「思考の折り合い」といったもの ①

考え



 
  
  
    
      

地球さん

 スピリチュアルへのアプローチで私たちを阻んでいる壁を突破するために、可能な限り科学的な思考をしてみましょう
    

   
 


高貴なる光の皆様、いかがお過ごしでしょうか?




前回の続きです。


前回は記事を一時的に非表示にするという事態になりました。このシリーズ、つまり潜在意識の攻略をテーマにした場合、そもそも波動的な湧き上がりが物凄いんですが・・・

これはある種、やむを得ないと申しますか、考えようによってはそう悪い事態とばかりも言えないかもです。

スピリチュアルについて参考になる文献やサイトは数多くありますし・・、当ブログでアセンションを発信するようになってから、類似サイトも増えました。最近では財や富について触れるスピリチュアルが見られるのも、当ブログの影響かもですね。神髄をわかって書いているのでなければ、若干あやういかもしれませんが・・・。



でも、誰もこの領域に光を当てていないのです。

だから汚れが幾重にも折り重なってこびりついてるのです。ちょっとゆさぶるだけでワサワサと湧き上がってくるわけです。

いわば思考の大掃除をしようというわけですから、ある程度のことはやむを得ません。



と、いうわけで、続きを書きます。頭上の壁を突破したい方はおつきあいください。


今回の記事も、少し長いので2回に分けたいと思います。

一見、スピリチュアルから離れているように見えても、じっくりお読みになることをお勧めします。情報を提供したいのではなく、あなたの脳の壁をゆさぶるためのプラクティスですから・・・。





さて、マウントを取る、というキーワードから攻略を試みているわけですが・・・、

つまりこの物質世界というのは、長きにわたって否定的な思考にマウントを取られっぱなし状態なわけですね。

これは、スピリチュアルに懐疑的な人たちの、少々厄介なロジックが背景にあります。



前回、「スピリチュアルは本来はスピリチュアルではない」という話をしましたが──読者の方もまぎらわしいと思いますので、スピリチュアルという言葉自体は、従前どおりの意味合いで使わせていただくことにいたします。

とはいえ本来なら科学的であるものを、何だってスピリチュアルって呼ばなければならないのかねぇ・・というボヤき気分も否定できません。

こんなボヤきが出てくるのは、つまり、懐疑派の人たちの「科学で証明できないくせに」という、例のロジックのためですね。私から見ると奇妙なロジックです。


何度も書いてますように、彼らを論破したいとは考えません。あなたの中の彼らを論破したいと思っています。それがつまり「壁」の正体の、大きな一部だからです。






双葉 スピリチュアリストは多くの場面で思考に折り合いをつけることがある





表題の「思考の折り合い」という意味合いですが・・・、


この三密度物質世界で、私たちはしばしば、本音と建前を使い分けて生きています。

なんでもバシャールさんにとっては、これが地球人の一番分からない点だそうですが・・。それは彼の前世だというダリル・アンカも、スピリチュアルのチャネラーとして生計を立てていられるし、そんな必要がないからでしょう。



でも私たち、一般的な仕事を生業としているスピリチュアリストにとっては、これは生きるための方便です。


周囲の人たちの大半は、何も気づいていないし、気づいてないも何も、自分たちが良識的な人間と思っていて、それが「普通」ですから・・。

宗教への偏見も強いし、スピリチュアルといえば、すべて詐欺だと思っている人もいます。


また、スピリチュアルは、まっとうな科学を信じない、オカルト・マニアの集まりのように思っている人もいます。


そんな人たちに囲まれて生きている中で、下手にスピリチュアルを標ぼうしたら、周囲から孤立したり、場合によっては生活に支障をきたす可能性もあります。そうでなくても、本音で言い合うことで、互いに軋轢が生じ、波動が下がってしまいます。


少し極端なたとえですが、ナチス政権化のレジスタンスみたいなものです。ちょっとでも批判を口にすれば非国民扱いで、時には罰せられました。だから信念は胸に秘めて生きるしかなかったわけですね。

幸い民主主義の現代はそこまで怖いことはないけど、大多数の人々の思惑というのは、そういう負の力も持っています。

その中で生きるのですから、軋轢を生じないようにするのも、生きるための知恵です。




もちろん私は、できるだけ多くの人に、アセンションしてほしいと思っているし、そのためにも皆様に、世界平和の祈りを少しでも広めていただきたいとも思っています。

でも、正面切って彼らに議論をふっかけて、理屈で彼らを言い負かしたとしても、かえって逆効果なだけです。



この人なら分かってくれそうだな、という人に、祈りを周知してくれればいいし、それが無理なら、自分が、祈りやマントラなどで波動を上げ、自然に周囲の人たちの心に響かせるとか、

穏便に、波動を下げずに、効果的に人々の心を、アセンションに向かせていくことはできると思っています。ネットはこうしたアプローチに適したツールと言えますね。


スピリチュアル関係だけではありません。世の中には不条理なことが沢山あって、人は、まともに取り合っていたら生きていけない、という局面に、いくつも出会います。

論理的で、理性的でさえあればいいわけではなく、それだと逆に、角が立つことも多々あります。

そんなときは、その都度自分の中で、折り合いをつけないといけません。

「思考の折り合い」というのは、決して、自分の信念を捨てろとか、相手に迎合しろとかいうことではありません。


ただ、現実的な不都合が生じないように、とりあえず自分の考えは脇に置くとか、相手に調子を合わせるとかいったことで、生きていくうえでの方便といった意味合いです。






双葉 懐疑派 懐疑派と申しますけれど・・





前回の記事でも、奇跡現象とか超常現象と呼ばれるものに対して、科学的証明、証明と、科学を盾にして批判する人達が、

案外、自分は、それが無いということを科学的に証明できない、ということを述べてまいりましたね。

読者の皆様のうち、どれくらいの方が、こうした視点に立って考えたことがあったでしょうか?



スピリチュアルを、エセ科学だとか、非科学的だとか考える、「普通の」「良識的な」人たちについて、私達、スピリチュアリストは、あまり深く考察することがありません。


何といいますか、スピリチュアル的な人達って、ある意味、防戦一方ですよね。

反論するとしても、「世の中では科学では説明できないこともある」などと言うだけだったり。




でも、そんな言い方って、あたかも、彼らは科学的で、私らスピリチュアリストは科学的じゃないみたいではないですか。


私は、実際のところ、そうは思っていません。


科学的な人と、科学者とは、イコールではありません。

科学者というのは、科学の知識が豊富な研究者の人などであり、

科学的な人というのは、科学的な物の見方ができる人です。


簡単に言えば、知識と知性は違う、ということです。




ここで私自身の、思い出話をしてみたいと思います。

子供の頃、理科で習ったことがどうしても理解できなくて、びゃんびゃん泣いて、親を困らせた覚えがあります。

何がわからなかったかというと、原子や元素、分子の性質です。

水素はこうで、酸素はこう、と、それぞれの元素にそれぞれ性質がある。それが化合して分子になると、原子のときとは全く違う性質になったりする。

これがいくら考えても分かりませんでした。

「何で? 何で?」と泣きじゃくる私に、親も困り果て、ただ「だってそうなってるんだから」としか言えない。教科書にも書いてないし先生も教えてくれない。(このあたりから化学が苦手になったのかも・・・)

結局分からないまま、ただそうなってるものとして納得するしかありませんでした。でないと先に進めませんから・・。これぞ「思考の折り合い」初体験・・・。



大人になって、ふと一般向けの化学の本を手に取ってみました。

子供の頃と違って、化学も量子レベルから説明されるようになったようです。

しかしそれで疑問が解けたかというと、逆に深まるばかりでした。なまじ、原子とか分子の状態が図解されているから余計に悩ましくなります。

量子というだけあって、どの原子もあるのは原子核と電子だけで、違いは電子の数と配置だけ。原子核は陽子と中性子でできてるということも、奥に分け入れば素粒子があるのも同じ。分子はその組み合わせと結合が違うだけ。

なのにそれぞれ、性質に違いがあるのです。物によっては際立った違いです。


子供のころみたいに、びゃーびゃー泣くことはないけど、不可解な謎であることに変わりありません。



だってそうでしょう? 

たとえばレゴブロックで、色々なものを作ったとします。人とか車とか家とか飛行機とか・・。何を作ったとしてもその性質は変わりません。燃やせば同じ臭いのする、プラスティックです。どれも同じ材質のもので作ってるのですから、変わるはずがありません。

原子や分子も、一見全く同じ物でできています。にもかかわらずそれぞれの違いは、量的な差とはとても言い難い、質的な差です。

科学的に考えて、到底あり得る話ではありません。


皆様の中にも、不思議だと思われた方、一人や二人ではないのではないでしょうか。が、現実にそうなのですから、科学的な解答があるはずです。



今現在も、この謎に対して、地球世界での科学は答えを出していません。



しかし私にとって、それ以上になんとも不可解なのは、

これについて、いわゆる専門家である科学者の方たちが、そもそもこの事実を不可解と思っていないように見えることなのです。


この分野の専門家である人達は精緻な頭脳と豊富な知識を持ち、それぞれの元素についての性質、周期表とか族だとかいった形で整理した詳細なデータがあります。

しかし量的な違いだけで質的な違いが生まれるのは何故か、というのは、最大の謎といえます。科学者が科学者としての真面目な探求心を持つなら、解明すべき課題であるはずですが・・、

謎そのものより、科学者に謎だと認識している様子が見られないことが何とも奇妙に映りますし、そちらの方が謎と言ってもいいくらいです。


今の私の率直な見解では、これについて疑問を持たず、深く考えることもしないことが、地球人類の進化をさまたげているようにも思えるのですが・・。





こうした「科学のハテナ」ならず「科学者のハテナ」・・・、その不思議な思考があなたの中にも入りこんでいて、頭上の壁を作っている可能性はかなりあります。

この記事が、そこに焦点を当てるのもそのためです。


この「ハテナ」は、これだけに限ったものではありません。次回は別の例を見てみましょう。









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