パワースポットの真実を知る

滝




  
  
    
      

地球さん

 パワースポットの活用には望ましい方法があります。そこに行くだけでなく、自分の生活の場に創造しましょう
    

   
  

高貴なる光の皆様、いかがお過ごしですか?


前回、スピリチュアルと物質世界レベル、どちらも大切であり、物質レベルの行動が、アセンションに役立つお話をいたしました。

その流れといいますか、今回はパワースポットについてのお話をいたします。


近年は、スピリチュアリストでない人たちにも、パワースポットは注目の的のようです。やはりどこかでこの物質世界に閉塞感を抱き、脱皮したいと思っているのでしょう。アセンションの道筋、方法がわかっている読者様は、それらの人たちよりも随分と先に行っているわけですが・・・。


でも、このカリユガの時、重い波動がまだ渦巻いている現状では、祈りや瞑想だけで進むのが大変に感じるときもあることでしょう。前回の記事はそんなことから、物質世界での行動で、波動を持ち直す、という話を書きました。



世界のそこかしこにある、「パワースポット」と呼ばれる場所に行って、パワーすなわち高次元の光をいただくことも、ある種、物質レベルでの行動の一つと言えます。

ただ、その活用法は、知っておかなければならない心得があります。

また、パワースポットは、必ずしも、どこかに行かなければ恩恵を得られないわけでもありません。

その点についてご説明しましょう。それを知っておけば、今のこの嵐のような波動環境で、ほっと息をつくオアシスの恩恵を受けることができるでしょう。






双葉パワースポットとは高位次元波動がこの物質次元に流れ込むポータル



ところで、私が今回パワースポットの記事を書こうと思ったのはきっかけがあります。

実は先日、「ニッポンドリル」というTV番組を観ていたのですが・・・ちなみに私が観たのは再放送で、5月30日の回です。

日本の素晴らしい物を再発見するという番組で、その時は世界遺産に指定された日光社寺の話でした。日光東照宮を含む一帯の神社です。

どんな番組だったかは、今これを書いている時点なら、見逃し配信があります。出自が調べられないのでリンクを貼るのは控えますが、興味があったら検索してみてください。「ニッポンドリル 5月30日動画」などのキーワードで拾えるかと思います。

その中で、二荒山神社の高天原という場所が映りました。番組が見つからなくても、この場所自体は検索すれば出てくると思います。

一見地味な、しめ縄で囲われた小さな区画なんですが、そこが神が舞い降りる場所として紹介されます。


そこで目を見張ったのですが、この映像がテレビの画面に映ったとき、実際に高次元の光が私の部屋に流れ込んできました。ここでご紹介するゆえんです。



その波動の様子を観ますと、そこが上位次元領域の光が降りてくる特別な領域であることは、間違いなさそうです。

動画を観れば、その波動にお気づきの方もいらっしゃるでしょう。画質が低いため少し分かりづらいかもしれませんが──画素が荒いと、その分波動の力が落ちますから──それでも、分かる方には分かるのではと思います。



思えば、私にとっての尊師であるサイババ師に出会ったのもTV番組がきっかけでした。サイババ師が日本でも評判になり、彼のレポートをする番組をやったのです。

私自身はそれまでインドにも聖者にも興味は無く、たまたま他に観るものがないというだけで、観るともなく観ていたのですが・・・、

サイババ師のおられる聖地が映った途端、部屋の波動が一変しました。そして尊師が画面に映るに至り、放射されるまばゆい光に唖然としました。

アメリカで販売されているサイババ師公式ビデオテープを入手し、それを何度も再生しました。再生するたびに、自分の部屋に光が流れ込むのです。

そのうち、実際にその場所に行ったら、さぞ素晴らしいだろうと思い、インドに行くことになるのですが(そしてその推測通り、映像どころではないものでしたが)・・・。



ともあれ、ここまでお読みになったところで、一つとても明快なことにお気づきと思います。


パワースポットというのは、その映像を映し出すと、その画面を通して光が流れ込む。



という事実ですね。



もちろん、その、流れ込む光の波動は、その場にいるほどではありませんが、かなりのものです。

それに、実際にその場所に行くとしたら、ある限定された日時だけということになりますが、映像なら、自宅で何度も再生できます。再生するたびに、自分の部屋に光が流れ込み、癒しの空間になるのです。



部屋を癒しの空間にすると言いますと、風水なんかが思い浮かぶかもしれませんが、

パワースポット(名目だけでなく、実際に上位次元の光が降りてくる場に限りますが)からいただける光は、風水で「気をコントロール」するよりも高位で、強力です。

なぜなら、風水というのは、すでにその辺に流れている気を、自分に取り入れるわけですから、おのずと限界があります。

パワースポットは上位次元から光が降りてくる場です。上位次元の光には、限界はありません。無制限です。しかも、波動レベルも高位です。

つまり、パワースポットの映像を映し出している間、モニターの画面が、光が吹き込む窓になるのです。自分の部屋の波動を高め、ご自分を光に浴し、癒す方法の一つとして、憶えておかれるといいでしょう。




双葉パワースポットのメカニズム



では次に、そのメカニズムについて考察してみましょう。


パワースポットというと、「場所」ですよね。上記の例ですと、日光は場所ですね。

その一方で、サイババ師はまあ、人です(降臨の神ですけど)。

サイババ師がいる場所がパワースポットになるのは、サイババ師がいるからです──つまり人間がパワースポットということになりますよね。

よく書いておりますように、人というのは、人であると同時に「場」です。

では、読者の皆様はいかがでしょう? もちろんあなたも「場」ですから、パワースポットです。本来は。

あなたも光の通路です。その通路がつながる先は、誰もが同じ波動レベルというわけではありませんが──ともあれ、光に繋がっています。

でも、その通路が、さまさまな夾雑物──ネガティブ波動という汚れによって、光が通りにくくなっています。

水道の配管が、汚れでパイプづまりを起こしてる感じです。パイプをお掃除するのが、祈りやマントラというわけです。

祈りもマントラも何もしてない人は、ほとんどふさがってるんです。小さな小さな穴が開いてるくらいで、チョロチョロ光が通るくらいの状態。それでも、完全に詰まっていたら、人間は一分も生きていられません。




光の人は、祈っていない人たちとは比べ物にならないスピードで、自分の通路を綺麗にしているのですが、

何しろ、何千、何万と生まれ変わり死に変わりする間に蓄積してきた「パイプづまり」ですから・・・、完全に汚れが無くなりスースーに光が通るようになるまで、簡単にはいきません。

そこへいくと降臨の神は、通路がスースーといいますか・・・いや通路もなにも、サイババ師ほどになりますと、通路自体がないくらい、神域と直結している場そのものが、人間の姿を取って降りてきているのです。





まだ通路がスースーに通っているとは言えない私たちは、今の波動環境が過酷なこともあって、自分だけの祈りやマントラでは、しんどい時も出てくるわけです。

だから、こうした、高位の神域から流れ込む光をいただくことで、自分の通路を綺麗にする助けになったり、自分の場の汚れを綺麗にしてもらうことができる──というのが、パワースポットの恩恵と言えます。





さて、また話を、「場所」にもどしましょう。今回は日光を例に取っていますが、他のところでもいいですよ。場所としてのパワースポットがあったとします。

そこに、神の光が流れ込んでいます。この記事の冒頭に貼った画像のようなイメージで、滝の水がその場に流れ落ちている感じです。

その範囲は一律ではありませんから、もっと大規模な場所もあります。

ともあれ凄い光が降り注いでいるわけですが・・・。この、「場所」が光の通路になっている、というのは、「人」が光の通路であるのとは違うように見えますね。





そのメカニズムは、一つは、「そこで多くの祈りやマントラが唱えられ、清められている」ということです。

つまり、読者の皆様のような光の人が、常に、祈りやマントラ、瞑想を繰り返している「場所」は、その、光の人自身だけでなく、それを行った場所も、徐々に汚れが綺麗になり、波動があがっていくので、パワースポットになっていくのです。

ですから、あなたが普段からしょっちゅう、自分の部屋で、祈りやマントラなどをし続けていますと、徐々に、パワースポット的な場所になっていきます。

私がよく行っている、祈りの会で、祈り人が集う場所などは、大勢の人が何年にも渡り、繰り返し祈りや神事を繰り返してきたお蔭で、パワースポットになっています。


それから、いわゆる聖者がおわした場所が、後年もパワースポットとなっていることがあります。

霊山として知られる高野山なども、空海大師のような高格の魂がおわした場所なので、彼の波動が降りてきています。



また、大師といえば、京都の東寺も、パワースポット中のパワースポットの一つですが、

「立体曼荼羅」がおさめられている講堂が、上位次元の光が最もダイレクトに降り注いでいる場所であるのを見れば、上位次元と共振するように設計された建造物が、その場所をパワースポットにするのに一役買っているのがわかります。




では、上述の日光などの、場所そのものがパワースポットの場合はどうなんでしょうか?

このメカニズムは、私もはっきりとは申せませんが、可能性として、そこが地球の波動の流れ道に即しているとか(地球さんも、人間の体と同じように、気の流れがあります)、天体との位置関係で、光が流れ込みやすい場所であるとかいった、霊的なロケーションである、とかいったことが考えられます。(実際、日光は、宇宙のパワーを取り入れるような場所に、意図的に作られているようです。)

また、その場所を司る神霊によって、その場所が神域の通路として維持されている、などが考えられます。

神社はそもそもが、この、宇宙の波動が降りてくるように作られたポイントだそうです。鳥居自体、神域と物質界をつなげる門として建造されています。






双葉上位次元からの光は無限だが、それが流れ込むためには、通路が綺麗であることが必要




ところで、この、「場所」としてのパワースポットについて、注意したいことがあります。

特に、その場所に行った際の心得ですが・・・とても大事なことですので、知っておいていただきたいと思います。


今回、例にとっております、日光の二荒山神社の結界、高天原の画像を拾っておりましたら、ここの前に佇んで、何か祈願をしている人の写真が出てきました。

つまり、パワースポットに向けて、「お願い」をしているわけです。


神社というのは、この結界だけでなく、全体がパワースポットとして建てられています。ですから、ここだけ限定ではないのですが・・・

この、神社などに行った際、自分のお願いをする、ということ、おやめいただきたいのです。





神社に限りませんが、パワースポットに行って、自分のお願いをするというのは、そこにカルマ想念を置いて、光をもらってくる、ということを意味します。

実は、「お願い」だけでなく、そういう場所で瞑想なんぞをする人も最近は多いそうなんですが、

これも、ほとんどの場合は「お願い」と同様のようです。

ご本人はどういうつもりかわかりませんが、大抵の人は、その場の波動に「便乗」して自分の波動を上げ、その場の光で自分の汚れを浄化してもらう、ということをしています。利用してばかり、もらってばかりです。





これをされますと、「神の光の通路」たるパワースポットが、汚染されます。

私たちが、周囲のネガティブや、自分自身のストレスで、パイプづまりを起こすように、

パワースポットも、同じ現象が起きるのです。




神社でお願いするな、なんて、宮司さんでも言わないかもしれませんが・・・

しかし、そもそもが、神社仏閣というのは、私利私欲を吐露する場所でも、執着に基づくお願いをする場所でもないと言えます。




※ここで、申し添えますと、当ブログでは、一貫して、願望成就を神事として捉えています。ですが、神事として願望成就をするというのは、真のスピリチュアルでなければ成し遂げられないものであり、何もわかっていない、祈ってすらいない人には、到底できるものではありません。





私が、神社でお願いをするなかれ、という「お願い」は、いわゆる、一般の人がやっているお願いで、これは執着、すなわちカルマ想念から来ているものです。これが、パワースポットの光の通路を汚染します。


強力なパワースポットも、もし、我も我もと、自分のお願いばかり置いていかれたら、

そのカルマ想念で、折角の神域が、汚染され、光の通路が詰まってしまうでしょう。


いや、事実詰まっているんだそうです。祈りの会で、少し前、この通路の汚染を浄化する神事をしたんですが、そういうことをしなければいけないくらいに、パイプづまりを起こしているところが多いんだそうです。

知り合いのスピリチュアリストの人も、パワースポット流行りのお蔭で、自分勝手なやり方で瞑想する人(中には立ち入り禁止の場所に入り込んで瞑想する人までいるそうです)がいて、神霊が非常に迷惑する、と言っていました。迷惑な瞑想とは、上述のようなカルマまき散らしタイプの迷想?なのだと思います。

本来は綺麗でなければならない場所の汚染は困りものです。物質界を浄化するために作られたポイントだからです。



サイババ師のような降臨の神が肉体をまとって降りてきているなら、話は別です。そういったカルマ想念を、即座に光に変えてしまえます。

ですが、そうしたパワフルな神が地上にいるわけではない、一般的なパワースポットは、光が降りてくる場所であり、それ自体が浄化するメカニズムを持っているわけではないので、通路が汚染されると、光が通らなくなってしまいます。

光自体は、無限に供給されるものであるのに、詰まってしまうことによって、それが、流れ込まなくなってしまうのです。





では、何をすればいいかと申しますと、

それは「世界平和の祈り」であり、人々の幸せを祈ることであり、私利私欲から離れた思いで、上位次元の光と共振することです。

他の場所でどうであっても──私たちは、高位次元の行動だけでなく、イラついたり、ストレスを抱えたり、ネガティブを発してしまったりといった、低い波動域の行動もしてしまうけど──

そこでだけは、執着を捨て、自分の中の最も高い波動域でする行動、すなわち「祈り」(お願いではなく)をすることが、最もふさわしい行動と言えましょう。

それによって、パワースポットの通路をふさぐことなく、むしろ、汚れを取り除き、広げる事ができます。


あなたは、パワースポットに行ったら、光をもらいたい、清めてもらいたい、と思うでしょうが、

それであるなら尚更、私利私欲から離れた祈りをいたしましょう。

どうしても自分の願望をお願いしたいなら、最低でも、世界平和の祈り10回につき1回とかに、なさることをお勧めします。

何しろ、これまでに蓄積した、人々の膨大な願望でパイプづまりを起こしがちなのですから・・・それでも少ないくらいではないかと思います。



光というのは、共振することで、あなたに流れ込むのです。

より多くの光を享受したかったら、願望への執着から離れた祈りをする方が望ましいし、

何より、パワースポットを汚染して、パイプづまりを起こすことを避け、むしろ綺麗にすることに貢献します。

それは、あなたという場を、本当の意味で綺麗にすることにもつながるのです。

パワースポットとは、自分のための「お願い」をして光をいただく場所ではなく、その波動と共振することで、大いなる光をいただくことができるのです。



パワースポットは、その真実を知り、活用するなら、あなたが辛い時、過酷な時に、大きな力となるでしょう。








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