手放しのメソッドの研究

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2020年07月23日 12:14









  
    
      


 「お任せ」とか「光とともにある」という心の境地は、表面的な理解だけでなされることはない。挑戦し、獲得する魂のスキルである
    

   


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高貴なる光の皆様、いかがお過ごしでしょうか。



先日気がついたのですが、このブログのホームに行くと、一覧の中にスピリチュアルつながり?らしいサイトがでてきます。私の方では何が書かれているか知らないサイトです。


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さて、同時瞑想の予定表を見ている方は、惑星新年とライオンズゲートが近いことが心にあると思います。



予定通り同時瞑想を行うつもりです。毎年この時期は、波動が急激に高まりを見せてきますね。単に気温が高いというのとは違う暑さのようなものを感じます。



同時瞑想の予定一覧を貼っておきますね。


https://ascension.hamazo.tv/e8676985.html



同時瞑想マントラを、若干変えました。文言を少し整理しただけなので、お気づきにならないかもしれませんが。前の文言で記憶してしまっているという方は、それでも結構です。








さて、このところは「カルマ寄越し」攻略について書いていますが・・・。


これについて書き始めてから、波動的な抵抗もすごいものがあるのですが、その一方で、波動のフェーズのシフトも起きています。


実のところ、記事をアップする前から、書いているだけで光が降りてきて波動が上がるのです。そしてそれに対して抵抗波動が湧き上がります。


これを攻略することは、そのくらい大きなことなのだと思います。つまりそれだけ、高度なワンダラー諸氏を苦悩させてるということなのだと思います。



しかし、これについて言及するだけで、ここまで波動が刺激される理由は、


スピリチュアリストの誰一人、これを、攻略すべきものと考えていない

したがって、これに関するメソッドが何一つない



からだと思います。

メソッドがないということは、このメカニズムを攻略対象としてセオリー化するものがいないということです。だから、セオリー化することは、すなわちそこにある、この問題を抱えている波動に切り込むことになります。



メソッドやセオリーがないぶん、波動が停滞しているので、そこに焦点を当てるだけで波動が刺激されて動くのでしょう。






 「全員が天才」前提・・・





それというのも、高度な波動域の存在方は、その大半が、このような次元レベルの実際の経験がないですし──、

ごく稀に地上に降り立つ降臨の神やそれに近い魂は、その過酷な波動環境に耐えられるので、そういう稀有な存在を見本として、他の光の戦士も同じようにすればいい、と考えてしまうのかもしれません。

結果、ひたすら光に心を向けて耐えてください、光とともにありなさい、頑張れ! みたいな、根性論というか、精神論のみに終始していたりするわけですが・・・。

もちろんそれは、心のメソッドとして重要であり、それがないことにはどうしようも無いくらいのベースなんですけど・・・


耐えられない人や、耐えきれずにカルマ寄越しする人、カルマ寄越しされるので耐えられない人が続出しています。






実際のところ、先達のワンダラー諸氏には、今よりもっと何もメソッドが無かったようです。メソッドがないことが、ミッションが危うくなった原因の一つなのは間違いないでしょう。


全員が五井尊師レベルだったらメソッド要らないでしょうけど・・・どんな分野でも、全員が天才なら学習法もトレーニング法も必要ありません。頑張れ、以上。だけで済みますよね。ところが現実にはそうも行きません。



何かメソッドが必要なのですが、それができるのは、われわれ、現場の戦士以外にはありません。





事実、五井尊師が編み出した「世界平和の祈り」は、五井尊師がこの過酷な惑星で、実際に人々が苦悩から脱却できない現状の中で編み出されたのです。



五井尊師のメソッドで、もうひとつ重要なのが、「消えてゆく姿」というものです。手放しのメソッドの基礎と言えましょう。

それ以前は、それすらなかったという意味でも画期的なメソッドですが、最近の「祈りの会」では、さらなる研究をされることもなく、ほとんど取り沙汰されることもないですね。

祈りの会は最近はことに、世界平和の実現に焦点を合わせていて、個々人の霊性の開発、ことに手放しについてのメソッドはないようです。





霊性開発で、最も重要かつ困難なのは、手放しのメソッドです。


私の見るところ、手放しのメソッドが無いことと、カルマ寄越しは関係しています。


言い換えるならカルマ寄越しの原因は、手放しができていないからと言えます。






 「お任せ」がいかに困難であることか。不用意に試みれば時として危険な場合もあることか・・・





よく「御心のままに」とか言いますね。神様に「お任せ」していれば、自ずとなるようになる、ということですが──、



実際のところ、「お任せ」ができれば「手放し」なんて簡単なのです。




この「お任せ」というのが、一筋縄では行きません。



ところが、この波動環境では殆どの人にとって「一筋縄ではいかない」ということが、高位神霊がたにはお分かりでないようです。少なくとも私が見てきた限りでは、高位神霊と思われるチャネリング、どれを読んでも、お分かりになってるようには思えません。


わかっていたら、それがいかに困難であるか、何より、その段階に到達していない者が、段階を踏まずに「お任せ」を試みることが、時として危険であることについて、もっと警鐘を鳴らしてもいいはずです。






 「お任せ気分」だから「手放したつもり」





不用意な「お任せ」が、時としてどんな危険を伴うのかについては、また後日考察するとして──、



手放しというのは、単純に、表面の意識だけで神様にお任せした気分になっているだけでは無理ということです。


「お任せ」じゃないですよ。「お任せ気分」の人が多いのです。

「お任せ」と「お任せ気分」は、天と地ほどの開きがあります。


実際、真の「お任せ」というのは、五井尊師が「絶体絶命の境地」と言っているように、並大抵な心の状態ではありません。


今この地球上にいる人間で、「お任せ」ができている人が何人いるか? と問われたら、「皆無」と言ってしまっても、十中八九間違いではなさそうです。そのくらいの境地なのです。







で、この、「お任せ気分」の人が、手放しをしたつもり、言わば「なんちゃって手放し」をすると、それがカルマ寄越しになると、見ていいのではと思います。

誰かに転換してしまって、自分はスッキリ(したつもり)。でも実際には手放しができていない。できていないのにできた気分。だから手放しをしようと努力することもない。

カルマ寄越しは、それをする人にとって麻薬のようです。ひとたび寄越しをすると、楽であると同時に、自分では闇を克服したかのように錯覚する人も多く、際限がなくなります。されたほうがもし耐えられなければ、負のスパイラルへと落ち込みます。それは、される方もちろん、する方も落ち込んでいくスパイラルなのです。


ですから、カルマ寄越しをされている人が、それを認識し、攻略することは、寄越しをしている人への報復ではないのです。どちらにとっても救いなのです。








恐らく、これまでの幾多の惑星のアセンション・ミッションでは、常に光とあればいいだけ、とか、神様に任せていればいいだけ、といったメソッドが、誰にでも容易で、それだけで成功してきたのでしょう。

これほど多くの犠牲が出、人々が苦悩にあえいでいる現状は、この次元レベルの肉体人間にとって、それだけではメソッドたり得ないほどに、極めて困難であること、それは高位神霊には、客観的な観察だけでは理解できないほどであることを示していると思います。

というのも、こんな壮絶に低い波動レベルから上昇するなんてことが、未曾有の試みと言っていいくらいなんですから、経験してみるまでわからないことも多いのだろうと思います。



我々自身だって、ここに来る前、このミッションに志願した時は、こんな過酷だとは知らずに意気軒昂だったはずですから・・・。






高位神霊方が一方的に地上要員に理解がないというだけではないでしょう。地上要員は地上要員で、高位神霊が粛々と進めていることがどれほどのことか、知らされていません。

情報や予言を知ると、それによって波動が左右されてしまう人が多いからです。これはこれまでもアセンションを危うくしてきたことの一つですから、何でも知らせるわけにもいきません。





そんな次第で、地上要員を苦悩させ、アセンションを妨げている問題を攻略するメソッドは、この苦悩を経験した地上要員、つまり市井の人として普通の生活を経験してきたワンダラーが編み出す以外にはないことになります。




もちろん、高位神霊がたに援助を頼むことは可能でしょう。彼らは冷淡なわけではありませんし、すべての人にアセンションしてほしいと思っていると思います。


ですが、上述のとおり、現状の問題を認識しうるのが、この状況で苦悩する現場の我々である以上、まずは我々のほうで、何がそれほど困難なのか、どんな援助を受けたいのかを明確にし、認識して貰わないことには、彼らも援助のしようがないと言えましょう。彼らの視点は大局的で、個々の魂が沈んでいくとしても、それはそれ、本人の選択だと考えていると思われますし。






 魂の掃除だから、汚れを放置しておけない





手放しとは、言ってみれば私たち、個々の魂のお掃除なわけです。



お掃除の仕方は2種類です。


一つは、綺麗な水を注ぎ続けて、汚れを追い出してしまう。

もう一つは、汚れ自体をゴシゴシお掃除することです。



前者が、上位次元の光を取り込むことです。

後者が、ネガティブ、さらに深い場合は闇と呼ばれる、黒い波動の手放しということになります。





当ブログで推奨している三大ツール「世界平和の祈り」「ガヤトリーマントラ」「マカバ瞑想」は、いずれも前者のためのツールです。


難しいのが後者です。でも、これをしませんと、闇が完全に消えません。闇に目をそむけていては、アセンションは叶いません。





勘違いしている方が多いのですが、ただひたすら愛に同期し、光に目を向けるとは、闇を無いものとして目をつぶることではありません。

闇を知り、認識し、その脅威を知りつつ、それでいて闇にとらわれず、光を思うことなのです。

闇の怖さを知り、それを恐れる者が、その恐れを手放し、自分の意識・無意識から光以外のすべてを消してしまうことなのです。

意識から闇を消しても、無意識の方にあるのなら、それは闇を追い出したことにはなりません。






 世界の根のカルマを解いたから今がある





前の記事で触れました、先達のワンダラー諸氏の大きなミッションというのが、「根のカルマを解く戦い」であったそうです。


根のカルマを解くとは、つまり、奥の奥に潜んでいて、フタがされているものを、フタを開けて中の汚れを全部出してしまう、ということです。

これをしませんと、どんなに表面だけキレイにしたつもりでも、元が絶たれていないので、しばらくするとまたカルマが芽吹いてしまうということです。



お掃除でもそうですよね。汚れているところにフタをしたり、ゴミを押入れにしまいこんでも、掃除したことにはなりません。そこからカビが生えてきたり、開けたらドサドサ出てきたりするでしょう? だからしまいこんでいたものは全部出してキレイにしないといけないのです。



先達がこの、フタを開けるということをしてくれたおかげで、今、色々なものが噴き出しているのです。目をそむけていても、自然にそうなったわけではないのですね。



先達のワンダラー諸氏の働きのおかげで今があるわけですが、彼らが解いてくださったのは、世界に眠る闇です。


個々人の心の闇は、本人自身が解く必要があるわけです。






 心の闇はお掃除しないとキレイにならない





あなたが光の人であったとしても、多くの人の心には、まだネガティブが眠っていて、フタがされています。


固くふたがれた心の中の闇を、いぶり出すことを恐れて、フタをしたままにしておいては、手放しはできません。


仮にあなたが、祈りやマントラで波動を上げ、アセンションの道を歩んでいても、ネガティブを手放さないでいますと、それは、波動が上がった分だけ勢いよく、あなたを直撃します。


あなたの想念が、ポジティブであれネガティブであれ、波動が上がれば、上がった分、あなたという場で即座に実現するようになっていくからです。


その苦痛は、手放しの努力をしてこなかった人にとっては、ひとしおのものとなります。耐えられずに肉体を離れてしまう人もいるでしょう。肉体を離れますと、さらに手放しが困難になりますので、アセンションの道も遠のくことでしょう。


アセンションは、誰にでも、何の費用も要らずにできるものです。が、メソッドを知らずに、ただエサを待つヒナのように口を開けて待っているだけ(これは「お任せ」とは全く違うことなのですが)の人にとっては、むしろ苦痛の時間が長くなります。到達点も高くはないのです。




私は皆様に、苦痛少なく、スムーズな道を行っていただきたいと思っています。


苦痛があればその分、高い境地に行ける、と、決まっているものでもありません。実際、苦痛が度を超えてしまうと、アセンション自体が難しくなるわけですから・・・。





苦痛・・・それこそ、高位神霊方が、経験しようにも経験し得ないものです。それがどれほどアセンションを困難にし、人によっては不可能なものにしてしまうことか・・・。


しかしながら、それなくしては、その苦痛から解放したいという望みも生じないのですから、必要なものでもあります。ですから、大事なのはそれを知り、コントロールすることです。






 最初から何もないより、キレイにすることで魂は進化する





光を取り入れることと、闇を手放すことは、2つともやることが大事です。


どちらも同じくらい大事ですが、祈りやマントラなどで、光を取り込むことをしている人は、手放しの方が大事ということですね。





闇の解析をするのも、光のためです。闇に目をつぶり、理解しようともしないまま、光と同期することは、表面的にはできますが、深いレベルでの光との同期はできません。


経験の浅い魂が、闇を知らないままで、光に満ちていることと、経験を積んだ魂が、闇を知りつつ光とともにあるのでは、その、光とともにあるという、光の深さや高さが違います。深いレベルで光と繋がっている魂は、闇を知りつつ、闇を手放せるのです。

表面的な人は、光とのつながりが浅く、本当の意味で手放しができていないので、闇に少し触れるだけで簡単に参ってしまいます。そしてその中の一部の人が、人にカルマを転嫁することで、その苦悩から逃げようとします。(実際には逃げ切れてないのですが。)








たとえば何も知らない子供にとって、一見、無垢でいることは簡単ですね。子供は純粋などといいます。でも本当のところ、何も知らないということと、純粋ということは違います。真に美しい心とは、何も知らないことではなく、知りながら、それでも汚れないということです。






つまり、手放すというのは、最初からそれがないよりも、魂の成熟がないとできないことなのです。







さて、同時瞑想の前に、手放しのマントラをアップしようかと思ったのですが・・・。時間が迫っているのと、波動の様子を見たいので、上げるとしてもそれからにしたいと思います。


惑星新年のときは、上昇スパイラルの新しいサイクルに入る時と言えましょう。パワフルな時をお楽しみください。









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