豊かさとは、想像力
望みを叶えるためには、望むことができなければならない。想像は創造だ。
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光の皆様、いかがお過ごしでしょうか?
財の神、富の神のシリーズの続きです。
今回は想像力の話の予定ですが──、そのマクラとして、前回の記事で、「世界平和の祈り」の重要さについて書きました。この祈りは、このシリーズを理解、実践していただく上でも前提です。これを日々なさっておられる方を想定していますので、そのおつもりでお読みください。
この祈りは、五井尊師の編み出したものを指しますから、フルフレーズでその通り祈りましょう。最初の一行が最も重要ですが、それだけでは五井尊師が編み出した祈りとしては不十分です。
一昨日、この祈りを提唱している会の、一般参加ができる年一度のイベント(一般的な意味でのイベントです)があり参加したのですが、どういうわけか最初の一行しか祈らず、これでは五井尊師の「世界平和の祈り」とは言えません。全体の内容も、以前は画期的だったんですが、よくある平和活動NPOのイベントになってきているようで、少々残念でした。
非会員でスピリチュアルにも疎い身内を一緒に連れて行ったんですが、その身内ですら、祈りの時間が少ない、と言っていたくらいです。
この会は、次期会長が控えているんですが、その方が、前にも書きましたように、肉体レベルの頭はいい方なんでしょうが、霊性および波動レベルにおいては、いたって普通の方なので──いや、スピリチュアルじゃないわけじゃなく、スピリチュアルとか人道支援団体とかで割と普通に見かけるタイプな方と言いますか──なので、そのせいもあるんでしょうか。
いつの日か波動的・霊的にもふさわしい成長を遂げてくれるかと、ひそかに期待を抱いてるんですが、今のところそのご様子もないので、現会長が退いたら、本当に一般的なNPOと化すのかもしれません。(五井尊師が凄すぎるので、私の思い入れが過大なのかもですが・・・。)
もっとも、会自体、背後では上位神霊方がサポートしてくれていると思うので、行けば行っただけのことはあるようです。当ブログでも触れた「印」の紹介もありましたし、会場自体がパワースポットでもあり、行くだけでタイムラインが変わるので、私も身内を連れて行ったのです。
ともあれ、この会の今後の行く末がどうであろうとも、現時点でのこの会の指導は、五井尊師が主導しています。現会長が五井尊師のチャネラーでもありますから。したがって今時点ではトップクラスの、頼もしい指導をしてくれている会である事には、変わりありません。
しかしそんな会ですら指導が難しい領域があること、それが当シリーズが攻略しようとしているものだ、ということも、前の記事で触れました。
なぜ踏み込めないのか、なぜ、その部分の変革が難しいのか、という点についても、触れましたね。
これは、それを体現している高い領域の人が、おしなべて高潔な人々であることも、無関係ではないでしょう。
当シリーズでは、財と富に代表される物質的成功が、そのためのファクターとして重要と位置付けています。
なぜ、あえて財と富をキーファクターとするか・・。
高潔な魂にとって財や富は、本来なら必要のない、物質世界での一時的なよすがでしかありません。だから見過ごされています。それどころか不浄なものとして遠ざけられることもしばしばです。
もっとも、実際に財や富に、不浄な思いを抱く人々は多く、そのために信仰をする、いわゆるご利益信仰をしている人も多いので、無理もないのですが。
ただ、そのことが、人々の心の、物質と精神との間に極端な乖離を生じさせ──、
世界の次元上昇を妨げる要因となってしまっている事態が、もはや見過ごせない状況なのです。
すべての富豪が浅ましい欲望の奴隷というわけではありません。が、財や富に執着する人は暗黒波動の傀儡となり、ますます多くのものを求め、かき集め──今では頂点の数パーセントが、世界の富の大半を所有するという異常事態になっています。
浅ましい欲望の奴隷たちは、あまたの人々から搾取して、その富を肥やしています。このため人々は、生活を維持する金銭を得る事に、人生の時間の大半を費やさねばなりません。
世界平和を実現し、次元上昇の波に乗っていくためには、霊性開発と呼ばれる、自らの波動域を上げるための想念行動が不可欠ですが、それに必要な機会やエネルギーを、低俗なレベルに奪われてしまうわけです。
しかし、悪いことばかりではありません。
見方によっては、このジレンマさえ打ち砕ければ、それが即座に活路を開くことにつながるのです。
受け取る側がすべてを決める
高次な魂である宇宙人さん方が、お金を必要としないのは、何でも望み通りに手に入るからだ、と書いてまいりましたね。
つまり、それは、それが本来の、当り前の、「常態である」、ということです。
修行して、そういう域に到達するというのではなく、最初からそもそも、そうなのです。
この地球での経験がなくても、ですね。
ただ、経験が無駄というわけではないのです。
むしろ、経験が豊かになることによって、望むことのバリエーションや、キャパシティ、つまり、想像力が広がるからです。
つまり、想像力こそが、真の、豊かさのバロメーターです。
望むものが得られるかどうか、ではなく、
何を望むのか、が、その人の、魂の豊かさを表します。
これについて私が思うのは・・・、前の記事でも、少し触れた点です。
つまり、このところのスピリチュアルサイトにしばしば出てくる話・・・・「富の再配分」というものです。
これは、非常に考えさせられるポイントです。
宇宙人さんなどの、高位波動域の人たちの助けもあって、世界のすべての富が、現在のような一極集中ではなく、平等に配分される、という話ですね。
今、世界中で、貧困で苦しんでる人が、沢山いますから、素晴らしい話だと思えます。
しかし、仮にそれが実現したとしても、手放しで喜んでいいのか・・・という点について、前回触れたわけですが、
今回、もう少し踏み込んで考察してみましょう。
再配分が行われ、一様に富が与えられたしても、受け取る側の人は、さまざまで、一様ではないわけです。
ネガティブを多く抱え込んでいる人もいますし。
魂的に、幼く、想像力が乏しい人もいます。
仮に、沢山のお金をもらえたとしても、その後の人生は、一様にはなりません。
人は皆平等ですが、この、一人一人違う、という点でも、平等なのです。そして、どの人であっても、宇宙のシンプルな法則は平等です。
天から降ってくるように、ただあげても、その人が、ネガティブを沢山抱えているのなら、ほとんど意味のない事に使ってしまうか、ものすごく怠惰な生活をして、一生を終えるでしょう。その人は、物質的に貧しかったというより、魂が貧しいので、お金を与えても、波動が落ち込んでしまい、魂的には、さらに貧しくなる恐れがあります。
財、富というのは、物質世界における、「自由」を意味します。自由こそ、私たち、宇宙に生きとし生ける者が、最も必要とする、「魂の酸素」です。
ところが、それを与えられても、かえってネガティブな状態になってしまう──これは、その人の魂が、自由になった際に、可能となることがない──つまり、お金はあっても、何をしたらいいか思い浮かばないということです。
お金はあるわけですから、何でもできる状態ではある。でも、何も思い浮かばない。逆に言えば、思い浮かびさえすれば、実現は可能です。
魂が豊かな人、想像力が多様な人なら、文字通りの、貧しさからの脱却となるでしょう。もらえたお金は有効に使い、それによって、多くのことをなしとげ、貧しい時には出なかったアイデア、実現できなかったことを、次々に実現してゆくでしょう。
つまり、想像=創造です。想像力がある人にとっては、お金が無いことだけがハードルで、そこさえクリアできればオーケーです。
そうした人には、富の再配分はまさに福音でしょう。
ところが、そうでない人、想像力が無い人にとっては、財や富が、逆に、ネガティブを助長させてしまうものになりかねません。
つまり、人というのは、仮に、いったん平等にしても、何らかの啓蒙が無い限り、結局は、それぞれの魂のレベルで、それぞれの道筋に戻るだけなのです。
もしくは、魂が、貧しいという体験をすることを選んでいたなら、むやみに富を与えると、その体験によって得るはずだったものが、中途半端で終わってしまいますし・・・。
だったら断ればいい、と思うかもしれませんが、そんなことはまずないでしょう。魂の希求を、肉体が完全に認識していることは、よほどの人でない限り、ないでしょうし。
話が少しそれますが、私は昔、ユニセフのマンスリーサポートをやってましたが、プラン・インターナショナルに乗り換えています。
ユニセフには、災害時とか緊急支援ならするし、プランへの支援をおすすめしているわけではないですが・・・。
ただ、思うのは、飢饉など何かあるたびに、医療や食料などの同じ支援を繰り返していて、何年経っても、根本的に飢饉が無くなるための起業とかスキルアップのサポートとかしてなさそうなのが、不満だったのです。プランならいくらか工夫がありそうな気がしたので・・・。
(あ、別に、どこかに支援しろって話じゃないですよ。「世界平和の祈り」という、最大級の支援をしてるんですからね。)
干ばつで飢えるのは、干ばつだからじゃないのです。事実私たちは、干ばつでも飢えません。干ばつだからって、すぐに仕事がなくなったり破産したり、ってことにならないからですよね。少なくとも子供たちがバタバタ死んでく、ってことにならない。
支援してもらってる側も、啓蒙しない限り、何の進歩もないってことです。
子供を助けたかったら、問題は、子供より親です。彼らに知識やスキルを与えないと、干ばつのたびに飢える、ということが、未来永劫変わらないでしょう。
要するに、天から降ってくるようなお金も、そのお金が、魂の向上に役立たないなら、支援と呼べるか疑問だということです。
どのくらい私たちの魂の進化に役立つか、というのは、全く、その、受け取る側によるということです。
つまり──問題は、ひとえに、受け取る側です。
富の再配分のような、お金が降ってくる話にも、同じ事が言えます。
仮にあなたが、好きな仕事をするのに、例えば花屋さんになりたくて、元手が一千万あればできるとしましょう。
この時、ただで、何のリスクもなく、一千万円もらったとしたら、あなたは、それで花屋さんをはじめ、幸せになれる──でしょうか?
もちろん、なれるかもしれません。
でも、あなた自身が、ネガティブな想念、罪悪感や、恐れを手放していなければ、しがらみやストレスが色々押し寄せてきて、売上が伸びず、経営が立ち行かなくなり、夢が壊れてしまうかもしれません。
ところが、あなたに、元手が百万しかなかったとしても、あなたが、花屋さんをやるにあたり、罪悪感や恐れを完全に手放していれば、何とか頑張れて、商売繁盛するでしょう。
私は、花屋をやるのに一千万円など必要ないと言っているのではありません。あなたに何が必要かは、あなた次第だと言いたいのです。
運命を決定するのは、ひとえに、ご自身が、罪悪感や恐れなどの、ネガティブを手放しているか、いないか、ただそれだけであって、
他の要素は、実は何の関係もない、一つとして関係がない、ということです。
あなたの周囲の人や、めぐり合わせなど、いろいろな要素が、影響することはもちろんあります。それですら、あなた自身の、想念波動に影響しているのであって、実質的な影響はなく、
逆に言えば、周囲のネガティブに、あなたが影響されないだけの、ネガティブを手放した状態でさえあれば、悪影響を及ぼすことはありません。
こんな低い波動環境ですから、影響されるなというのが難しいかもしれません。しかし、とにかく、あなた次第、あなたの想念、あなたの魂の状態だけが、あなたの命運を決するのだ、という事実に、変わりはないのです。
想像とは、創造
これは、同じ額であっても、受け取る側によって、そのお金のレベルが変わる事も意味します。
人に波動レベルがあるように、お金にも、波動の差が生じます。それは、持つ人の想念によって左右されます。
想像力が豊かで、魂のキャパシティが大きい人に渡るお金ほど、豊かに輝きます。
たとえば、大富豪の話ですが、彼ら、一応、世間的には、「大物」です。
でも、自分ひとりにお金を集めていて、豪華な邸宅とか持ち物とか、とにかく自分、あとせいぜい自分の身内を豊かにすることしかしない人がいますよね。
こうした人は、一見、大金持ちですが、魂的には、大物とは言えません。
キャパシティが小さいのです。豊かであるのは悪いことじゃないですよ。ただ、キャパが小さいので、自分が豊かになることしか考えられないのです。
邸宅をいくつも持ったり、自家用機とか、数々の財宝とか、とにかく色々持つんですね。それでもいいんですよ。悪くはありません。この、邸宅を持つとか、中を豪奢に飾るとか、数々の財宝を持つとかいうのも、ある種の想像力です。
事業を展開するのもいいと思いますよ。権力をかさに、人を支配するっていうのは困りますけど。それが搾取じゃないなら、いいと思うのです。搾取って、要するに、ドロボーですからね。本人にも後でツケがきますが、今の世界情勢ですと、この、権力集中や搾取が、波動的にも大迷惑です。
ですが、迷惑かけないならいいと思います。
でも、想像力が豊かだと、他のことに使いたくなるんですね。
いい悪いじゃないですよ。ただ、そっちにも使う方が楽しくなるんです。
たとえば、事業をするのでも、弱肉強食の、利潤のみの追求はつまらなくなるでしょう。人が喜ぶこととか、環境とか未来とか、意識を向ける方向が変わってきたり・・・
あるいは、芸術活動をするとか・・・、
湯水のように金を使って、映画を作る人もいますね。
同じく、湯水のように金を使って、城を作った人もいます。
いくらお金がうなるほどあっても、想像力が乏しい人は、つまらない映画しか作れません。人々の心を、圧倒したり、揺さぶったりできません。
お城だって、築城主の想像力によって、何らつまらない、低俗なものしかできないことだってあります。
想像力があれば、お金は、完全に、その想像力を駆使する、自由へのチケットとなります。
駆使する想像力があるかどうかが、それを決定するわけです。
すぐれた芸術や建造物というのは、無意味なものではありません。それらが芸術であるためには、波動を研ぎ澄まし、さまざまなニュアンスを内包した、深みや奥行きのある波動を、その創造者が有していなければならないからです。
この、高次の波動特性を持った人の、波動の精妙さは、たとえば、近年話題のAIなど、全く太刀打ちできないものです。その魂は絶妙にして精妙な波動で揺らぎ、それは世界の波動を上位領域へと押し上げる力となるのです。想像力とは、魂の振動、揺らぎ、そのものなのです。
すぐれた創造物──美術品や建築、工芸品など──が、世界の宝であるとされるのは、全く理にかなったことです。それは世界の波動を高い波動域と共振させ、上位次元へと世界を引き上げる力を世界に与えます。文字通り「世界の宝」なのです。
ついでに言えば、低レベルな創造物、たとえば美術品などの贋作は波動を引き下げます。だから偽物が世間的にも無価値であるのもまた、理にかなっています。
もちろん、何か描いたり物を形作るだけが創造ではありません。演奏や演技などのパフォーマンスも創造です。
そうしたものには興味を抱かない魂であっても、魂のキャパが大きい人が財や富を得ると、まず大抵は、何かしら支援をするでしょう。
搾取をするのは小さい魂です。魂が大きい人、ワンネスへの回帰に近い人は、人に支援がしたくなります。
いい悪いじゃありません。そうしなければならないわけではなく、ただ、その方が楽しいからそうしたくなるのです。
この時も、その人の想像力が豊かであるかどうかで、支援も違ってきます。
人間洞察ができる人は、ただあげても、本当に相手の役に立つかどうかわからないのを知ってますから、支援する先も、支援の仕方も賢く、慎重です。むやみにお金をばらまくより、何かの目的があるとか、事業を助けたりといったかたちの支援をします。カーネギーみたいなタイプですね。
こうした、支援の仕方、それ自体も、その人の想像力で、違ってくるのです。支援も創造なのです。支援だけでなく、どんな行為であってもそうです。
ですから、それらの行為も、その人の波動の振幅や奥行きによって、現れ方はおのおの違うのです。その一つ一つが、個々の人々の、波動の個性からくる創造であり、より想像力のある行為は、より精妙で、世界の波動を引き上げます。
お金持ちである、富豪である、その人に富が集まっているということ、それ自体を、悪いことだと考える人がいますが、そうではありません。
その人に富が集中することが、想像をかきたて、豊かな創造につながる人がいます。芸術であれ、支援であれ、他の行為であれ──、豊かな創造は、精妙で深みのある波動状態から生じ、その創造は、人類の波動を引き上げます。
一方で、ただかきあつめ、自分だけ贅沢する人は、波動は単調で、精妙さに欠け、奥行きもなく浅薄です。そういう人に富が集まっても、あまり、人々の魂の向上には、役立ちそうにありません。
私が思うに、真のスピリチュアリストであるなら、魂がワンネスを希求していますから、自分が豊かになって、十分に満足できたら、次にするのは、人の支援です。まあ大体はそうです。
芸術家は、真の芸術家であれば、それ自体が世界の波動を引き上げますし、それには多大な波動の集中を必要としますから、世間的なボランティアには手が回らないかもしれませんが。
それとか、自分のハートと共振する支援をしたくなったりするでしょう。たとえば、芸術家だったら、同じ芸術家の支援をしたくなるとかです。
それらも含めて、キャパシティの大きさが、行動となって表れます。
自分が貧しいままで人の支援はしたくなる人は少ないと思います。また、そんな自己犠牲精神も必要ありません。
一見、かっこいいですけどね。でも、どことなくネガティブ想念の匂いがしないでもありませんし。
自己犠牲だって、犠牲ですからね。自分も神の子です。それを犠牲にする必要はありません。
人々の苦悩を一身に受けるのが何でもなく、むしろ楽しいならいいんですがね。極めて強靭な魂は、それを楽しみ、自己の経験、魂の肥やしにすることが可能です。
そうでないなら、魂を痛めるだけですから、ネガティブです。
その人の、波動レベルによりますから、無理する必要はありません。
前回まで、真のスピリチュアリストにこそ、財と富、物質的成功を得てほしいこと、その場合に限って、その実現が、世界の波動を上げる、スピリチュアルであると、強調してまいりました。欲望にかまけて、財と富を得ても、スピリチュアルとは真逆であると。
このこと──スピリチュアリストの、ネガティブの放逐によって財、富を得ること、望みの実現──もそうなのですが、
実現する望み、そのものの、想像の豊かさ、精妙さ、にも意味があるのです。
波動の高さ、波動の、ただ高い低いだけでない、その人なりの個性、そして、その振幅の大きさ、精妙さや奥行き──
そうした魂を有した人が、物質的にも豊かになり、望みを叶えることは、
世界の波動を、より精妙で、豊かなものへと押し上げるのです。
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