想念の強化

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2020年04月14日 11:33









  
    
      


 来たるべき局面に向け、生活の基本的な安寧を脅かすネガティブを可能な限り消し去り、よりアセンションに照準できるよう、想念の地固めをしてまいりましょう
    

   


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高貴なる光の皆様、いかがお過ごしでしょうか。




世界の荒れようが増すばかりですね。以前から、これまで潜んでいた暗黒波動が浮かび上がってくるため、波動が荒れてくるという話をしてまいりましたが、それが一層、現実となって、どこと言わずそこかしこに現れています。


私は例によって、コロナもそうですが、それを含めた「現れ」、つまり天変地変や経済恐慌、何より戦争を回避するために、暗黒波動と戦う日々が続いております。



ときおり波動の様相を夢で見る話をしますが、今年は猛獣だらけです。
最初がサメで、次がチーターのような猛獣が登場した話をしましたね。
この間はトラです。無数のトラだらけの夢を見ました。



実際、そのビジョンどおりの様相にあります。波動処理の気が抜けません。今もその真っ最中なのですが・・・。
一段落したらブログ書こう、と思いつつ、何しろ上述のようにひっきりなしに湧き上がったものが来るので、なかなか一段落しないのです。
それを済ませてからと思うと、また数日かかってしまう状況になり・・・、自分の波動処理も大事だけど、中断して今ログしておこう、となる・・。このところ、そんな感じです。



しかしその一方で、今は昨年末よりも、ブログを書くことも大事だと考えています。



「まだ、皆様にお伝えしなければいけないことが、いくつかあります」と以前申しましたが・・・、

「いくつかある」んじゃなくて、「いくつもある」ような様相が見られますので・・・。





前回、指導者を見極める大切さと、見極めができるだけのリテラシーの大切さという意味で、ご自身もまたご自身の教師であるということについて述べました。


それについて、さらに踏み込んでみたいと同時に、最近、ワンダラー諸氏と、パイオニアスターシード諸氏について、興味深い情報を得る機会がありまして、それについても書きたいと思っています。




ただ、その前に、今の波動の様相をお知りになりたい方もいそうですし、今後予測される局面からも、まず押さえておきたいところを今回は書くことにします。






 そこかしこが嵐のようで・・・





それにしても、波動の荒れようですね。まだこれで序の口らしいですけど・・。
肉眼では見えませんが、普段買い物に行くスーパーの中も波動的には嵐のようです。


以前、汚泥が沈殿している水に例えたことがありますね。
一見綺麗な水ですが、そこに勢いよく清らかな水が注ぎ込まれると、それまで澱んでいたドロが湧き上がって、汚泥が全体に広がって嵐のようになる。そもそも本当に綺麗だったわけじゃなくて、汚いものにフタをしていたのが、揺さぶられて湧き上がっている、そんな状態です。
ドロとは低い波動域の波動であり、注ぎ込まれる清水というのは、現在降り注いでいる光の降臨です。



私は何年か前にサラリーマンをやめて今は在宅でほそぼそと暮らしているのですが、サラリーマン時代を思い出しました。
普通の人にとっては清潔な職場環境であっても、私には汚物の巣窟であったわけなのです。
ワンダラーの方であれば、この苦痛を理解するのは容易だと思いますし、そうでない方も、ご自分が職場にいる間じゅう、周囲の人たちが、ことあるごとに、ドロや排泄物を入れたバケツを持ってやってきて、中身を浴びせ続ける状態、それが毎日続くことを想像してみていただければと思います。まさにそのままですので。


私はそれで、毎日帰ってくるとグッタリしてしまっていたわけなのですが・・・。
このところ、その当時のことを彷彿とさせられる状態なのです。



ちょっとスーパーに出かけて小一時間買い物をしますと、あの、一日中職場で汚物に浴して帰宅したときみたいに、グッタリと疲れてしまいます。
つまりスーパーにいる人のすべてから、カルマ波動がワーっと湧き上がって、汚泥が湧き上がった泥水にみたいになっているのです。



しかもこれが、外に出かけたときばかりではないのです。


たとえば自宅で、何かの問い合わせの電話をかけるとする。応対する人とは全くの赤の他人で、用件について話して電話を切ります。ただそれだけですが、時折、凄まじいカルマを寄越されます。
その、電話応対した人の内面──人生の問題、性格、波動状態などによって、それはすごいものを寄越されることがあります。なんとか処理するのに数日かかります。これの頻度が増え、寄越される量もハンパではなく、格段に増大してきました。



しかも電話で話しただけなのに、ウィルス寄越しされてるのか、と思うときがある。寒気がしたりくしゃみが出たり、ウィルス感知したり、コロナ?うつされたみたいな症状になるのです。
なのでカルマ処理をする一方で、ビタミンCをとったり体を洗ったりといった、感染症をうつされたときと同様の対処をしないといけなくなる。電話の相手がコロナに感染していて、カルマ波動とウィルスともどもこちらに寄越してきたのではないかとさえ思える。




こういう点が、インフルとは違う、コロナというウィルスの奇妙な点です。カルマ波動の一部が、悪玉ウィルスという形で物質化してるんでしょうけど、波動と物質の中間みたいなところがあります。



それこそがコロナが人々を不安に陥れている理由かもしれません。コロナは確かに人間の精神に影響していると思われます。つまりウィルスという微生物でありながら、想念波動と似た性質を持っているため、人々の心を荒ませているのではないかと思われます。






 大事なところから押さえていきましょう




こういう混乱した様相で、しかも来年はさらにすごくなりそうな様相なので、皆様も心が落ち着かないかもしれません。


私が、今この時点で、皆様に押さえておいていただきたいのは、前の記事で書きました、自然物やテクノロジーなど、あなたの物質世界での、基本的な生活を支えてくれる事象、それらを司る神々への感謝です。



それと、折に触れて何度も書いてきていますが、財の神、富の神への感謝の祈りも、忘れずに、毎日なさることをお勧めします。





あなたが当ブログを熱心に読みこなしておられるなら、財の神、富の神への感謝がいかに重要か、理解できると思います。



「そうだよな・・・来年は恐慌が起きる、なんて言ってる人がいるくらいだから・・。」とお思いでしょうか?


それとも、「そうそう、財と富を得られれば、困ってる人を支援できるもんね!」とお思いでしょうか?



もちろん、それもあるのですが、それよりももっと重要なのは、あなたの心を盤石なものにするために必要だからなのです。




前回、「恐慌が起きるかも」という予言があると書きました。それを見たとき、あなたの心の中に何が浮かびましたか? 
一片の不安も抱かない、という人は、多くはないでしょう。大なり小なり、不安を覚えるのが普通だと思います。





その人自身が、お金に執着があるないにかかわらず(あるないの問題もゼロではないですが)、お金がなければ、一日として生活をしていくことができないという状況が、この物質世界にはあります。
生活に必要なあらゆるものを、私達はお金で得ています。水も、食料も、住環境も、その他あらゆるものをです。


今この瞬間も、お金を使っています。水道、ガス、電気その他、生活に必要なすべて、それらを使っているこの瞬間も、休みなく料金が発生しています。支払いのタイミングがいつであれ、一分一秒の休みもなく、お金を使っていることに変わりはありません。




経済という、人類全体を強力に閉塞的な牢獄に閉じ込めている社会の仕組みが物理的に存在しているために、それによって否応なくネガティブを呼び覚まされてしまうことが問題なのです。


暗黒波動は、それがどのようなチャンスであっても、チャンスがあれば、人々をネガティブに引き込もうとしています。常に闇波動が、あなたの領域に入り込もうと、虎視眈々としているのです。

経済という仕組みは、暗黒波動領域にとって、それを最も効果的にできる仕組みなのです。




それなら、経済という仕組みがなくなればいいのか、というと、今のこの波動環境では、とてもそうは思えません。






貨幣経済は、本来は自由をもたらすものだった





もしもこの壮絶に低い波動レベルのまま、いきなり経済社会が完全に崩壊し、通貨というものがなくなってしまったとしたら──、

人々が自由平等になり、好きな仕事をして生きられる社会になるでしょうか?

おそらくその可能性は極めて低く、ほとんどゼロに近いと思います。

むしろ、経済社会より、もっと原始的だったころの社会に戻る可能性が、圧倒的なまでに高いことでしょう。


それこそ、映画の「マッドマックス」のような世界になってしまうかもしれないということです。
支配力(闇波動域のカリスマ)や、何かの覇権を握っている者や、武力のある者が、弱い者を抑圧し、支配する社会、
経済社会よりももっと直接的に人々を隷属させようとする力が剥き出しになった、閉塞的であると同時に無秩序な社会。秩序とは名ばかりの、秩序という名の牢獄の世界です。




つまり、経済という仕組みは、それが生み出された歴史の、大元を辿っていけば、人々に、自由と安全をもたらしてくれた仕組みではあったのです。

現代の社会を見ていたら、到底、貨幣が自由のための発明だったなどと信じられませんが・・・、

しかし、それ以前はもっと暴力的、抑圧的な世界で、強い者、弱い者が、あからさまに分かれ、強い者が弱い人々を支配していたわけです。

そんな状況から解放してくれるという意味では、貨幣経済は、それら支配者の恐怖から、人々をいくばくか解放し、自由をもたらし、また、どんな地位に生まれても、頑張れば暮らしがある程度は楽になる、という希望も与えてくれる仕組みではあったのです。
それは確かに、「いくばくかは」という注釈付きではあったのですが、それでも、それまでの閉塞感から比べれば、息をつかせてくれるものだったわけです。




しかし、闇波動勢力は、今度はその経済によって、人々から搾取できる仕組みを作り上げ、あらたな権力構造の糧として利用するようになったのです。それは武力で人々を支配するよりも、さらに巧妙で効果的であったため、この支配メソッドが連綿と続いているのです。


つまり本来、自由と平等の糧となりえた発明も、波動環境が低ければ、低い波動域の者たちによって、自由どころか支配するために都合のいい手管に書き換えられてしまう、という現象が、典型的に見られるのです。







私達は、壮絶なる低レベル波動環境の中で暮らしています。自分自身はもともと持っていなかったネガティブも、それらに浴しているうちに、掴んでしまいます。


闇波動勢力にとって、経済は、私たち光の者に、ネガティブを抱かせる、最も効果的かつ強力な仕組みなのです。



「私はお金に興味がない」と言ったところで、物質的な何かには興味があるでしょう。その何かは、快適な住まいかもしれないし、おしゃれな衣服かもしれないし、あるいは心地よい音楽かもしれません。家族や友人と楽しく食事することかもしれないし、旅行かもしれない。ほとんどすべてのものが、お金がないと得られません。





財の神、富の神への感謝を、たゆみなくなさることをお勧めするのは、
続ければ続けるほど、あなたがお金持ちになるから、ではありません。
もちろん感謝すればするほど、その可能性は高まるでしょうが、実際のところ、それはそれほど重要ではありません。


あなたの心の中から、財と富への偏見、つまり執着がなくなっていくことが目的なのです。





執着はないという人も、お金がないことには不安を抱くでしょう。

でも気づいてください。不安も執着なのです。



究極的には、全てのネガティブは恐れから発しています。


人々にとって、普遍的に、恐れを抱かせるもの、それが経済です。

こう言っている私も、恐れがなくなったわけではありません。ですが、たゆみなく感謝を続けるうちに、ふと、それが薄らいでいるのに気づくのです。




皆様、これが注目すべきことなのです。


財の神、富の神に、感謝をし続けますと、感謝すればするほど、財や富が、あってもなくても、どちらでも良くなってくるのです。


要らなくなるんじゃないですよ。要らない、要らない! と思うのも、ある種の執着です。お金を不浄のもののように考えていると、要らないとはねつけることになります。


「望まない」ではなく、「望みはするが執着しない」、そういう状態が強まってくるということです。






どうでもよくなるというのが、自暴自棄とか、ヤケとかではなくて、本当にどうでもいい、という、「良い意味での」どうでもいいになる。


私自身、その過程にあるわけですけど、いきなりそうなるのではなくて、だんだんそうなるほどに、気が楽になって、心が軽くなってきます。


どうでもいいから働かないとか、そういう意味ではないですよ。仕事は自分なりに一生懸命するのだけど、執着することがなくなってくる、ということです。執着がないと、気が軽くなってくるので、むしろ仕事がはかどるかもですね。






 経済は煩わしいが、財と富をさげすんではいけない





私は日々実感しているのです。経済というものが、いかに煩わしいものか。

でも、だからといって、経済に、今即座になくなってほしいとはとても思えない。



経済が煩わしいから遠ざけよう、と思ったところで、この低い波動環境下、経済という仕組みに基づいてある程度の秩序を保っている以上、即座に貨幣経済をなくすのは無理というものです。


今まで、多くのスピリチュアリストが(お金儲け目当てのエセスピリチュアルでない限りは)、お金なんてどうでもいいのに、という考えが高じて、財と富を蔑んできました。「お金なんて」と、一段低いもののように見ていたのです。




しかし、これが闇波動にとっては、思うツボなのです。
結局のところ、そうした、良心的な人々が、財と富への価値観を低く見積もることで、
財と富が波動域を下げ、ますます、闇波動が財と富を得やすくしてしまうのです。



前にも書きましたように、財と富自体は無垢なるもので、大元は光そのものです。

しかし、それを欲望の対象にすると、財と富の波動域は低くなります。ウィルスに善玉悪玉がいるように、財と富も、低いものになってしまいます。




ここで注目してほしいのは、闇波動域だけでなく、光の人までが、財と富を「欲望の対象」として見ていることです。




つまり、闇の人であろうが、光の人であろうが、「欲望の対象」という低い地位に、財と富を位置づけてしまっていることに、変わりはありません。
違うのは、闇の人は、だから財と富を望み、光の人は、だから財と富を望まない、という点だけです。
でも、「欲望の対象」という位置づけが同じなら、その点では同じ穴のムジナの発想なのです。



低い波動域のものは、低い波動域と引き合います。
ですから闇波動は、ますます財と富を得やすくなります。そしてますます私腹を肥やし、経済によって人々の首根っこを押さえることを容易にし、支配構造をつくる、という、悪循環を生み出しているのです。




私はスピリチュアリストも、財と富に執着しましょう、欲望の対象としましょう、と言いたいわけではありません。
あなたが仮にスピリチュアリストを自認していても、お金がほしいほしいと執着するなら、闇波動の傀儡となんら変わりません。




そうではなく、「欲望や執着の対象」という、不当な地位を与えられている財と富の地位(波動レベル)を、高い域に引き上げていただきたいと言っているのです。
地位を引き上げるとは、皆様お一人お一人の想念の中で、財と富を、本来の、自由と解放への糧として捉えるということです。
自由は、執着したとたんに、自由ではなくなるのですから、執着の対象ではない、という位置づけが必須であります。
すなわち、財と富にただ感謝し、望みはしても執着の対象ではない、というものに、あなたの観念をシフトさせなければなりません。
それが、財と富を、本来の「無垢なる供給の光」へと、回帰させることになります。




だからこその、財と富への感謝なのです。

セオリーとしては少しややこしく思えるかもしれませんが、やることはただ、感謝、感謝なのです




(ちなみに「財と富を望む祈り」の方を保留にしておりますが、
よほどの波動域の方でない限り、まずは感謝の祈りを続けることなくして、望む祈りをやっても、想念波動上のインフラが整いません。)


本来、自由と解放をもたらしてくれる財と富、その本来の姿を、あなたの心の中で取り戻すための祈りなのです。






世界恐慌が起きるという予言自体は、まだ確定ではありません。


でも、その可能性はあります。


闇波動が、私たち光の人までをも、不安と恐怖に落とし込む、最終兵器が経済であります。

光の降臨によって、追い詰められていく闇波動が、この、核兵器にも匹敵する兵器を、使わないわけがありません。






闇波動の兵器になってしまっている財と富を、兵器としては骨抜きにするためには、財と富を、光の人が、好もしいものとして、味方につけることが効果的なのです。




財と富を味方につけるとは、繰り返しますが、必ずしも、財と富を得ることでは、ありません。あなたの祈りの深さに応じて、結果として、自然に必要なものは得られるでしょうが、それ自体が目的ではありません。




あなたが、財と富に、執着するのではなく、感謝し愛するとき、兵器は兵器ではなくなり、別の美しいものに変化するのです。あなたや世界を快適にする何かです。




たとえ、それが銃の形をしていて、引き金を引いたとしても、
弾丸の代わりに、バラの花びらが舞い踊るようなもの、そういうものに変換していくのです。

ただしそれは、誰かの思惑を変える必要はないのです。あなたの内にある想念、財と富に対する観念を、清らかで美しいものに変えていくということです。






ただし、0が突然100になりはしないのです。少しずつそうなっていくのです。ですから、感謝しているのに厄災が起きたとしても、失望したり恨んだりして、ネガティブを掴まないことも大事です。




そして、そういう状態になることが、来年からさらに荒れるという、今の様相の、最も重要な「備え」となります。






 物質レベルの備えよりも、確固たる備え





前の記事で再度おすすめした、自然物やテクノロジーの神への祈りも、備えと言えます。



私が、今の局面で、まず、こうした物質的なものへの感謝をお勧めするのは、それが、厄災への備えという側面もあるからです。





皆様、災害に備えて備蓄したり、トラブルに備えて保険に入りますでしょう?

そういう、物質的な備えも、もちろん大事です。いきなり何も備えをしなくてよくなるほど、今の波動環境は、甘くはありません。

しかし、そうであっても、想念状態の「備え」ほどには、重要ではありません。




たとえば災害にそなえて食品の備蓄をしておくとしましょう。
仮に、半年分、たっぷり備えてるとしたって、あなたが半年でこの世からサヨナラするのでない限りは、半年以内には普通に食品を得られる状態に回復している、という想定があっての備えです。
でも、それは想定ではあっても、確定した予定ではありませんよね。


保険もそうですよね。たとえば契約した保険会社自体に何かあったらどうでしょう? 
他の保険会社が救済に入るとしたって、絶対的な保障かどうかはわかりません。


実際のところ、物質世界の備えというのは、絶対的かつ完璧な備えは存在しませんよね。
そんなことはわかっているけれど、人々は備えをします。


スピリチュアル的にも、それを軽視はできません。

なぜならそれが、不安を和らげるからです。物質的な備えは、備えそのものもですが、それによってもたらされる心の平安こそが、実は最も大事なのです。





感謝の祈りは、まさに、それ自体が、想念を恐れから解放するメソッドともなるわけなのです。

ですから、保険や備蓄などの、物理的な備えよりも、確たる備えと言えます。




そういう備えを持っていることによって、あなたに降りかかる、物質的な災厄(天変地変にしろ、経済にしろ)を、回避、あるいは軽微なものにし、
あなたという、世界の命運を握る光の人が、できうる限り、物質世界の余計なものに思い煩わされずに、心おきなくアセンションに波動と意識を照準していただきたいのです。






 さらに、この局面で手放しのチャンスがある





それともうひとつ、物理的な行動として、可能な限りでいいので、お勧めしたいことがあります。


それは、食品にしろマスクにしろ、買い占めはもちろん、買いだめをしないということです。「買いだめしない」ということをする、ことを、お勧めしたいのです。




もちろん、できる範囲での話です。というのも、買わないでいること、これがなかなか難しいからです。

難しいということは、裏を返しますと、手放しのチャンスとも言えそうです。





最近、たくさんの人が、食品を買いだめしていますね。買い占めみたいに買う人もいるようです。


トイレットペーパー騒ぎのときも、それでトイレ紙が商品棚から消えました。


私もこのとき、ドラッグストアをめぐって、1パックだけ見つけて買うことができました。
自分では理性を失っているつもりはなかったのです。
前回書きましたように、それは、デマを信じたからではなく、デマによって商品がなくなっており、品薄がいつ回復するかわからなかったからです。



でも私は、そのときに、自分が恐れていることに気づきました。

私は、何かを「棄てることができない」ことに、恐怖を抱く人間だと、気づいたのです。トイレに流す紙がなくなったらどうしようというのは、相当に不安でしたね。



もっと恐怖心が大きい人は、もっとたくさん買い置き、または買いだめしたことでしょう。そういう人を責められないと思いました。誰しもなにかしらあるんですよね。



しかし、100ネガティブを抱えているよりは、50の方がマシなのです。あとで降り掛かってくるものが、軽微で済みますからね。

つまりこれは、良い悪いの問題ではないのです。0か100かの問題でもありません。手放せば手放したぶん、ネガティブから解放されるという話です。





で、今度は、食品の買いだめですが、天変地変でもないのに、なぜ買いだめするのか、理由はさだかではありません。

でも、誰かが、まるで災害用の備蓄のように、食品を買いだめている。
そのくせ、災害用とは思えない、冷凍食品なんかも買いだめに走っている。

なんだかよくわかりません。誰かが食品の値段を釣り上げるとでも思っているのでしょうか。




食品業界や行政が呼びかけていますね。
「食品は十分にあります。でも、一斉に買いだめされると、一時的に品薄になります」と。
つまり、買いだめも、人々が一斉にすれば、買い占めと同じで、困ることになるんだと。
だから「みんなで分け合う気持ちで、買いだめはやめましょう」と呼びかけている。



つまり、買い占めはもちろんだけど、買い置きや買いだめも今はやめてくれ、と言っているわけです。



ところが、素直に聞く人ばかりではありません。

「分け合いましょうと言われたって、自分だけ我慢して買わないでいたら、その分が困ってる人のところに行く保証でもあるの? 他の、欲張りな人が買うだけじゃないの?」と思ってしまう人も、いると思います。



これは、トイレットペーパーのときと、同じ心理状態です。

私自身、そのときは理性的なつもりだったのです。理性的に未来予測をして、未来が不安なので余分に買ったわけですね。
これは普段、折りに触れて、備蓄したり、保険に入るのと同じですよね。不安があることについて、人は備えをするのですから。




でも今回は、「今それをされたら他の人が困るかもなんだ。だからやめてください」と呼びかけられています。


なので、私は食品の買いだめはしないことにしました。週一回程度、普通に買い物に行くだけです。特に余計には買いません。



とはいえ、これがトイレットペーパーであればわかりません。
つまり私は、食べられなくなることより、捨てることができなくなることの方が、怖いのです。





誰しも、何が怖いか、何がウィークポイントかは、人によって違うと思います。

私は捨てられないことにより恐怖をいだきますが、食べられないことに恐怖を抱く人もまた多いでしょう。



ですから、耐えられる範囲でいいので、できる限り買いだめしないということを、おすすめしたいのです。



私だって、食品がなくても平気なわけじゃないのです。ちょっとは怖いんですよ。トイレ紙よりは不安が少ないだけです。




でも、耐えられる範囲でもいいので、買いだめをやめれば、それは不安を手放すという行動になります。


考えたら、トイレ紙も食品も、業界のほうで、「ある」と明言してるわけですから。戦争時みたいに、ガチで物資がなくなってるわけじゃない。人々の妄想というか、不安が、そもそもは「ある」のに、「ない」状態を作り出してしまっているだけです。
本当に困っている状態に比べれば、手放しやすい恐怖ではないでしょうか。





言ってみれば、これは手放しのチャンスなのです。越えられそうなハードルなら、超えておいたほうが得策ということです。





トイレ紙にせよ食品にせよ、生活必需品がなくなることへの不安は、経済への不安と同様に、人々の想念を物質世界にしばりつける、強力なファクターです。



ですから、その不安に突き動かされてしまいそうなときに、「分け合う気持ちで」と言われて買いだめを控えることは、それだけ恐怖心を克服することになります。




それでも不安なら、無理に我慢しろとまでは申しませんよ。不安が増大して、ネガティブに引っ張られるのもなんですから・・・そのぶん、お祈りをたくさんして、波動を上げ、他の面でネガティブを手放すようにしていけばいいのでは、と思います。





つまり私が言いたいのは、あなたが光の人であるなら、買いだめしないでと言われてるときに買いだめするのは、備えにならないかもしれない、ということです。

買いだめによって、恐怖心というネガティブを、とりあえずなだめて、仮の安心を手にすることはできます。でも根本的に恐怖心を手放したことにならないからです。


ですから、あなたが耐えられる範囲で買いだめを控え、耐えられないぶんはお祈りでカバーしていく、という両面で、手放しをしていかれてはどうでしょう、というおすすめです。









今の波動環境では、来年からはさらにいろいろなことが起きそうな様相です。

手放せるものは可能な限り手放しましょう。


何しろ、もっとも重要で、多大な備えは、可能な限りネガティブを手放しておくことだからなのです。





これらの感謝や手放しにより、生活上の不安を攻略するための、基本的なメソッドを押さえたうえで、
次回は話題を戻し、波動を上げるメソッドに目を向けてみましょう。






最後に、財の神、富の神への感謝の祈り、リンクを貼っておきますね。


https://ascension.hamazo.tv/e8128601.html









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