

「カルマ寄越し」の認識とは、人のせいにすることではなく、自分を赦し、罪悪感を手放すこと。光の戦士特有の苦悩から、閉鎖回路に陥った自己を解放するための意識改革
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高貴なる光の皆様、いかがお過ごしでしょうか。
「カルマ寄越し」についての解説、今回は三回目となります。
夏至のあとにしようかと思ったのですが・・・同じテーマだし、一段落するところまで書いておいた方がいいかなと思い、書き上げることにしました。
考えたら、同時瞑想のあとは、後処理に時間をとるかもですし、どんどん後に押してしまうこともありえますので・・・。
二回目の記事を書いたあとに、チップサイトのコメント欄に、凄まじいネガティブ想念を含んだコメントが届きました。
私が「カルマ寄越し」について書くのは、ネガティブを手放していないからで、S・T氏を見下しているからだ、という主旨の、ご本人自身が上から目の乱暴な言葉によるディスりコメです。お金をかけてまで誹謗してくるのはよほどの憎しみを抱いたのでしょう。
ご本人は憎しみなどないとお思いかもしれませんが、波動は嘘をつきません。スピリチュアリストとは思えないレベルのネガティブ波動をぶつけて来られて、少々参りました。
(そもそも言葉の内容からして、ブログの真意を理解していないようで、ナナメ読みにしか読んでないのではないかと思えますが)
波動の世界のことで、目に見えないからわからないだけで、犯罪被害者に「犯罪被害を訴えるな! 自分で耐えろ!」と怒鳴りつけ、さらに殴り掛かってくるようなものです。
実は、ここまで攻撃的な人は珍しいとしても、今回書こうとしていた話は、こうした否定的な人たちの存在も想定しているのです。
そもそも見下しているのは私ではなく、彼らの方なのですが‥だから私を「手近にあった便利な浄化槽」のように使っているのです。
私が目下処理しきれていないのは彼らのネガティブなわけです。それでもやめてくれればなんとかなるのですが、際限がないのが問題です。
しかし、一般的なスピリチュアル指導は、それでも耐えなさい、あなたは光の人なのだから、というのですね。
ちょっとスポーツ指導の「根性論」みたいな感じですね。
もちろんそれが理想なのです。セオリーとしてはそのとおりで、間違いではないのです。ただ・・・
ただ、アセンションは観念論ではなく現実です。現実問題、それで済ませるには犠牲が多すぎると思うのです。
第一回でご紹介した著書にも、幾多のワンダラーが屍となっているようすが書かれているわけですね。実際にそういうことがたくさんあるのです。
物質界の戦争になぞらえるなら、多くの兵士が「捨て駒」のように犠牲になりますよね。このスピリチュアルな戦い、聖戦でも、同じことが起きているということです。
このテーマは、それを「やむを得ない犠牲」とスルーせず、それ自体を攻略すべきものとして扱うという点で未曾有のものです。
こうして事態を客観的に分析するだけでも、ネガティブな状況を、生産的なものに変換できると思っています。

前にも書きましたが、あまたの人々からの膨大な依存攻撃になんなく耐えられて、引き受けてあげられるのは、降臨の神か、五井尊師レベルの覚者くらいです。文字通り世界中の暗黒波動やカルマを引き寄せて浄化していらしたわけですが・・・
サイババ師は、私達のカルマを引き受け金色の光を与えても、ご自分の波動が下がることはありません。
が、まだ途上にいる人だと、自分が成長途上のところに他人の汚物にまみれて、波動が下がってしまい、ときには回復が非常に困難、人によっては不可能になります。回復できるとしても何千年後かになってしまう人もいるでしょう。
もっとも望ましくないのは、暗黒波動の傀儡になってしまうことですね。その人たちの中には、自分では神の使命を果たしていると思い込んでいる人もいるかもしれません。そこまでいくと回復するのも随分先になりそうです。
自分がこの苦悩を体験していない人ほど、「寄越されても神のごとくふるまえ」と、平然として言い放ち、自分は寄越しをすることで依存しています。人を殴っておいて「殴られても許せ、人格者として耐えろ」と言っているのと同じです。
殴られた方が許すというならわかりますが、加害側の立場に立って「許さないとは何事だ」とばかり被害者を罵倒する人は、物質世界的にも存在しますね。波動の世界でも、同じことをする人はいるのです。
高い資質を備えた光の人であっても、この'サンドバッグ状態'に、耐えられる人ばかりではないでしょう。
物質世界的思考の人は人として、スピリチュアル指導でも「それでよし」とするのは厳しすぎると思うのです。

このテーマについて、批判的な思いを抱く人がいそうなことも予想しておりました。冒頭に挙げた方のように、わざわざお金までかけて批判してくるのは、極端すぎて予想外でしたが・・・。
以前も書いてきたことですが、私がありそうだと思うのは、「カルマ寄越しの認識」を「人のせいにする」のと混同するということです。
しかしこれらは同じではありません。むしろ真逆と言っていいくらいだということも、以前書きましたね。
この解説が難しいのは、カルマ寄越しで実際に苦悩している方と、そんな目に遭ったことがないので何を言ってるかわからない方、あるいはカルマ寄越しをしてしまっている方など、それぞれの立場の方がいそうだからです。
ご自分の内省で判断していただくしかないといえばないのですが‥、今回は、その手助けになるように、もう少し深く考察してみようと思います。

そもそも、私が「カルマ寄越し」という言葉を発案する前から、実体験として苦悩しているワンダラーはたくさんいるはずです。地獄のように感じている人もいるでしょう。
ワンダラーやパイオニアスターシードは、自分の学習のためとか、遊びとかでここに来ているのではなくて、地球と地球人類のアセンションを手助けするために来ています。(ちなみに、ワンダラーの定義も色々あるようなので、いずれまた再考察してみたいと思っております)
もともとが、波動の掃除人という役割を担うために、太陽系の内外、中には他の銀河など、さまざまなところから地球に来ている人たちです。パイオニアもワンダラーに近いもので、役割的に同じと考える人もいます。どちらもワンダラーと定義されることもあるようです。
読者の方も色々おられるようなので、すべてがそうかわかりませんが、当ブログはこのところ、内容をかなり高度な方向けにシフトしているので、熱心にお読みになって参考にしている方は、おおむねそうかもしれません。
周囲より波動域が高く、それによって人々のカルマを引き寄せて浄化するのです。
しかし、この項の一回目でも書いたように、地球のミッションは並大抵なものではなく、よほどの霊格の魂でも参ってしまう人が続出しているわけです。
まさに死屍累々、ときには、暗黒波動の傀儡となってしまっているわけですね。
それが、地球のアセンションを、薄氷を渡るような低空飛行にしてしまっています。
あまりの寄越しに不遇な目に遭い続け、ときには憎しみにまで発展してしまう人もなくはないでしょう。
「地球なんて来る所じゃないな」とか「これだから地球人は」とか、思ってしまう人もいるようです。
また、周囲の人々に冷淡な観念しか抱けなくなっているワンダラーもいます。
他人の心に対してひどくクールで、中には自閉症スペクトラムに診断されるワンダラーもいるようです。これも無意識のうちに自分を守っているというか、「そうでもしないことには耐えられないから」という面もあるのでしょう。
以前、今よりももっと波動環境が過酷だったころ、アセンションで壊滅的な天変地変が起きればいい的な、過激なコメントを寄せてこられた方がいますが、過激とはいえその気持ちはわからないではありません。
その逆に、また多いのが、すっかりヘコんでしまい、罪悪感で押しつぶされてしまいそうな人です。
もともと、このような任務に志願するのはよほどの戦士ですから、それがうまくいかないと、自分で自分を責めてしまう。なまじ誇りが高いだけに、罪悪感をいだきやすい。
そこへもってきて、スピリチュアル的な「すべては自分の選択」という観念がそれに追い打ちをかけてしまいます。
実はこう書いている私自身、かつては、長い間「こんな目に遭うのは自分が悪いのか」と思っていたのです。
つまり私がこれを言い出そうが言わまいが、実態として、そういう状況になってしまっているわけです。それでいて、セオリーがないために余計に過酷なのです。

唐突ですが、「うつ病」とか、「慢性疲労症候群」とかありますよね。最近は病気として認知されていますが、少し前は甘ったれてるだけとか、怠け病だとか言われて片付けられていました。
でも、それに至るメカニズムがあることがわかってきました。近年の研究によるとウィルスが原因とも言われるようですね。(当ブログではウィルスも波動の一種と見ていますけど、それはさておいても研究が進んでいます。)
それまで甘えだとか怠けだとかで片付けられていたものが、「病気として認知された」ということ自体が、患者さんたちにとって大きな救いになったと思われます。
病気だと認知されようがされまいが、症状としてはあったわけです。が、きちんとセオリーをもって客観視し、分析する対象となったことが、悪化に歯止めをかける一助となっているのは確かでしょう。
「カルマ寄越しの認識」も、それに似ています。
分析してもしなくても、世界を地獄のように感じている光の人はいるわけです。
スピリチュアルがその過酷さを認め、このようなメカニズムでこうなっている、と分析すること、それ自体もメソッドです。
罪悪感に落ち込んでしまったり、あるいは心を閉ざしてしまっている光の人をネガティブから解放し、救うためのメソッドなのです。

物質世界の例を挙げてみましょう。
近年盛んに言われる「自己責任」という言葉です。自己責任、悪い考えではないけど、最近では、何でも自己責任で片付けようとする風潮に疑問を呈する人もいますね。
ことに問題になっているというと「貧困」でしょうか。貧困が自己責任と考える人がとても多いようです。支援している人たちが、それに疑問を呈しているのを見かけます。
アメリカでは、よく富裕層が、納税に関して行政や政府に不満を持ち、ロビー活動を通して課税の仕方や税金の使い方をコントロールしようとするそうです。
その富裕層の言い分としては、「自分たちは能力があるからお金持ちなのであり、貧困は悪である」「その貧困層を支援するために税金が使われるのは納得がいかない」「税金の大半は私達のお金だから、私達のために使うべき」といった主旨のものです。
しかしそもそも、富裕層が富裕層たり得たのは、元の元を辿っていくと搾取であることも多いですよね。先祖が不当に安い賃金で人を使って事業を拡大してきた結果だったりするケースですね。
もちろん富裕層が全員そんな人なわけではなく、人格者もいますから、一概に言えるものでもないのですが。
でも、税金は金持ちのために使え、とばかりに貧困層を追い詰めるので、貧富の差がどんどん広がっています。それでは貧困層には人生を変えるチャンスなどほぼ巡ってきません。犯罪も増え、治安は悪化するでしょう。結果として防犯に多額の税金が必要になり、貧困層を追い詰めたお金持ちを追い詰めるでしょう。
日本はまだアメリカほど貧富の差がなさそうに見えますが、格差はどんどん広がっているようです。
ここで常に登場する言葉が「自己責任」なわけですね。貧困も自分の問題だというのです。
貧困層に対して「本人の問題」と切り捨てる人、たくさんおられるようです。
特に冷淡なわけでもなく、非常識でもない。でも、社会的弱者に対して極めて厳しい人たち、結構多いようです。
でも、貧困家庭に生まれたら、そこから脱却するのは至難の業で、そうかんたんには行きません。だからこそ支援が必要なのだ、と訴える人たちがいるわけです。過度な自己責任論は、結局は社会を崩壊させていくと主張しています。
ご存知と思いますが、スピリチュアル的な観点でも、この「自己責任論」はきわめて幅を利かせています。
「あなたが今あるのは、誰のせいでもない。あなたの選択なのだ」という、アレですね。基本中の基本といってもいいかもしれません。
ことに、スピリチュアルを観念的にかじっただけで、まだ実感の伴わない初歩的な人に、この観念をさかんに標榜する人が多いように思います。
貧困も「本人の選択」には違いないので、これを言われると「グウの音も出ません」と思う人も多いでしょう。
確かに、前世が富裕層で、しかも貧しい人から多大な搾取をしていて、そのカルマバランスで今回は極貧に生まれる人もいますが・・・
しかし、全員がカルマバランスのためにそうなっているとは言い切れませんし、自分のカルマではなく人のカルマを転嫁されている人、つまりカルマ寄越しをされてそうなっている人も少なくないと思います。
それも本人の選択といえばそうなのですが・・・。十把一絡げに切り捨ててしまうのは、魂の経験が浅い人ではないかと思うのです。
私個人は、スピリチュアル的に見ても、その人がどんな境遇でそうなったかわからない以上、人道支援はした方がいいと思うし、少なくとも「貧困は悪」と切り捨てるような冷淡な見方は、違うように思います。
アセンション的に見ても、今、たゆみなく波動を上げている光の人たちが、人々の支援をしているわけです。自己責任論だけで、今のアセンション・フェーズを維持しているわけではないのです。

これだけ書いても「自己責任論」を振りかざす人はいるでしょう。
「掃除人なんでしょ。掃除すればいいじゃん。汚物にまみれて倒れたって、暗黒波動に沈んでいったって、自己責任でしょ」
という論法です。
で、自分をワンダラーだと自認している人の多くも、たしかにそれはそうだ、というので、その低い波動の中に埋没してしまう人もいるでしょう。周囲からの低い波動に苦悩する人はまだしもなのです。自分が埋没していることにも気づかない人もいます。
しかし、富裕層が自己責任を振りかざして、貧困層を自己責任と切り捨てながら、実は自分がその貧困層から搾取して富を得ていたりするように、
「カルマ寄越しされるのも自己責任」と切り捨てる人が、実はその恩恵を受けて、踏み台にしてアセンションの道に乗っているケースも多いのです。「自己責任でしょ」と言ってる人が、言う相手に依存していて自己責任を果たしてないわけです。
「なんでこんな人たちのために頑張らなきゃいけないんだろう・・・」と思ってしまうワンダラーがいても無理はないでしょう。波動環境の過酷さに、「なんでこんなところに来てしまったんだろう‥」とイライラしたり‥。
それこそ、最近でいうと医療従事者が差別されるときに思うのと同じような葛藤を持つ人も少なくないということです。
医療従事者の方々は、いないと困るというので、拍手したり感謝したりといった輪も広がっていますが・・・
ワンダラーも、いないと困るという点は同じ、というか、世界の命運がかかっていますのでさらにシリアスです。
でも、物質世界的にはもちろんですが、スピリチュアル的にも「自分の選択」「あなたの任務」で済まされてる感じですね。
感謝しろとは言いませんが、過酷すぎると、ワンダラーだってやってられなくなります。
究極的には「それが光の戦士の使命」というのは、そのとおりではあります。
もちろん、怒りを抱いてもいけない。恨みや憎しみなどもってのほか。愛を持って相手を赦しなさい、それはそうです。確かに正論ではあります。
しかしそれを大上段に振りかざすのが、アセンション・ミッションにおいて得策とは思えません。
本人にとって救われないだけでなく、総体的に見てもアセンションを過酷できわどいものにしてしまい、結果として「全ては自己責任でしょ」と思っている人たちのアセンションをも危うくしています。

「毒親」という言葉が、いつの頃からかできましたね。人を毒と呼ぶあたり、あまり好きな言葉ではないのですが・・・。わかりやすい例として、挙げてみることにします。
好きな言葉ではない、と書きましたが、この言葉──というか概念に、救われたという人も沢山いらっしゃるようです。
ネットなどで、「私も毒親に育てられた」的な体験談を書いている方がいらっしゃいます。
毒親の定義は広範囲で、個々の事情がありそうですね。
中には、親が自分の部屋を掃除するさい大事な物を捨てたとか、単に口うるさいだけでも言っていそうな人もいるようですが・・・。
深刻なケースとしては、「過干渉」「支配」「無関心」「虐待」といったものがありますね。これらの混合型もあるかもしれません。
これらは、厳しすぎるタイプもあれば、逆に過保護タイプもあるようです。その現れ方もさまざまということですね。
たとえば、親の側に「うちの子にはこうあってほしい」という「理想形」があって、それに子供を合わせようと、あらゆることで子供をコントロールしようとする。選ぶ友だちにまで口を出すとか。
あるいは、子供が自分の理想に合わないと「ホントにダメな子ね」「期待してたのに」的なことを言って子供をなじるとか。
我が子が複数いる中で、自分の気に入ってる子だけ可愛がり、別の子はどうでもいいとばかり無関心とか‥。
いろいろある中でも「(毒親という言葉に)救われた」と言っている人は、自分が悪いという罪悪感に苦しめられてきた方が多いようです。
つまり、毒親の問題の一つとして、子供の側が、「親ではなく、自分の方に問題がある」と思ってしまうという点があると思います。
「お前を愛して努力してるんだから、干渉するのは当たり前」とか「私は精一杯お前の面倒を見たのに、期待に答えないあなたがいけない」的に、マインドコントロールをされてしまうことが大きな問題の一つなのだと思います。
私はスピリチュアル的な観念で親と子も見ているので、子供=幼い魂とは考えていません。実質上は、親の方が魂的に幼いとか、逆に、子供の方がカルマを抱えていることもあります。
それでも、子供というのはまず大人にならないことにはいけませんし、肉体上の色々な経験を通して成熟する必要があります。その過程でダメ出しばかりされては叶いませんね。
そんな中で、いつの頃からか登場してきたのが、「毒親」という観念です。
この観念で「救われた」という人が、一体どんな点で救われたかを、一言で言うなら、
「あなたのせいじゃない」という観念なのだと思います。
子供の性格にもよるかもしれません。繊細な人ほど、深刻にとらえてしまいがちでしょう。
親から「期待に応えないなんてダメな子ね」と言われて、「まあねー。あんたの子じゃん」などと混ぜっ返して平気でいられるならまだいいのですが・・・。
「そうだ、私がダメなんだ」とか、自分を責めてしまうと、ネガティブに落ち込んでしまいます。
もう一つありそうなのが、「うるさいな! そんなに言うなら産まなきゃいいのに!」と反発するケースです。しかしこの、反発するというのも、ダメ出しを真剣にとらえてしまっているからかもしれません。
反発するあまり、逆のことをしたりして、結局は、負の意味で親の影響から逃れられていない人もいるようです。
そんなときに、「いや、それはあなたがダメなんじゃないですよ。親の方に問題があるのです」という観念を与えられるということは、その人にとってはある種の「啓示」です。「自分が悪い、自分はいけない子」という観念から、解き放たれるわけです。
言葉を変えるなら、「罪悪感からの脱却」です。それが「毒親」という概念の最大の'功績'かもしれません。自分はマインドコントロールをされてきたのだ、悪いのは向こうで、自分ではないのだ、という観念が、その人の心を救います。
観念が人を救う、という代表的な例の一つと言えます。
ちょっと「カルマ寄越し」の認識と似ていますね。

私が「カルマ寄越し」という概念を提示したことで救われたという方は、ちょうど、「毒親」という言葉で救われた人に似ているかもしれません。
ここで大切なのは、「観念の切り分け」です。
救われるという場合、ポイントとなるのは、「あなたのせいじゃない」という観念ですね。
それまで「自分が至らないのが悪いのか・・・」と、自分を責めてきた人が、親の側に問題があるという観念で、目の前が開けるわけです。つまりそれは、「自分を責めない」という、観念の転換です。
それによって、その後の人生が、建設的なものになっていくならいいのです。必要なら親と連絡を絶つとか、ともあれ、本人にとってよい方向に行けばいいわけですね。
あやうい面があると思うのは、思考がネガティブな方向に言ってしまう恐れがある点です。
「毒親」と、親に毒をつけるくらいですから、ある種のショック療法ですよね。それが高じて、親を憎み「毒親のおかげでこんな人間に」と、いつまでも思い続けてしまう場合です。
ネットで当事者の言葉などを見ても、結構、親を恨む方向に行ってしまう人、いるようです。
「あー親のせいだとわかってスッキリした。もう関係ない。楽しく生きよう」と、よい方向に向けられるなら、有益なメソッドですが、
あまりに「親のせいでこうなった」「一生許せない」と思い続けると、良い方向に行きにくいですよね。
「毒親に育てられた私」とか、言っている人もいますが・・・。
それが、思考の転換のための事実認識であればいいのですが。「毒親に育てられた」が、自分のアイデンティティのように思ってしまっては、せっかく救いだった観念が、ネガティブになってしまいますよね。
「毒親に育てられた私」じゃなくて、「私」でいいわけですよね。私以外の何者でもない私。
つまり、それまでの劣等感や罪悪感は、親の問題だった。私の問題じゃない。私は私、それで良かったんだ! という、観念への転換によってこそ、ポジティブに作用すると思います。
「親のせい」「親の責任」それはそれでいいと思います。「親の問題で、私の問題じゃなかったのね! あーよかった」
とスッキリするためなら、プラスに作用します。
そうでなく、「毒親が、毒親が」と暗くなっていくようだと、その後の人生に影を落とすと思うのです。
親のためではなく、自分のために、ある時点で親のせいにするのをやめた方がいいのでは、ということです。
「カルマ寄越し」の認識をするにあたっても、ここの思考の切り分けが大事です。
この認識は、「人のせいにする」のが目的ではなく「自分を責めない」ための観念です。
ご自分自身の罪悪感や閉塞感からの脱却のためですから、そこは冷静に判断する必要があります。

上述のように、長い苦悩のせいで、中には周囲に恨みをいだいたり、冷淡になってしまっている人もいるわけです。
上昇の際に壊滅的な天変地変が起きていいなどといった発想も、苦痛の連続から来ているものだと思います。
「カルマ寄越し」の認識は、泥水を浴びせられながら、それが当然のように蔑まれたりもするワンダラーやパイオニア諸氏に、そんな想念状況から脱却していただくためのメソッドですから、
まずは、「自己責任論による罪悪感からの脱却」だと、思ってみてください。つまり、他者ではなく、あなた自身の救いのための観念だということです。大切なのは、「客観的で冷静な事実認識」とお考えいただきたいわけです。
誇り高いあまり、罪悪感に陥っては本末転倒です。
私自身、誇りは忘れたくないけど、過剰に固執していたら、こんなことは書いていません。
要は「自分を責めるのをやめた」のです。
辛いから辛い、困っているから困っている、と書いているのは、「辛いなら辛いと言ってもいいのではないか」という意図もあります。
辛い辛いがネガティブになってはいけませんが、掴まないならいいと思っているのです。「そうでもしないとやってられない」ような緊急事態だからです。
つづめて言えば、潰れてしまうよりはいいじゃないか、ということです。
この過酷な状況が実感できる方なら、それが大げさでないことがおわかりでしょう。
また「自分はされたこともないし、でもしてるのかなあ・・・わからないな」という方も、ワンダラーやパイオニアがいなかったら、そのように実感のない状態でいること自体が難しいとお考えいただければ、と思います。(もしかしたら前回書いたように、実感がないだけで、影響を受けてる人もいるかもですし)
高度な光の人をヘコませると、結局は自分に返ってきて、過酷になりますから・・・。
感謝しろとは申しませんが、医療従事者を差別するのと同じだと思って、「辛くても耐えろ、仕事でしょ!」なんて思考を抱いているなら、おやめになっていただければと思います。

さて、さらなる問題として、「カルマ寄越し」を認識したら、ではどうすればいいのか、というものがありますね。
これについてが、最も悩ましいところです。上述のような、認識の切り分けができている人と、そうでない人がいそうですし・・・。
テクニカルな手法は、人によってメソッドが変わってくると思うので、まだ検討中です。
しかし、共通するメソッドは、まずこのセオリーを理解し、意識を変えることだと思います。
一番よろしくないのは、相手に恨みを抱いてしまう場合ですね。
私自身、S・T氏の果てしのない寄越しと憑依には、やりきれない思いがするし、怒りが湧くこともありますが・・・。
一番やりきれないのは、なんと言ってもこちらを見下してかかることですね。どうしても自分が上で、私が家来で、浄化槽代わりに使っても当然、と思いたいようすです。それに幻惑されると、アイデンティティを乗っ取られてしまいます。
なので、ワンダラーというアイデンティティを堅持する意味での自覚も、大事だと思います。
でも、恨みや憎しみというのとは違います。現在進行形だからなんですね。恨みとか憎しみというのは、過去にされて今はされてないことへの感情でしょうけど、そうではない。今この瞬間も悩まされているからです。
つまり、解決できればそれでOKなわけです。根に持っているわけではありません。
これっておそらく他のワンダラー諸氏もそうなんじゃないかな、と想像していますが・・・。恨みを抱いているようだと、解決のメソッドが難しいかもしれません。
あまりご自分に厳しくなさらずに、怒るくらいは仕方がない、と思ってもいいと思うのです。解決できてしまえば、スルっと忘れられるならいいじゃないか、と。そのくらいはいいでしょう?
「いや、怒りもネガティブである。手放さねば!」と思うなら、もちろんそれが一番ですけど。無理しすぎないことだと思います。
私の怒りは解決できた瞬間に消えてしまうので、あまり厳しく考えていないのです。ちょっとでも処理がうまくいくとホっとするし、このままだったらいいな、と思うくらいです。
なので、解決できてもまだ収まらないとしたら、一過性の怒りではなくて、恨みとか憎しみということになりそうですね。それでしたら手放して、フラットな気持ちで事態を把握してみてはと思います。

これまで書いてきたことを参考にして、まずは以下のことを意識してみてはと思います。
「カルマ寄越しを認識すること」
「メカニズムを客観的に分析すること」
「自分に厳しくしすぎないこと」
「感情が出ることを罪悪視せず、たまには独り言でぼやいてみる。ただし人前は避ける(自己責任論で意見してこられると余計ストレスになる)」
「自分だけじゃなく、光の人共通のあるあるだと思う」
「相手のせいにするのもいいが、相手を恨まないこと」
「相手のせいにするのは、あくまで自分を許すためであるとキモに命じること」
「引き受けがお役目と思いすぎず、しんどかったら「引き受けない」もアリだと思うこと」
最後の「引き受けない」は、責任感の強いワンダラーほど、「引き受けをしないで何がワンダラーなのか」と思うかもしれませんが、
「成熟すれば、今の何倍、何十倍もの引き受けができるのだ。その前に潰されてどうする」
と、意識を切り替えてみてください。
「そう言われても、自然に人のカルマを引き寄せてしまうんだけど・・・」という方には少々難しいかもですが、このコントロールのメソッドは人によって違うと思うので、まだ少し検討を要します。が、上記の意識の変換だけでも、楽になるのではと思います。
とにかく「引き受けるのが役目」と思いすぎていた人には、しんどいときは少し息をついて、自分を立て直すことに軸足を持っていってもいいんだよ、という意識を持つことも大事だと思います。
辛すぎて、周囲の人に冷たくなったり恨んだりするよりはいいのですから。
ここまでのレクチャーでも少しは気が軽くなった人がいるといいのですが。それでは同時瞑想などを活用し、波動を上げてまいりましょう。この数カ月は特に重要です。
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