もしかして
「シュレディンガー」で 検索してこられた方がいたら
このログ カテゴリでお分かりのとおり、物理学のお話というよりスピリチュアルなテーマです。
とはいえ、科学と言えば科学です
昨日(もう一昨日か)はかの有名なシュレディンガーさんのお誕生日だったそうです
シュレディンガーさんは、本当はシュレーディンガーさんみたいですね 私はシュレディンガーさんのほうが馴染みのある読み方なのでそちらで呼ばせていただきます
シュレディンガーさんといえば 波動関数とかシュレディンガー方程式とか が、何とはなしに連想されるほど、私たち一般人にも有名な物理学者さんですね
余談ですが この間、テレビで物理学の先生がレクチャーしてくれるのを見ていたら、波動関数という言い方がどうも呼び名として誤解を与えるので、ここでは状態関数と呼ぶことにします と。
状態関数 と言われると、物体の状態をあらわす関数なんだな、と定義が鮮明になります
数式自体は難解でお手上げなんだけど、ことばが変わるだけでセオリーが見えてくる気がしますね
話をもどしますと、シュレディンガーさんでわれわれ一般人が思い浮かべるのは、何と言っても「シュレディンガーの猫」の話でしょう
シュレディンガーの猫 ってどういう話なのか
ご存知のかたはスルーしていただきたいですが、一応簡単に説明しますと──(物理学に詳しいかた、細かいところは気にしないでね)
ちょっとググってウィキあたりを見ると、原子崩壊がどうやらこうやら、と出てくるので、極めて難解な話に見えます
しかし彼が言いたかったことはとても鮮明な話で、一般人にもよく理解できるものです
量子力学の代表的な解釈において粒子は
ある状態と 別の状態を確率的に記述する
しかもそれは、いずれか一方の状態にあるのではなく
同時にどちらでもある
観測者がそれを観測するまでは。
つまり
極小の世界では 一つの粒子が Aという状態と Bという状態、どちらでもある
というのが量子論の世界
状態の重なり合いとか 言うそうで。
「ハア? 何ですと? 同時にどちらでもあるってナニソレ?」
と 普通の人なら思う
シュレディンガーさんも釈然としなかったらしい
そこで賢い彼は、それがいかにナニソレであるかを言うために、猫の手を借りることにした

上記の理論で記述されるものの一つ、原子崩壊
原子崩壊というのは、放射性のある元素の原子核が崩壊していくことを言います(厳密ではないけどざっくりとは)
ある元素の原子核の粒子が外に飛び出して原子核が元の状態から崩壊していくさまは、一気に同時に起きるわけではないので、いずれの原子核が崩壊していくかはそのときそのときなわけですが
これが確率的に起きるというまではいいとして
それが50パーセントの確率で分布し、しかもそれが「同時に」その半々の状態でいるという
ならば、もしそれを、私たちの暮らすマクロな世界に置き換えたらどうか
彼は原子崩壊の一つであるアルファ崩壊を例にとり
アルファ崩壊が起きたら、青酸ガスが出るしくみを作ったとする(まあ実際は何でもよかったのですが)
そのしくみを持った箱に猫を入れておく
要するに、原子崩壊という極小の世界で起きる現象が、猫の生死を決する というしくみをつくる
この箱は開けない限り、観測者には、猫の生死はわからない
もしも原子崩壊が確率的に分布し それが観測者が観測するまでどちらの状態でもあるというなら
猫もまた 箱を開けるまで
死んでいる状態と
生きている状態を
同時にとっている
ことになる
このハナシのキモは
人が見るまで 猫は、「死んでいるかもしれないし生きているかもしれないし、わからない」
のではなく
人が見るまで 猫は、「死んでいるし 生きている その両方である」
となる というのが
そんなんありえへんやろ? どや?
とは言わかなかったが、そんな気持ちをこめた批判がこのシュレディンガーの猫という有名な話(思考実験というらしいです)の意図するところなわけで
もっとかみくだいて言うと、
極小の世界ではこんななんですよ
という学派にたいし
その極小の世界が、世界を作っているのだ 極小の世界ではこうで、私たちのが普段暮らす世界ではこう、と、それぞれにセオリーが違うなんてどう考えてもヘンだろう
と
非常に常識的で基本的な批判がシュレディンガーの猫なわけですね
このテーマに関しては実のところ、厳密に解決はされていないようで
猫の生死であってさえ観測者が一つの状態に収束させるというコペンハーゲン解釈(量子の世界をマクロ世界にそのまま置き換える無理について批判もある)や
世界が分岐を繰り返し同時に進行する並行世界という考えの多世界解釈(後述)※
などがあるようです
さて 話はここからが面白い(?)。
地球さんが今向かっている5次元の世界
この上位次元までをセオリーに組み込んで世界を見る時
つまり現代科学の先にある科学
現時点では「スピリチュアル」と呼ばれてしまう、未来の科学を信じるなら
猫は生きてもいるし
死んでもいる
つまり量子論の世界同様である
観測者は一つの世界を選び取るが
その選択をした途端、もう一方の世界が消滅するわけでは必ずしも、ない
現代の常識においては、まさにSFの世界
それが実は現実の世界
つまり
量子の世界も
猫と私たちの暮す普通の世界も
どちらも同じであり
猫に置き換えても矛盾はなく、同じである
私たちは複数の状態をとり、複数のまま存在している
それは現在のところ無限にある並行世界として同時進行している
だから、こうしてパソコンを開いている私もいて
もう遅いから寝ちゃっている私もいるかも
あるいは もうこの人生を卒業して肉体を離れている私もいるかもしれない
原子崩壊によって生死が分かれるというような思考実験を持ち出すまでもなく
私たちは常に常に運命を同時に並行に生きている
その分岐は文字通り無数であるが
ただし、その人の「波動状態」(!)によって(何と私たちも状態関数で記述できるようだ)、どのような分岐、どのような並行世界を生きているかは違う
仮に私がある低い周波数世界を卒業すれば
その周波数世界の私は存在しなくなる
私たちが直面している分岐とは
並行世界にいる私たちが初めて経験する大きな分岐である
つまり、現在のところは並行世界(パラレルワールド)だが、
この分岐については、むしろコペンハーゲン解釈の世界に近い
私たちは上位次元に到達するにあたり
下位の次元階層から消滅する
また、下位の次元階層にとどまる人は
これから向かう次元階層の世界から見ると 消滅する
シュレディンガーの猫が入った箱が まさに開けられようとしている
私たちはどちらに行くのか
あなたの猫は、死んでいるのか、生きているのか──
祈りやマントラを日常とする人にとっては答えが出ている
そうでない人には未知数である
※コペンハーゲン解釈
世界は、ここでいうなら猫の生死は、その瞬間までそれぞれの世界が重なり合って存在しているが、その分岐が起こるまではとりうるパス(世界)は重なり合っているが、分岐点を通過するのは一つしかない という点で、並行世界という概念とは異なる
※多世界解釈
エベレットの多世界解釈と言われる。無限に世界が分かれてどんどん増えていくという、パラレルワールド仮説に近い考え。
(※多世界解釈について、あらためて確認したところ、この記事を書いた当時ググった時と違う説明が出てきましたので、それに沿って訂正いたしました。このログのテーマ自体には直接の影響はありません。)
「シュレディンガー」で 検索してこられた方がいたら
このログ カテゴリでお分かりのとおり、物理学のお話というよりスピリチュアルなテーマです。
とはいえ、科学と言えば科学です







昨日(もう一昨日か)はかの有名なシュレディンガーさんのお誕生日だったそうです
シュレディンガーさんは、本当はシュレーディンガーさんみたいですね 私はシュレディンガーさんのほうが馴染みのある読み方なのでそちらで呼ばせていただきます
シュレディンガーさんといえば 波動関数とかシュレディンガー方程式とか が、何とはなしに連想されるほど、私たち一般人にも有名な物理学者さんですね
余談ですが この間、テレビで物理学の先生がレクチャーしてくれるのを見ていたら、波動関数という言い方がどうも呼び名として誤解を与えるので、ここでは状態関数と呼ぶことにします と。
状態関数 と言われると、物体の状態をあらわす関数なんだな、と定義が鮮明になります
数式自体は難解でお手上げなんだけど、ことばが変わるだけでセオリーが見えてくる気がしますね
話をもどしますと、シュレディンガーさんでわれわれ一般人が思い浮かべるのは、何と言っても「シュレディンガーの猫」の話でしょう
シュレディンガーの猫 ってどういう話なのか
ご存知のかたはスルーしていただきたいですが、一応簡単に説明しますと──(物理学に詳しいかた、細かいところは気にしないでね)






ちょっとググってウィキあたりを見ると、原子崩壊がどうやらこうやら、と出てくるので、極めて難解な話に見えます
しかし彼が言いたかったことはとても鮮明な話で、一般人にもよく理解できるものです
量子力学の代表的な解釈において粒子は
ある状態と 別の状態を確率的に記述する
しかもそれは、いずれか一方の状態にあるのではなく
同時にどちらでもある
観測者がそれを観測するまでは。
つまり
極小の世界では 一つの粒子が Aという状態と Bという状態、どちらでもある
というのが量子論の世界
状態の重なり合いとか 言うそうで。
「ハア? 何ですと? 同時にどちらでもあるってナニソレ?」
と 普通の人なら思う
シュレディンガーさんも釈然としなかったらしい
そこで賢い彼は、それがいかにナニソレであるかを言うために、猫の手を借りることにした

上記の理論で記述されるものの一つ、原子崩壊
原子崩壊というのは、放射性のある元素の原子核が崩壊していくことを言います(厳密ではないけどざっくりとは)
ある元素の原子核の粒子が外に飛び出して原子核が元の状態から崩壊していくさまは、一気に同時に起きるわけではないので、いずれの原子核が崩壊していくかはそのときそのときなわけですが
これが確率的に起きるというまではいいとして
それが50パーセントの確率で分布し、しかもそれが「同時に」その半々の状態でいるという
ならば、もしそれを、私たちの暮らすマクロな世界に置き換えたらどうか
彼は原子崩壊の一つであるアルファ崩壊を例にとり
アルファ崩壊が起きたら、青酸ガスが出るしくみを作ったとする(まあ実際は何でもよかったのですが)
そのしくみを持った箱に猫を入れておく
要するに、原子崩壊という極小の世界で起きる現象が、猫の生死を決する というしくみをつくる
この箱は開けない限り、観測者には、猫の生死はわからない
もしも原子崩壊が確率的に分布し それが観測者が観測するまでどちらの状態でもあるというなら
猫もまた 箱を開けるまで
死んでいる状態と
生きている状態を
同時にとっている
ことになる
このハナシのキモは
人が見るまで 猫は、「死んでいるかもしれないし生きているかもしれないし、わからない」
のではなく
人が見るまで 猫は、「死んでいるし 生きている その両方である」
となる というのが
そんなんありえへんやろ? どや?
とは言わかなかったが、そんな気持ちをこめた批判がこのシュレディンガーの猫という有名な話(思考実験というらしいです)の意図するところなわけで
もっとかみくだいて言うと、
極小の世界ではこんななんですよ
という学派にたいし
その極小の世界が、世界を作っているのだ 極小の世界ではこうで、私たちのが普段暮らす世界ではこう、と、それぞれにセオリーが違うなんてどう考えてもヘンだろう
と
非常に常識的で基本的な批判がシュレディンガーの猫なわけですね
このテーマに関しては実のところ、厳密に解決はされていないようで
猫の生死であってさえ観測者が一つの状態に収束させるというコペンハーゲン解釈(量子の世界をマクロ世界にそのまま置き換える無理について批判もある)や
世界が分岐を繰り返し同時に進行する並行世界という考えの多世界解釈(後述)※
などがあるようです






さて 話はここからが面白い(?)。
地球さんが今向かっている5次元の世界
この上位次元までをセオリーに組み込んで世界を見る時
つまり現代科学の先にある科学
現時点では「スピリチュアル」と呼ばれてしまう、未来の科学を信じるなら
猫は生きてもいるし
死んでもいる
つまり量子論の世界同様である
観測者は一つの世界を選び取るが
その選択をした途端、もう一方の世界が消滅するわけでは必ずしも、ない
現代の常識においては、まさにSFの世界
それが実は現実の世界
つまり
量子の世界も
猫と私たちの暮す普通の世界も
どちらも同じであり
猫に置き換えても矛盾はなく、同じである
私たちは複数の状態をとり、複数のまま存在している
それは現在のところ無限にある並行世界として同時進行している
だから、こうしてパソコンを開いている私もいて
もう遅いから寝ちゃっている私もいるかも
あるいは もうこの人生を卒業して肉体を離れている私もいるかもしれない
原子崩壊によって生死が分かれるというような思考実験を持ち出すまでもなく
私たちは常に常に運命を同時に並行に生きている
その分岐は文字通り無数であるが
ただし、その人の「波動状態」(!)によって(何と私たちも状態関数で記述できるようだ)、どのような分岐、どのような並行世界を生きているかは違う
仮に私がある低い周波数世界を卒業すれば
その周波数世界の私は存在しなくなる
私たちが直面している分岐とは
並行世界にいる私たちが初めて経験する大きな分岐である
つまり、現在のところは並行世界(パラレルワールド)だが、
この分岐については、むしろコペンハーゲン解釈の世界に近い
私たちは上位次元に到達するにあたり
下位の次元階層から消滅する
また、下位の次元階層にとどまる人は
これから向かう次元階層の世界から見ると 消滅する
シュレディンガーの猫が入った箱が まさに開けられようとしている
私たちはどちらに行くのか
あなたの猫は、死んでいるのか、生きているのか──
祈りやマントラを日常とする人にとっては答えが出ている
そうでない人には未知数である
※コペンハーゲン解釈
世界は、ここでいうなら猫の生死は、その瞬間までそれぞれの世界が重なり合って存在しているが、その分岐が起こるまではとりうるパス(世界)は重なり合っているが、分岐点を通過するのは一つしかない という点で、並行世界という概念とは異なる
※多世界解釈
エベレットの多世界解釈と言われる。無限に世界が分かれてどんどん増えていくという、パラレルワールド仮説に近い考え。
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