この低い低い波動域の世界で、光の人はしばしばマウントを取られる。だがなにも自分からマウントを取られに行く必要はない
高貴なる光の皆様、いかがお過ごしでしょうか?
※一昨日にこの記事をアップして、深夜に非表示にしました。読みかけだった方には失礼しました。
実は低レベル想念波動の湧き上がりが予想以上にすさまじくて、記事が分解しそうでした。
記事には記事の波動があり、パワーがありますが、それが暗黒波動に引きずりおろされそうな勢いでした。そうなると記事は、物理的には変わらないのですが、力を失い崩壊します。
まあ、今回は、暗黒波動の大半がどこから来てるか、概ね見当がついています。読者様ではありません。読んだ人だとしても、当ブログのレクチャーを受けたいとフォローしてる方ではないと思います。
それでも昨年とは違い、今年の世界の波動の上昇に伴い、私もいくらか力をつけて──正確には本来の力を取り戻して──きていますので、時間をかけて少しずつ処理できるかとも思ったんですが・・、
実は遠出をする予定がありまして、運転を含め別のことをしながら処理をするのは無理があると判断しました。表示している限り暗黒波動が私につきまといますからリスクがあります。
それで一時、非表示にしておくことにしました。それで波動がいくらか安定したので、出かけることができました。
当ブログは情報ブログというよりブログが波動ですから、こういうこともあります。初めての方は慣れないでしょうが、ご了承くださいませね。
記事はほんの少しだけ変えましたが、ほぼ一昨日アップした時のままです。表示すればまた来るでしょうが、やれるだけやってみるつもりです。
********以下は記事となります*************
現在のところ、世界の波動の上昇基調はたゆむことなく順調に進んでおります。あなたがその波に乗っていられるなら、あなたも順調でしょう。
このところのテーマである、潜在意識の攻略とは、あなたがゆるぎなくこの上昇の波に乗っていく挑戦とも言えます。
最近、マウントを取るとか、取られるとかいう言い方をしますね。
mount=馬乗りになる という意味から、相手をねじふせる、転じてその場の空気を支配するみたいな感じで使われるようですが・・。
一般的に、「マウント」で私が思い浮かぶのは、カメラの架台の意味です。土台、架台。私個人はマウントを取る、取られるという言い方を初めて目にした時、こちらの意味でしっくりきました。自分の思考基盤を相手に持っていかれる、という感じです。当ブログにおいても、「思考基盤」的な意味合いで、この言葉を用いることにいたします。
これが、アセンションにおいても、光の人にとって、かなりな妨害となっていますので、今回はこの話をしましょう。
確信を抱く、という挑戦においても、この話ははずせない課題です。
研ぎ澄まされた精神が、’想い’の力を肌に感じ取る
錦織さんというアスリートがいますね。唐突ですけれど。
トップアスリートとしての数々の実績は知らない人もいないでしょうが、物質世界での評価はここではおくとして、スピリチュアルブログとしての観点から例にとりたいと思います。
数年前のある試合のインタビューで、勝負が拮抗しているときのことを振り返って話すのを聞いたことがあるのですが・・・、
私はスポーツには疎いので、相手が何という選手だったかは忘れました。当然ながら強豪です。仮にF選手としておきましょう。
で、相手に押されたとき、錦織さんは「Fの思惑を先に考えてしまって。Fがどう思うかに気を取られて、このままでは負けると思った」といった意味の述懐をしていました。
随分前に談話を聞いただけなので、言葉は正確ではないです。詳細を確認しようとググってみたのですが、全く出てきません。誰もこのコメントに注目した人がいなかったということでしょう。ですが私から見ますと、これ程この方の凄さを表してるセリフはないのではないかと思います。
’想い’が勝負の趨勢を決定づける、あるいはどちらが優勢であるかを表す決定要因であるかのようなセリフを当り前のように、実感をともなった口調で言うスポーツ選手を、私は他に知りません。
勝負の世界に生きる人が、すべてこのように研ぎ澄まされた精神を持っているわけではありませんので、光の同志ではないとしても優れた資質であることには違いないでしょう。
勝負の世界に生きていると言えば、私たちもそうかもしれません。
ワンダラー、光の戦士、高度なスピリチュアリストであるほど、起きているとき、寝ているとき、どんなときでも、臨戦状態にありますから、この「想いを持っていかれる」という状態を、肌身に感じる人もおられると思います。
皆様がそれをどのように捉えているかは、それぞれと思いますが・・・、
私が相手にしているのは、波動そのものです。そしてそれが具体的に感知されます。
先週、しばらくぶりに話した知人から大量の寄越し。数日、彼女のことが頭から離れませんでした。
昨夜はまた、久しぶりに例の憑依霊S・T氏の夢を見ました。波動状態が夢にあらわれるタイプの夢です。最近この人のことを書きませんでしたが、彼による寄越しや憑依は完全に払しょくできたわけでもなく、今でも時々こうしたことがあります。この人の想念波動がべったりと自分に貼りついているような不快さを覚えます。
こうした、低レベル想念波動の寄越しをされるとき、想念をその人に席巻されます。すぐに処理できないとそうなります。
別にその人のことが好きでも嫌いでもないのに、ただ寄越されるからその人の事を思ったり考えたりしまっている状態。
相手の思惑に、自分が気を取られている状態。
寄越しによる典型的な症状です。
「マウントを取られる」というのは、科学的な事象としては、まさにこの状態を言うと思われます。
問題は、これが、あなたの潜在意識が確信を抱くことを、阻害している、最も大きな原因の一つであることです。
高波動の人ほど’マウント’に苦悩する
さて、このシリーズ、奇跡というテーマで説明してまいりました記事の最初の方で、とある祈り同志のケースを例として挙げましたね。
「最初の記事で挙げた同志」とかいちいち書くのが面倒になってきたので、Aさんとしておきましょう。
たび重ねてこの人を例にとるのは、ある高度な域に進んできた祈り人や光の戦士が、次の段階に進むのを阻むジレンマや問題を表している、典型的なものが見られるからです。
先日A氏と話をしたときにもう一つ気づいたのは、別の人の視点を想定して語ることです。
もちろん、こういう事が出来るのは、よほど知的な人でないと無理で、そうでない人は、その想像力もありません。
ただ、問題となるのは、その想像力が、ネガティブな方向に向いていることです。
彼は祈りの会に入ったのも随分若い頃からで、私よりもずっと熱心な信奉者です。他にそれ以上のものなどないと思っていると思われます。
でも、他の宗教では他の宗教で、おのおの自分の団体が最高と思っているであろうことや、
何も信じていない人から見ると、スピリチュアリストがどう見えるか──要は、ハタから見れば我々は「オカルトを信じている常識外の集団」に見えてる的な話──
つまり他の人々の視点に立った話をするので、
「他の人がどう思うかはいいとして、「あなたは」どう思うのか」と尋ねてしまったほどでした。
スピリチュアルだけではないのですが、たとえば自分が好もしいと思っているものについて、ネットなどでディスりを見るとか、とにかく自分にとって不快なニュースとかテレビ番組を見ている。
そして彼らの批判を批判する。
つまり、自分と価値観の違う人達の考えを、先回りして彼らを批判するのです。
自分のネガティブを増幅させてでもそうしたものに目を向け、それを誰かに吐露するのです。
(誰か、というのは、この場合私のことですが、ご本人にとっては、言いやすい相手なら誰でもいいと思われます。)
実はそういう人物が、知人にもう一人いるんですが──、
そうした時の彼らからは、ネガティブがモワモワと湧き上がっています。本人は見えないんでしょうが・・・
私はたまりかねて、思わず言います。
「なぜあなたは、人々の、自分にとって好もしくないであろう反応を、先回りして自分で考えるのか」
「なぜあなたは、不快だと思うものを進んで見て、しかもそこで抱いた不快を人に転嫁しようとするのか」
当ブログでも、スピリチュアルに批判的な人たちについて書くことはありますが・・・、
しかし、その目的は正反対です。
それは読者の皆様に、同調しないでほしい、わざわざ軋轢を起こす必要はなくスルーしてほしいという話です。
つまり、ネガティブを増幅しないでほしいから書く場合です。
彼らの場合は、自分が感じたストレスを、こちらに転嫁してくるわけです。
自分の抱えているネガティブを、明快にことばにして寄越してくるわけです。
転嫁したからといって、ご本人のネガティブが消えることはなく、増幅するだけなのですが──
祈りの会も他の宗教団体も一緒、ただ自分の信じることを信じるだけと思うなら、それもいいでしょう。
実のところ、宗教だろうが、宗教を批判する人だろうが、結局は自分の信じるものを信じているにすぎないのです。
ですが、自分たちを信じない人たちの思考を、自分をネガティブにしてまでたどる必要などありません。でしょう?
いえもちろん、必要な場合もありますよ。
反対意見の中に、参考になるものがあるから見ているというならわかるし・・・、
ネガティブな思考を、自分の中で論理的に封じるため、とかいうならわかります。
でも、度を越えて、他者の思考を自分の中で描く必要はないし、ましてや、そうやって増幅したネガティブを、人に転嫁するなど、不要という以上です。
相手にネガティブを転嫁し互いにネガティブで共振して、どんな益があるでしょう?
自分自身の信じているものと、不協和音を起こし、不快になるだけなのに、なぜ見るのか? 気にするのか?
なぜ、自分から「マウントを取られにいく」のか?
上述のように、これは、私の周りの僅かな人だけの思考ではありません。
読者の方の中にも、こうしたパターンを持ってしまう人はかなりいるであろうと思われます。
私が例に挙げた人、どちらも知性的な人で、波動も高いのです。
おそらくはそれゆえに、周囲の思考に翻弄されているのです。
マウントを取られるのはやむを得ない。だがマウントを差し出すな
この世界は、今の所、ネガティブな想念で満ち満ちています。
そして、波動域の高い人ほど、本人が意識せずとも、周りから低い波動を寄越され、侵入され、
常に、うっすらとした不快を抱き、うっすらとマウントを取られている状態にあります。
他者の思考、思惑を気にしないでいられないのは、彼らの想念波動を寄越されているからです。
上述のように、私自身も、大量寄越しをされることがしばしばあるので、これに悩まされてきました。
しかも、当初はそれが、想念波動寄越しに思考を侵食されているからだと気づきませんでした。
ですから、まずはそれに気づくことだと思います。
彼らの低レベルに影響されないようにするには、自分の中の低レベル波動を消し去る以外にはありません。
そのために、祈りやマントラで、高波動域から光を呼び込むことを、たゆみなく繰り返していく必要があるのです。
それでも、まだまだ膨大にある低レベル想念波動に影響されてしまうのです。
それは本人にとってかなり不快なことなので、反発を覚えたり、反駁したりしたくなるのです。
問題は、いつもそういう人に影響を受けているうちに、ある思考パターンに陥っていしまっていることです。
つづめて言えば、「他人から見たら自分たちはどう見えるのか」という思考パターンです。
それは、とりも直さず、自分たちの物の見方が普通ではなく、神秘的なものや宗教にハマっている変わった人達という、世間一般の見方で見るということです。
他者目線、他者規準の思考です。
それは心のどこかで、自分達について、社会通念を欠いているかのような後ろめたさを持っているのに違いないのです。
つまり、さまざまなスピリチュアル情報を見聞きし、真実の世界観や宇宙観を知っていながら、
まだ心のどこかで、何も気づいていない人たちこそが良識的な人たちであり、それが普通なのであり、そして科学的であり、
スピリチュアルは非科学的である、オカルトチックであると思っているということです。
それが、他の一般的な人達や、ネガティブなディスり連中の思考をフォローしてしまう、
つまり、少しきつい言い方をすれば、「彼らの顔色をうかがってしまう」というパターンに、繋がっていると思われます。
これは実は、モラルハラスメントを受けている被害者のパターンに非常によく似ているのですが──
自分をディスっている(つまり、カルマ寄越しというのは波動的には一種のディスりです)人たちの顔色をうかがって、つまり思考の先回りをすることで、
結果として、自らマウントを差し出してしまうのです。
これが、スピリチュアルの進捗に、はなはだ大きな障壁となっていることは、言うまでもありません。
スピリチュアリストは、真実にはスピリチュアルではない
そもそも、頻繁に使っているのに何ですが、スピリチュアルという言い方自体、私はあまり好きじゃなくて、かつては使ったことがなかったほどです。
スピリチュアルという呼び方自体が、当面の、便宜上の呼び方で、いずれはなくなるものと思って使っています。
つまり、スピリチュアルも何も、それこそが本来の、単なる事実を直視している科学的な見方であり、
今現在の地球の科学のほうが、かなり遅れていて、むしろ迷信深いと思っています。
広い宇宙のなかでも、地球のような惑星は特殊です。とことんまで低レベルになってみている、という意味で・・・。
上位次元の、周囲の惑星の人達から見れば、何も気づいていない一般的な地球人のほうが奇妙な集団なのです。
もっとぶっちゃけた言い方をすると、
今時点で、何も気づいていない地球の人々というのは、ある種の妄想にとらわれた、かなり変わった人の集まりなのです。
つまり、スピリチュアリストである私達こそが、常識的な、普通の人であり、リアリストなのです。
こういうことを言いますと──
上述のAさんも、読者様も、「そんなことは分かってるよ」と思うかもしれません。
でも、心から、微塵も疑いなくそう思ってるなら、その変わった人たちの思惑など、気にする必要はないと思います。
いや、必要がないというより、気にし過ぎるのは害があります。
あなたの心の健康や、次元上昇に対して弊害があります。
私個人は、周囲のほとんどの人が、その「変わった人たち」なんですから、調子を合わせてないと、生活上、支障が生じるからそうしてるだけです。
合わせてるといえば、仮にスピリチュアリストであっても、私は、相手の段階に応じて、調子を合わせていますよ。
A氏には「「あなたはどう思うのか」と尋ねてしまった」と書きましたが、
もっと初歩的な人だったら、そんなことすら言いませんよ。言っても通じなさそうな相手には、はなから言いません。適当に合わせます。
なんであれ、人が相手に話を合わせられるのは、相手を論破する必要がないからです。
それは、子供の話に大人が調子を合わせるのと同じです。
皆様はどうでしょうか?
胸に手を当てて、正直に考えてみてください。
別に恥じる事はないですよ。誰かに対して、てらう必要はありません。自分の心の中のことなんですから。
ここをクリアしてもらわないと、頭上の壁を突破するのは無理だと思いますから、ご自分に正直になっていただくのが大事です。
つまり、自分自身の信念に対する偏見が、周囲の人だけではなく、自分自身の中にもあることを認めることが大事なのです。
まず第一に、ご自分が誰かにマウントを取られていることを、自覚してください。
素直にそれを認め、こう思ってください。
「神よ、高位神霊がたよ、私は今、〇〇にマウントを取られている。
それはこの低い想念波動の世界では、しかたがない。
だが〇〇の低い想念波動を、掴んでしまっていることには違いない。
私はそれを手放さなければならない。手放させたまえ」
と。
当ブログでもそれをお手伝いしようと思います。
次回は、その、「彼ら」、地球では常識、宇宙では非常識な人々の思考にあえて切り込んでみましょう。
彼らからマウントを取るためでなく、
彼らを論破するのが目的でもありません。
あえて言うなら、あなた自身の中にある彼らの思考を論破するためです。
あなた自身が彼らの思考パターンを、スルーできるようにするためです。
私たちスピリチュアリストのマウントを取ろうとする思考・想念が、むしろかなり変わっていて奇妙であることを、
あなた自身が、あなた自身にわからせる必要があるからです。
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