨年私は、財の神、富の神について、というカテゴリーを設け、説明を試みていました。

その中で、経済というのは、物質世界にしかない、闇の波動が作り出した、奇妙な仕組みである、と書いた覚えがあります。暗黒波動とその傀儡は、その仕組みを通して、人々から搾取し、恐怖を植え付け、支配しているからです。

これについて、私は、少々訂正したいと思ってるのです。

確かに、経済という仕組みは、上位次元にはない仕組みです。でも、よくよく思いめぐらしますと、この仕組みができる前は、恐らく、暴力や武力において、強い者が、人々を恐怖で支配していたわけです。

つまり、暴力による略奪が、経済による搾取に置き換わったと言えます。

ですが、少なくとも、いつ殺されるかわからないという直接的な暴力への恐怖からは、ほぼほぼ解放されたわけですね。そして、少しずつ労働条件も改善されて、それなりの秩序が保てるようになったわけです。

その意味で、経済という仕組み自体は、この物質世界という、当面の状況では、必ずしも悪い仕組みではないと言えます。



それであっても、まだ、金融経済への批判はお持ちになる方がいるようです。特に、株などへの投資によるお金の得かたに関してです。

額に汗して働いて得たお金は尊く、投資で得たお金は、バブリーなお金というのです。


しかしこれは、社会への洞察を持ったうえで、スピリチュアル的に見直せば、ナンセンスな考えです。

もし、その人が、投資で得たお金がバブリーで、すぐにフイにしていまうような心もとないものだというのなら、それは、その人自身のお金に対する考え、それ自体が貧しいのです。

そもそも金融経済というのは、投資で成り立っているのですが、投資なくして、大規模な産業の発展はありえません。大規模な産業がなければ、大多数の人々が平均的に、それなりの生活を成り立たせるような現在の社会、中産階級とか、中流の生活などというものは生まれず、過酷な割に実りが少ない労働で生計を立てる生活が続いていたでしょう。


つまり、金融経済と、実体経済とは、これもまた、車の両輪のようなものです。

ついでにいえば、投資というのが働かずして金銭を得る事だ、というのなら、それも違うのです。今生だけに限って言っても、真の投資家の、経済への理解、その趨勢を見る眼、そして、市場の動向にいたずらに左右されない精神力、どれも並大抵のものではありません。それらが備わっているのは、もちろん前世も含め、それなりの経験を積み、見識を深めた人であればこそと思います。


では、そうした卓越した見識も能力もないのに、運よく株で大儲けしている人がいるが、それはどうなのか、という点も、前世まで含めて考えるなら納得できます。そういう人は、前世でろくな報いもなく、懸命に働いてきた人が多いのです。つまり、額に汗して働いた報酬を、今になって得ているわけで、タイムラグがあるという以外、働いて得たことに変わりありません。(いずれでもない、不法なやりかたで儲けている連中はどうなのか、という点は、後述します。)







ただ、批判する人たちを理解できなくもありません。


科学にしろ経済にしろ、正しく機能するのを阻んでいる、無理解で無法な人間が多いからです。




科学技術について言えば、その最たるものが、原子爆弾などの兵器ですよね。原子力発電所もそうです。こうしたものが問題になるのは、科学が進歩しすぎたからではなく、まだそれをコントロールするにはあまりにも幼稚な科学力しかないのに、原子レベルをいじり、扱うという、その無謀さです。

森林の伐採とかも、そうですね。開発と称しているから、ややこしいのです。科学的に考えれば、絶対にまずいですよね。

昨今、何かと話題になる、バイオテクノロジーもそうです。遺伝子の研究をするのはいいのですが、遺伝子の切り貼りやコントロールをするには、まだ、今の地球の科学は、十分に発達したとは言えません。まだ、ほとんどの一般人は、気づいていませんが、喧伝するのは成果だけで、リスクについては言わないし、言うも何も、わかっていないのです。にも関わらず、心配ないと言い切る科学者までいます。

これは、科学が進歩しているのではなく、逆に、非科学的なのです。科学的態度とは、コントロールできないとわかった時点で、それをやめることです。あるいは実用に移すのを控え、基礎研究を続けることです。中途半端な理解の上で行う技術の行使は無謀で、科学やテクノロジーの進歩がまだまだなのが原因です。


ここが誤解される原因です。つまり、そこまで考えない人から見ると、科学の進歩が元凶のように見えます。

ですがそれは、科学ではなく、科学のレイプなのです。






経済、特に金融経済も同様です。


投資の大切さについて書きましたが、金融経済を肥大化させている、金の亡者のような人たちがいて、彼らが金融市場を引っ掻き回し、めちゃくちゃな儲け方をする。それによって大富豪になり、それでも満足せず、さらに実体経済から搾取を続ける。これが、金融経済を、きたない世界のように見せています。

ゆきすぎたカネ目当ての行為は投資と呼びません。投資というのは、発展しそうな事業や技術に資金を投入することです。もちろん見返りを期してするんですが、本来、実体経済の発展をうながすのが投資です。逆に、見返りだけが目的で、実体経済の発展を損なう行き過ぎた資金の投入、市場を破壊するようなコントロールは、投資ではなく、投機と呼ばれます。詐欺に近い金融商品の販売や、融資もまた、金融市場を損なう、破壊的な行為です。


それは健全な金融経済ではなく、金融市場のレイプなのです。

金融経済と、実体経済は、ともにバランスよく発展すべきものであって、そうでないと、いつ、どんなことになるかわからない、あやういアンバランスが生じるのです。


しかし、そこまで考えない人から見ると、金融経済そのものが、いけないことのように見え、批判します。





科学をレイプしている人たちの起こした惨状を見て、科学を批判する。

金融経済をレイプしている人たちの引き起こした状況を嘆いて、金融経済を批判する。


これらは、犯罪者を批判する代わりに、被害者が悪いといってるようなもの
です。





これらの、科学や経済への誤解による批判を、まずは、あなたの心から消していただきたい、と思っています。

霊的世界に行くからといって、物質世界を、ただやみくもに否定するのではなく。

この物質世界は、闇だけでできているわけではありません。

この物質世界の仕組みも、良心的な人だけで運用すれば、それは、心地よい波動の世界であるということを、まずは踏まえましょう。

何も、その分野、その仕組みの、闇の部分に注目して、「きたない世界だ」と、わざわざ思う必要はないし、

そんな風に思っていると、余計に、その波動レベルに引っ張られるのです。



霊的世界に行くことは、原始的な世界に戻る事ではありません。


原始的な生活を送りながら、霊的には高次の魂の人もいますが、必ずしも、その道筋を通るべきとは決まっていません。

もしかしたら、そうした人が、驚くほど高度な文明社会から来た人かもしれませんしね。



真に高度な波動域の文明社会であれば、私たちよりもはるかに高い科学力を持っていますよね。

お金も必要としません。お金を必要としないのは、何でも、思ったものが、思いのままに手に入るからです。そこで必要となるのは、光のエネルギーです。それは、無限にあるので、高次元の人々には容易に手に入るというだけです。

それは、この物質世界に置き換えれば、いくらでも、無限に財源があるのと同じです。想いのままだから、執着する必要がないのです。






要するに、テクノロジーも、経済も、正しく光の道に乗って進化したものであれば、

それが物質レベルだとしても、カタチが違うだけで、物質レベルを脱却した世界と、ありようとしては、同じであると言えます。




私たちは、物質世界の、暗黒波動の傀儡、ネガティブ想念が蹂躙し、かき回した「科学」「テクノロジー」「経済」を見て、

科学やテクノロジー、経済そのものが、ネガティブであると、錯覚しているのです。

つまりは、暗黒波動域の作り出すネガティブな想念に、うまうまと幻惑されているのです。




これによって、暗黒波動の傀儡たちは、多くのスピリチュアリストやモラリストに、科学やテクノロジー、経済を軽蔑させ、嫌悪感を抱かせ、遠ざけることができています。

科学の進歩が、スピリチュアルと相反すると、多くのスピリチュアリストを錯覚させ、

お金を望むのは、悪いことであると、多くのスピリチュアリストに、錯覚させます。




ところが、一方で、そうしたスピリチュアリストの方々の多くが、高度に文明の発達した、高次の人類である宇宙人さんを慕い、いつか会える時を熱望しています。

彼らが、この地球でのアセンションを支援してくれていると、信じています。実際にも支援してくれているでしょう。

ですが、その宇宙人さんたちが、高度に発達した文明を持っていること、望みは思うままに叶うということを、なぜか、批判的には考えないのです。


私はその思考が不思議でなりません。

高次の魂である宇宙人さんが、私たちには及びもつかない科学力や、もはや財も富も必要としない、財と富に匹敵する無限の波動を有しているというのに、

自分たち地球人が、科学や経済の発展に背を向けることが、どうしてスピチュアルだと思うのでしょう。



本来、科学の発展は、高次な魂に昇華するためのものだし、

経済という仕組みから脱却するためにこそ、高度な経済社会への発展が必要だというのに、


良心的なスピリチュアリストが、それらを否定的に考えるがゆえに、それらが、暗黒波動の傀儡に、いいようにされているのではないでしょうか?

現に、この世界での科学の発展は、そうした暗黒波動の傀儡によって、うまうまとコントロールされ、多くの高度な技術や発明が、暗黒波動に都合のよいものに、すげ変えられることがありがちです。

経済もそうです。真のスピリチュアリストにこそ、経済的に豊かになってほしいのですが、暗黒波動に富が集中し、それが、社会を混迷へと陥らせています。


本来、スピリチュアリストが、背を向けるべきものは、科学ではなく、科学を悪用し、蹂躙する想念であり、

財と富ではなく、財と富に欲望を燃やし、あくことなく執着する想念です。



もしも、スピリチュアリストが、この世界を良くするために、戦わなければならない相手がいるとしたら、

それは、科学でもテクノロジーでも、経済でも、財でも富でもなく、それらに執着し悪用する、ネガティブな想念波動です。


むしろ科学やテクノロジー、経済といった、社会の主軸となるものが、

光の人々、真のスピリチュアリストの手中にあることこそが、望ましいし、望まれていることなのです。












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