2018年アセンション ──自己を拡大する──

想い



   
      
    
      

地球さん

 人は、自分さえよければいい。どんなに魂が成長しても、自分さえよければいいという想いは変わらなくてもいい。ただ、その「自分」が拡大してゆくのだ
  
  






光の皆様、こんばんは。


本日深夜は、同時瞑想ですね。ご参加いただければと存じます。



さて、この所、文献と、テレビ(も、大半は資料として)、それとネットのし過ぎとで、眼の機能低下を招いてしまい、少し自重しています。このため記事の間が空いてしまいました。




しかし波動の進捗は順調です。しんどいにはしんどいんだが、坂が急になった分しんどいというだけで、同じところを楽にチンタラ昇ったらかかる時間の十分の一とかで進む速さで進捗しています。


春分の波動も、ターボかスーパーチャージャーになってくれる事でしょう。ゲートが開き、グレートセントラルサンからの光を享受できるよう、今からイメージを高めてまいりましょう。

恐らく、この、エポックポイントの直前に当ブログを開く人があまりいないと思いますが、今回のログは、同時瞑想前にお読みいただければ、なおさらテンションを高めますし、

それ以降でも、あなたのテンションを維持し、高める、つまり波動の照準にご活用いただけるかと存じます。



私は、この所、進捗が順調な分、憑依や寄越しもひどく、それも、こちらに罪悪感を起こさせようとするものがよく攻撃的な想念を送ってきます。

この、責める想いというのは、そうした憑依霊やカルマ寄越しども、自身が持っているもので、それをこちらに転嫁してくるわけです。


私は、これと闘っていますが、実は、祈り人、光の皆様にも、ぜひ、打ち勝ってほしいもののひとつが、この、罪悪感というものです。

暗黒波動やカルマ想念の、その大元は、「恐れ」ですが、

この恐れの一種で、皆様、光の人はもちろん、良心的な人たちにとって、最も厄介なネガティブの一つが罪悪感です。




私にも、この罪悪感寄越し連中が来ます。昨日など、「ちゃんと就職して働いたらどうなの?」と、言ってきた輩がいました。

ああ、なんて低レベル波動なんだろう。私がこのところ、会社勤めから離れているので、なまけてるように見えるんでしょうか。波動レベルが理解できない域の者であるのは、間違いなさそうです。というか、会社に行ってなくても、物質レベル霊的レベル、両面で、休日も無いくらい仕事してるんですが。わからんのかね? と言いたくなりました。

しかも、物質レベル、霊的レベル、と書きましたが、本来はそんな区別はないのです。

今物質世界の仕事として、懸命に働いている人たち、その仕事がどのようなものでも、それは波動を上げるためにやっているものです。

この仕事の件はまた、別の記事で後述しましょう。ともあれ、光の人々よ、あなたはご自分のしている普段の仕事を「仕事」と称し、スピリチュアルな行動、祈りや、瞑想を、仕事だとは思っていないかもしれませんが、これこそ最も重大な仕事です。

仕事が世界を良くし、平和と、人類の進化に導くための行動と定義するなら、これほど大きな仕事はそう多くはありません。




あなたがこの春分でグレートセントラルサンからの波動を享受すること、そのためのゲートをあなた自身に向けて開くこと、その波動を共有し、増幅させるための同時瞑想、それが、あなたが毎日身を粉にして働く「仕事」の、百倍以上の価値がある仕事です。


つまりあなたは、この春分という光の祭典で、波動的には、普段の物質的な仕事の十年分位の仕事をやってのける事ができます。


ですから、仮にあなたが失業していたとしても、あなたが光の戦士である限り、あなたは神々と人類にとって至宝であり、珠玉の存在です。

あなたが光の戦士として成熟すれば、数千人、あるいは一万人、あるいはそれ以上の人を光に導けます。それほどの影響力があります。







その、人類の至宝であるあなたは、しかし、一見、普通の人で、光の人かどうかなんてわかりませんよね?

実際、私もそうですが、誰が見ても、普通の人間にしか見えないと思います。その意味であなたもそうだと思います。外見だけではわからないですよね。多分、話してみても分からないですよね。

仮に、ここにローマ法皇とか、どこかのお寺の大僧正がいたとしましょう。そこに他の、普通の恰好した普通の人が並んでたとします。

もし私が、「どちらが立派だと思いますか?」と聞かれたら、恐らく「さあ。わかりません」と答えるでしょう。

もしくは、社会通念上の配慮から、ローマ法皇と答えるかもしれませんが、内心で「服装だけで見るなら」と付け加えるでしょう。

私が分かるのは、サイババ尊師のような降臨の神レベルで、その位、高位の光でないと、私には分かりません。しばらく付き合えばわかるかもしれませんが。

しかし、分からない人には、その光も見えません。恐らく皆様も、分からない方が多いでしょう。何しろ、私が知る限り、読者の方は、ご自分自身の光が見えている方も少数です。




だから、「あなたは光の人なのだ、立派な人なのだ」、と言ったって、「そ、そう・・・?」と、ちょっと照れながら答えるくらいでしょう。



ご自分でも、自分が立派なんて思わないでしょう? 

たとえば、あなたは、人類の為なら、自分は死んでも、苦難に見舞われても、どうなっても構わない、なんて思わないでしょう?

「いや、思うよ。子供の為なら」「私だって。家族のためなら」という人もいるかもしれませんが、「他人の事までは・・・」と思うでしょう。






当ブログでは、昨年そうであったように、今年も、物質世界の呪縛からの解放について、語ってゆきたいと思っていますが、

せっかくの春分ですから、この辺りについて、先に語っておきたいと思います。




あなたが、この先、波動域を上げていっても、やはりあなたは、人類の為なら自分はどうなってもいい、なんて思えないだろうし、

自分さえよければ、他人がどうであろうと、気の毒とは思うけど、それ以上には思わないだろうし、

あなたは表面上の思考は、たぶん、ずっとそんな、善良な小市民のままでしょう。





私はあなたに、人類の為なら私はどうなってもいい、とか、思うような、立派な人になってほしい、とは思っていません。

私自身、そうなりたいわけでもありません。その点は、正直、「どっちでもいい」点なのです。





高貴なる光の戦士がたよ、私があなた様がたになってほしいのは、

あなたが自分と思うその「自分」を、拡大していくことです。





自分が拡大してゆくと、まずは、子供や親の事を、自分と同じ、自分のように感じます。

その次は、親族などの身内、次には友人知人なども、自分のように感じます。

その次に、ある団体や、地域の人なども、自分のように感じます。

あるいは、そうしたものには共感できない場合は、あなたが共感できる人たち──たとえば、ネットなどで知った、自分と共通の想いを抱く人を、自分のように感じます。




霊性を開発し、波動を高めるほど、自分のことはどうでもよく、人のことばかり思うようになる、のではなく、

あなたが「自分」と感じる、そのアイデンティティが拡大してゆくので、あなたは人のことも大事になるのです。


それは、自分より人が大事、という、自利利他とはちょっと違うんです。悟りを開くと、自利利他、つまり他者の為に自分を使うみたいな境地になると思うでしょうし、そういう人もいるかもですが・・・。

それって、でも、私はあまり好みじゃないのです。そういうのが好きな人もいるかもですよ。でも私は好きじゃありません。

考え方の問題なので、別にいいんですよ。どっちが好きでも。





私の考える悟りとか、霊性の開発というのは、自己という「場」の拡大なのです。

私は、昔も今も、自分さえよければいいのです。ただ、その、自分と感じる範囲を広げようとしてるだけなのです。


よく、社会性が高い人が、自分から見たら嫌な人も、他の人の立場から見ればいい人だとか、客観的、相対的に見られるのも、さまざまな人格、立場の視点から見られるからです。そうした視野の広がりも、自己の広がりへの一つの現れと言えます。

自分にとって大切な人が、快適であれば、まるで自分が快適であるかのように感じる、それも、自己の拡大の一つです。

自己の拡大とはそういう事で、意識の拡大です。他人を押しのけて、自分の地位を拡大してゆくとかいうこととは違いますよ。

そうした、自分と思える「場」を広げてゆくと、最終的には、世界人類が、全部「自分」だと思えるように、なりますよね?

ですから、自分がよければいい=世界人類がよければいい となってゆきますね。





自己犠牲みたいに、人の為に自分を犠牲にする、というのも、ある種の霊的な昇華なので、素晴らしいとは思いますが。

しかし、別の見方をすれば、「自分」と「他者」があるから、自分を犠牲にできる、という見方もできますよね。

つまり、自分がどうでもいいというのは、本当に、エゴを滅却して、他の人のためになることを神への回帰とする、という、境地の人もいますが、

そうでなく、エゴの一部として、自分を痛めつける、というパターンもあります。

前者のパターンなら素晴らしいのですが、自分のエゴのために、あえて自己犠牲するのは、境地への到達とは、違います。

その方の内面ですから、どちらかはハタからはわかりにくいです。

私は、この前者にあたる、自己犠牲によってエゴを滅却する、というパターンは、十万人に一人も無理だと思っていますし、その道筋しか悟りの境地がないとも、実は思ってません。





多くの人にとって可能であり、自然なのは、自己の拡大です。

自己を拡大してゆくと、誰もが自己なので、人々の快楽があなたの快楽になります。


そういう道筋によって、自然に、波動を上げ、自己という器を拡大してゆくことは、自分を痛めつけずに、アセンションを成し遂げてゆく道です。


そういうわけで、私は、皆様に、自分を良くしてほしい、そして、その「自分」をどんどん拡大してほしい、と思っているのです。


その話を書くのは、今年の波動が、それを実現してゆくだけの波動域に入ってきているからです。


春分はその大きなステップボードです。同時瞑想はもちろん、それ以降も、あなたが開いたあなたのゲートから、流れ込む光に、十分に浴し、ご自身という器の拡大にいそしむことを、お勧めしたいと存じます。









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