「思考の折り合い」といったもの ②
問題は科学者の人達よりむしろ、あなた自身の、科学者に対する、かいかぶりといっていい先入観にある。それを払拭しよう。
高貴なる光の皆様、いかがお過ごしでしょうか?
前回の続きです。
科学的なはずの科学者が、科学的と思えないことがあるという、この奇妙な現象は、他の分野にも見られる、というところまででしたね。
前回、記事を2回に分けると申しましたが、3回に分けることにします。
逆に読み達者な読者の方にとっては、むしろ物足りないかもしれません。ことに1回目が前フリだけで少々宙ぶらりんに感じる方もいそうなので、本日2回目をアップしておきます。
ご自分のペースでお読みくださいませ。1回目を読んでない方は、そちらからお読みくださいね。
今回例にとるのは、近年、大きく注目を浴びる分野である生物科学、中でも私が初めて違和感を覚えたのはDNA研究に関わる話です。
ところでスピリチュアリストの方の中には、こういう理系の話が苦手な方もいらっしゃるでしょう。記事を回数に分けてるのはそのためですが・・。
ただ、科学者の不思議を語るというテーマですから、一足飛びに結論だけ書いても意味がないというか・・・頭上の壁を破るという目的から、多少なりとも思考に負荷をかけるための、プラクティスにもなりませんし。というわけで今回もはじめましょう。
科学者の方々も人の子です
さて、DNAといえば、いきなり余談ですけれど・・・。
「ゲノム編集」がされた食品は、もしできるなら避けた方がいいと思います。遺伝子組み換え技術を飛躍的に向上させたもので、生物学界では熱狂的な注目を集め、ノーベル賞確実と目されています。
そのくせ一般にはこの言葉自体、聞きなれない方も多いのではと思います。なんでも遺伝子組み換えでは消費者の反応が芳しくなく、イメージが悪かったので、今回は注目されないようにしつつ、食品など各分野で実用を広めようとしているのだとか。
遺伝子組み換えには違いありません。むしろ技術の向上により、思うままに切り貼りできるようになるほど、かえって怖さを感じてしまいます。
・・しかしまた、そうしてみますと、研究者の人たちも人の子ですね。自分にとって誇らしいことは喧伝したいし、周知すると都合が悪いと思えばあまり言いたがらないのがうかがえますね。
余談ついでに、そう言えば、最近ニュースになったブラックホールの撮像も、個人的には似た印象を持ちました。
ブラックホールの撮影に成功!的な報道のされ方で、よく読んでみますと、光学的に直接撮影したわけではなく、ブラックホールの付近に特異的な電波やX線(ブラックホールシャドウと呼ぶらしい)のデータを世界各地の電波望遠鏡で地道に収集して、画像化したもののようです。
私個人はこれを読んでMRIを連想しました。人為的に特異的磁場環境を作って、脳内の水素原子の反応をデータ取得して画像化するもので、秀逸なアイデアと技術がすばらしく、開発に関わった人たちはノーベル賞に輝いています。
さらにそれを発展させたfMRIという解析技術も生まれています。特定の刺激に対して脳内のどの部分が発火するか、つまり活性化するかを捉える技術です。脳のパルスそのものを捉えられないため、それに伴うとされる血流をデータ化します。今回の場合もブラックホールそのものではなく、周辺に生じる電磁波に着目するというアイデアには相通じる印象を受けます。データを画像に起こすという点も同じです。
ところでこの取得データを画像化するという自体は電波望遠鏡の常識で、天文学分野ではもう光学撮影したものとさほど区別を感じてないのかもです。どこが違うの?くらいな感覚かもしれません。そのせいか今回も「直接撮影した」という表現になっていますね。でも正直、個人的には違和感の残る表現でした。
一般的に、光学的に直接撮影した映像と、データから画像化したものは同じには思えません。元データがリアルとはいえ、CG画像ではありますから・・。ましてや今回はブラックホールの影と称する電磁波のデータですし。
実際、ブラックホールを光学的に直接撮影したと受け取って熱狂した人もいたようです。
専門家の人達は、そんな勘違いも大した差ではないと思うのかもしれませんが・・・、仮に一般人のこの感覚を理解していたとしても、おそらくは、「いえいえ、直接撮ったんじゃないんですよ」なんて、そこを広めようとは思わないのではないかという気もします。
ブラックホール付近の電磁場環境に着目するアイデア、それを実現するための人智を尽くした努力が功績の実質ですけれど、そういう、一般に分かりづらいことを細々説明するより、人々を湧き立たせる目立って分かり易い部分を強調したいのが、人情というものなのかもしれません。
そういえば、同じ感覚を昔、DNA研究に関しても持ったことがあります。ゲノム解析というプロジェクトです。DNAの並びは一般に塩基配列と呼ばれますが、約三十億対あると言われるヒトの全塩基配列を調べるというものです。
今では、機械の進歩でこの作業は容易になりましたが、ほんの数十年前は一大プロジェクトでした。これを達成したときも、ついにゲノム解読!とマスコミが一斉に華々しく報道しました。
それ自体はよろこばしいことだけど、このときも違和感を抱かずにはいられませんでした。
普通、文字の並びがわかっただけで解読とは言いませんよね。ゲノムとは遺伝情報全体を指しますから、それを解読したと聞けば、当然意味がわかったと思ってしまいます。
別にマスコミが言い間違えたのではありません。科学者自ら解読と言っていました。よく記事を読めば、嘘ついてるというわけではないんですが、表現が紛らわしくて、一体何が分かったのか、大変分かりづらかったのを、今も覚えています。
今回の報道といい、針小棒大とは言いませんが、こういういささか正確性を欠く物言いが、慣習化しているのかもしれません。
科学者も人の子、生活もあるし、研究を続けるには資金も要るし、できれば功成り名遂げたいし望めるならノーベル賞だってほしい。一般のビジネスマンと同様、良い所や功績は強調したいし、さほどでないところはあまり言いたくない・・。
断定するつもりはないですが、そうでも考えないと、この種の、バイアスがかかって見える彼らの周知の仕方の説明がつかないのも事実です。
科学者というと客観的で理性的なイメージが強いですが、むしろ科学の研究が人生と直結している科学者だからこそ、フラットな立場にあるわけではないことは、われわれ一般人も意識に留めておいて良いのではと思います。
生体内という工場で働く小人たち?
では、そんな科学者の人達の心情を忖度してみたところで、今回の本題にまいりましょう。
DNAの並びは一般に塩基配列と呼ばれることは前述しましたが、その一部が遺伝情報をコードしていることが分かっています。遺伝情報のことを遺伝子と呼びます。
遺伝子は主として、タンパク質を作るためのコードです。体の組織を作る成分になったり、酵素になって化学反応の触媒として機能したりします。
タンパク質の元はアミノ酸です。塩基配列3つでアミノ酸1つをコードしています。どの並びがどんなアミノ酸を作るのかを、学者さんが調べて表を作りました。コドン表と言って、世界中で使われています。
遺伝子のコードに基づいてタンパク質ができる過程では、二種類のRNAが介在しています。mRNAがDNAの情報を核外に出し、tRNAとでアミノ酸を繋ぐことを繰り返して、タンパク質の元であるペプチドになっていきます。
・・・さて、ここまでの作業工程がわかったところで、ん? と思った方もいるかもしれません。私も思いました。
この一連の作業の元となるアミノ酸コードのデータベースは、どこにあるのか?
コドン表は、科学者の方々が長い時間をかけて調べて表にしたもので、細胞内にそんな表があるわけではありません。
「あるよ。tRNAが」と言われるのかもしれませんけれど。確かにそれぞれのアミノ酸コードと一意に対応するtRNAがあって、それが該当のアミノ酸をくっつけてリボソームという作業場に入り、mRNAと整合するものが順々にアミノ酸をつなげていくことで、DNAの情報が正確に組み立てられる仕組みになっています。
それぞれのtRNAにアミノ酸が正しくくっつくために酵素が働きますが、この酵素もアミノ酸それぞれに対応するものがあります。いずれも分子の立体的な構造が合致することで分子特異的に化学反応を起こすようになっています。これは膨大な化学物質があふれかえる体内で、適切な分子同士が認識し合い反応するためにしばしば見られる仕組みです。
しばしば見られるといえば、各反応を連携するために、シグナルが発せられて、それに呼応する形で連鎖反応が起きるというのも、分子間の情報交流では普遍的に見られる仕組みです。シグナルは化学変化を起こした分子それ自体が発するばかりではなく、反応を引き起こす全ての刺激をそう総称しています。
少々細かい説明になってしまってすみませんが・・・、これでもざっくりと言えばざっくりでして・・・、
もっと細かいこと、どんな風に化学反応を起こすのか、とか、どんな風にアミノ酸をつなげていくのかとかも、分かっています。
それですら、体内で起きていることのほんの一部です。
生体内は化学反応の海です。それらについて精緻な研究がされています。どんなシグナルで開始し、どんな化学反応がおき、どんな風に連鎖し、どうやって停止するか、など、細々としたことまで調べが進んでいます。
研究者の方々の知力と努力には、まったく頭が下がるものがありますね。(もちろん最も素晴らしいのはその体内の仕組みそのものですけど。)
・・ともあれ、tRNAが対応するアミノ酸コードの元データになってるんじゃん? と言われそうなんですが・・・
それはDNAの配列に合致するアミノ酸が間違いなく繋がる仕組みであって、データベースそれ自体なわけでないと思うんですけどね・・・。
百歩譲って、長い長い進化の末に、元データも各生体要素の中に組み込まれているのだ、ということだとしても、
反応を起こすそれぞれの分子の動きは、とても不思議というか、不可解です。分子の構造による相互認識やシグナルへの反応など、何らかの設定に基づいているようですが、その設定はどこからくるのか、なぜ設定どおりにふるまうのか、考えると実に不思議ですよね。
生体内の分子の動きって、マンガとかでよく擬人化されたりしますね。生体内の複雑な反応を、分かり易いように描いてくれてるわけですけれど。実際、本当に個々の分子が意志があるようにふるまうわけです。
まるで、ミクロの世界の壮大な工場で、目に見えない小人が働いてるみたい。そんなことは普通に考えたらあり得ないことではないでしょうか。
ヒトは最高に高度な精密機械です。
精密機械といえば、たとえば機械式時計。その機構は細かい部品が精密に関わり合って動いています。たとえば自動車も、大小膨大な部品が、それぞれしかるべき場所に収まって連携しています。
燃料から、動力源から、伝達経路、動作まで、どの部品一つとっても、自ら意志をもって動くなんてことはしていません。
その点、生体内の分子のふるまいは、人智を超えています。
でも、私が不可解に思うのは、ここでもやはり、科学者の人達の思考回路です。
世界トップレベルの頭脳を持つ人達が、この最大の謎に挑まないのは──いやそもそも、謎と認識してないように見えるのはなぜなのか・・・。
「すごく謎なんです。わからないんです。でも今は研究の目的上、しかたなくスルーしている」というなら、思考の折り合いというやつですが・・。
どうもそういう風ではないのです。
生命分子がどういう作用機序で動いているのかというメカニズムを理解したら、理由も理解したことになると思ってるとしたら、それこそどうしてそう思うのか・・・
「生命体だから」「生命って神秘的だね」ということで済ませているように見えてなりません。
問題はあなた自身の中の、科学者に対する先入観
「わからない」ということを認識することなくして、科学の進歩はあり得ませんから、大切なことです。
科学者の方の頭の中には、緻密で豊富な知識がつまっていると同時に、真実に科学的であるという心が、どれだけあるのかと首を傾げる面が、ここでも見られるように思います。
私はそれ自体にツッコみを入れて責めたいわけではないのです。
日進月歩の科学に、私たちが日夜恩恵を受けていることも承知しています。
科学者の世界は、純粋に科学的であればいいというほど、素朴ではないのです。むしろ常に熾烈な競争とプレッシャーにさらされています。昔は科学者といえば優れた人格者というイメージがあったものですが、そうそう謙虚にふるまってもいられない実情がうかがえます。
これはある種、矛盾ですが、科学研究の最前線にいるとどうしても、一歩退いた眼で俯瞰するのが難しくなってしまうのかもですね。
でも、それはそれとして、謎を謎と認識しないのが科学的かと問われれば、いいえ非科学的ですと答えざるを得ないのも事実ではあります。
スピリチュアルを探求する、光の皆様にあっては、ここが着目していただきたい点です。
科学者と科学とは、ある面で重なるが、ある面では離れている、という点。
それでいながら、科学者といえば科学的だと思ってしまいがちな、一般的観念を、あなたご自身の中から、払拭していただきたいわけなのです。
彼らの高い知能と豊富な知識はすばらしいものだと、私自身、敬意を抱いています。
ですが、それを盾にスピリチュアルを批判する人たちについては、少々勘違いをしている感はぬぐえません。
「知能」はあくまで「知能」、「知識」はあくまで「知識」であり、それらがあることが即座に科学的思考ができることを意味するわけではない。個人的な印象ですが、彼ら自身が、その豊富な知識と、知識の最前線にあるという自負に、幻惑されているように見えなくもありません。
その彼らと私たちは、本来なら対立する立場ではありません。そこを、わかっていただきたいと思います。誰にわかってほしいかって、懐疑派の科学者の方々にではないですよ。スピリチュアリストであるあなた自身に、わかっていただきたいと思うのです。
昔見た、あるミステリドラマに、こんなセリフがあります。探偵役が犯人役(ちなみにどちらも女性です)に向かって、その巧妙な手口を謎解きしてみせるのを受け、犯人が言います。
「あなたって頭いいわね」
「論理的なだけよ。頭がいいのはあなた」
論理的であることと、頭がいいこととは、必ずしもイコールではないことを、さらりと言ってのける印象的な場面でした。私自身もまた、ただ筋道立てて、順々に思考の段階を踏んでいるだけなのです。
このことが、スピリチュアルの、もっとも厄介な壁を突破するのに、役立つからです。
次回は、ここまでの例を踏まえたうえで、今時点の地球の科学者がほとんど重視していない、「肉体レベルの知覚の域をこえた何ものか」について、想いをめぐらしてみましょう。
関連記事