

凄まじいネガティブが湧き上がっています。再考あれ。
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高貴なる光の皆様、いかがお過ごしでしょうか。
今日は他の用事を済ませるはずだったんですが、予定を変更して補足記事を書いています。
昨日(正確には本日の深夜ですが)記事をアップしてから、まだ一日も経っていないのですが、こちらに凄まじいものが来ていまして、カルマ想念から闇波動にまでなる勢いで、その量も膨大です。
色々なものが混じっているようですが・・読者の方ばかりではなく、OT氏の想念波動も来ているようにも観じています。(あまり何度も固有名詞を書くのも何ですので、ここからはOT氏と表記します)ご本人がこのブログを読むこともなさそうですが、想念波動というのは、彼に限りませんが、さまざまな人の想念が、それだけで漂っていることもあり、物理的距離は関係ないため、湧き上がるネガティブと共振すれば、他の想念波動も引き寄せられて来ることがあります。
凄まじい勢いのネガティブで、数年前なら即座に記事を閉じてしまったと思います。一昨年なら入院していただろうし、昨年でもかなり厳しかったろうと思いますが・・今現在の波動環境なら、まだ耐えられるので、耐えられるところまでは耐えてみようかと思っています。
読者の方の中には、まだ昨夜アップした記事をお読みでない方もいるかもしれません。まずそちらからお読みください。
また、すでにお読みの方も、少し推敲しましたので、再読してみてください。読んだと言っても、ほとんどの方は、一度や二度で、本当の意味での読解ができる方は少ないと思います。この記事を読んだあとで再読してみていただいてもいいかもしれません。

今回私は、OT氏の件が妙に気になったので、記事にしてみたのですが、やはり多くの人にとって、罪悪感というのはにわかには手放しがたい、根深いネガティブのようですね。
そうであれば尚のこと、手放さなければなりませんが・・・。あなたがアセンションしたいのなら・・・。
私の方に来るということは、手放しではなくて私への寄越しになってしまっている、つまり依存になってしまっているということです。
私は皆様に依存してもらいたくてブログを続けているわけではありません。光の人として成熟していただきたいと思っていますので、手放しのメソッドはぜひマスターしていただきたいです。
まあ、その意味で一番ひどい依存者は、相も変わらず例のS・T氏ですが・・・。私がネガティブに襲い掛かられると波動が下がる。私の波動が下がると寄越しやすい(つまり付け入るスキができる)。ここぞとばかり寄越してくる。つまりS・T問題がなかったら私もそんなに過酷ではない。まったくもう・・・。
ともあれ、この、ネガティブの処理というものについては、皆様お一人お一人のためでもあるのです。特にワンダラー、パイオニアにとっては、このスキルを持つことが、ミッションに不可欠です。ワンダラー・パイオニア諸氏のミッションということは、地球人類のアセンション・ミッションということです。ご自身が成熟することの重要さを、ご自覚いただければと思います。
そのための、もう少し踏み込んだレクチャーを検討中ですが、時間がかかりますので後日にゆずります。今のところは、ここまでの過去記事のレクチャーも再読してみてください。
今回は現況の事態の緩和のため、少し解説を補足しますね。

まず第一に、OT氏について書いたからといって、氏やそのファンの方に向けて記事を書いたわけではない、ということを認識していただきたいと思います。
私はスピリチュアルな記事を、アセンションを目指すスピリチュアルな方々のために書いています。
OT氏擁護と書きましたのは、批判派に対して擁護という意味であって、今回の件での私の見解を述べたまでです。個人的には彼のファンでも何でもないし、降板されるのを覆したいなどといった、物質世界的な意図で書いたわけではありません。
人にはそれぞれの因縁因果というものがあり、ご本人の、過去世含む過去から現在に至るまでの、さまざまなカルマの中で、今がカルマを解消するときに当たっているのかもしれませんから・・。
しかしここで読者の方に考えていただきたいのは、「ただし私はそれに与しない、そう標榜した」ということなのです。
例えば、批判派の人は批判派の人で、問題発言をしているという点を指摘しましたよね。
物事は見方によって違う考察ができるということなのです。
私の考察では、批判派の人たちは、その業種に就いている人のために批判しているのではなく、その業種に就かされる恐れのある人の立場で考えています。つまり現時点ではそういう業に就いていない人の立場で、その業には就きたくない、就かせたくない、という恐れの気持ちから批判している。それほどその業種が忌まわしいと思っているのです。そうとしか思えないほどの反応です。そう思いませんか?
もしも単なる重労働というだけだったら、ここまで過敏な反応はしないのではないでしょうか。あたかも、ひとたびその仕事に就いたら、もはや人様には言えない経歴となってしまうと言いたげです。
事実、その仕事に就いている人も、自分の経歴を隠したがるそうですから・・。つまり世間がその仕事をどう見ているかを知っているわけです。
これが職業差別でなくて何でしょう? もしも人々が各自、自分自身のそういう意識を自覚し、内省ができるなら、OT氏をいつまでも執拗に責めることなどできないのではないでしょうか。
しかし、それであっても、批判派の人たちを批判する意図もないのです。見る面を変えれば別のネガティブがある場合もある、と指摘をしただけです。

光の皆様、ここで理解していただきたいのは、
OT氏にはOT氏の抱えているカルマがあり、今がその解消のときなのかもしれません。
ですが、
あなたが、彼を、彼が実際に行なった罪以上に断罪したら──、これはあなたが、そのための行動を起こすのはもちろん、彼を責め裁く想念を抱く、そして抱き続ける、というだけでもそうですが──、
それは彼ではなく、あなたのネガティブになる、ということなのです。
繰り返しますが、私はOT氏のためではなく、光の皆様のためにブログを書いています。
あなたの問題、あなたの運命を分けることについて、書いています。
ご再考ください。そしてこの機会に、自分の中の、人を責め裁く思いを、可能な限り手放していただければと思います。
人を責め裁きたいという想念は、他者を罪悪視することであり、それは自己の罪悪感と表裏一体です。
責め裁くとは、つまり自己の罪悪感の他者への転嫁です。
それは、元をどんどん辿っていくと、「恐れ」から発しています。というか、すべてのネガティブは、根を辿っていくと、恐れに行き着きます。つまり他のネガティブ想念も含め、すべては恐れが何らかに変容した、恐れの変化形態の一つと言えます。
わけても罪悪感、罪悪視は、もっとも厄介な変化形態です。

人はなぜ批判するのでしょう。
もちろん、何かの不正を働いた人を何らかの罪に問うのは、この三密度物質世界の社会を維持していくうえで必要です。
そうでないと秩序が保てないからです。
高度な次元域では、断罪など、恐らく必要ではないでしょう。自分のしたことが、瞬時に自分に返ってきてしまうからです。
しかしこの世界では、自分のしたことが自分に返るまで、タイムラグがあります。ときとしてそれは数十年後だったり、あるいは来世だったりします。
なので、司法とか道徳、規範など、この世界なりの秩序を保つ仕組みが必要です。
何かを批判するのも、この社会を健全に維持し、発展させるために必要な、理性的かつ建設的な批判というものがあります。
当ブログでは、かねてから、その理性的な批判すらしないことをお勧めしていますよね。
その理由も書いています。読んでいない方は過去記事でご確認いただければと思いますが・・、
この三密度世界の良識としては正しい批判と思っても、今はやめましょう、とお勧めしてきたのは、批判する対象と波動同期してしまい、ネガティブ・スパイラルにはまってしまう危険性があるからだと。
ですから、批判の対象にご自身の想念が絡め取られないほどに、あなたからネガティブが消えてしまったなら、批判するなとは申しません。(ただし現時点でそこまで行っている方がおられるとは観じておりません)
健全で建設的な批判であっても、そのくらい注意したほうがいいのです。
まして今回はそのような批判ですらありません。まさに罪悪感の転嫁です。

裁くといえば、例えば何かの違法行為や犯罪を裁く方が、ずっと難しいです。
有罪か無罪かを争うのも難しいが、有罪だとしても、量刑を決めるのも難しい。どのような場合でも、憎しみなどのネガティブな感情を持って裁けば、量刑もネガティブになる可能性がある。
それに対して、今回のような場合は、はるかに判断がたやすいはずです。
ところが現実には、多くの人々が感情で人を裁き、また、感情でかばっている。
これらはほとんどの場合、自分の中にある何らかの罪悪感に基づいている。
ここでは、理性的で建設的な批判はのぞいて、感情的な批判について考えてみましょう。
たとえばAがBを批判するとする。批判された方にとって、その批判が非論理的で筋が通らないとします。
そこでBは、その批判は当たらないのではないか、と、論旨の不備を指摘するとします。
するとAが、「エラそう言うな。お前は〇〇じゃないか」と、自分が指摘された内容とは関係のない人格攻撃をする。
こういうことがよくあります。
人格攻撃をしてきたら、その人物には論理的な話は通じない、と思っていいくらいによくあるパターンです。
それにしてもなぜ人は批判するのでしょう? 建設的でない批判という前提ですので、感情的な批判ということですが。何でも批判する人っていますよね。
ストレスや承認欲求など、動機はいくつか考えられますが・・・。物質社会レベルでの分析は脇に置くとしましょう。また、スピリチュアル的にも、多くの人に共通する想念がありますが、長くなりますので、話の焦点をしぼりましょう。
前回記事で、これは暗黒波動の巧妙な攻撃だ、と書きましたね。
これがどういう意味かと申しますと、暗黒波動と呼ばれるアセンションを妨害する域の想念波動にとっては、我々のような光の戦士がとても邪魔なわけなのです。
光の戦士、ワンダラーたちは、地球人類アセンションのキーパーソンなのです。
考えてみてください。光の人がいなかったら、いくら高位神霊が光を降り注いでくれても、受ける人がいません。受ける人がいないとどうなるか、再三書いてまいりましたね。新しい世代が降りてきているといっても、集団的なスターシードは、それほど強力な戦士ではありません(集団的な人たちは、ですよ。新しい世代の中にも、際立った人はいますから)。彼らが降りてこられるインフラを作ってきたのも、光の戦士、祈り人なのです。
暗黒波動としては、なぜだかわかりませんが光に回帰するのが嫌なので、これを妨害したいわけなのです。
そして、暗黒波動がもっとも攻撃しやすい、心のスキというか、光の戦士でも掴んでしまいやすいネガティブが、罪悪感なのです。
高度な光の戦士ほど、誇り高いぶん、罪悪感を持ちやすいのです。

わかりやすい例えをしましょう。あるエリートがいたとします。ものすごい成績がよいお勉強できる子ちゃんで、毎回100点とっているとしますよ。
この人が、ちょっとしたミスで、たまたま90点とったとしますね。
まあでも良い点じゃないか、元気出せよ、なんて言われても、多分ヘコむと思いますが・・・、
ここで、 何やってんだ? こんなことでいいと思ってるのか? 過去のエリートはそんな点一度も取ったことがない、まったく恥ずかしい! とか、
ヘー! インテリだと思ってたけど、オレの方が点数いいじゃーん
なんて言われたとします。
すごくショックを受けて、それを引きずって、次は80点とか、70点とか・・・成績が下がっちゃうかもしれませんよねえ。
つまり、あることに対して、基準がすごく高い人にとっては、それについてのちょっとした失策でも、汚点のように思えて、いつまでも苦にしてしまう、ということがあるわけです。
光の戦士、わけてもワンダラーやパイオニアというのは、エリート部隊なのです。後日詳述しますが、今回の、地球アセンションを地上側からサポートするという、過酷なミッションに選抜されるのは、並大抵なことではないのです。それだけに任務に対する誇りもひとしおなのです。
暗黒波動連中というのは、まさにここを狙っているのです。
心の高潔な人というのは、自分のしたわずかな失策についても、自分が許せないことがあります。それがネガティブとなります。
私がいつも申しております、カルマ寄越しには、こうしたパターンもよくあるのです。その人が抱えているネガティブを心のスキとして侵入し、それを拡大させ、それによってその人の波動域を下げる攻撃です。
ここで、もうひとつ注意したいのが、そのように、罪悪感を増幅させてしまった場合、
たとえ光の人であっても、それをなかなか手放せず、
ではどうするかというと、無意識に、自分を正当化しようとする、ということなのです。

正当化とは、罪悪感をそれ以上増幅させないための防御反応でもあるのですが、それによって、いつまでも罪悪感が手放せないという、悪循環も産んでしまうのです。
なぜなら、正当化とは、しばしば、誰かを批判するという行為に変換されるからです。
つまり、光の人であっても、誰かをつい批判してしまうことは、決してめずらしくありません。
心の中には、必ず、なんらかの罪悪感がくすぶっており、誰かを批判することで、密かに満足感や安著をおぼえているのです。
批判は、劣等感によっても生じますが、これも、パターンとしては罪悪感と同じです。
この満足感や安著は、決してポジティブとはならず、心の奥にくすぶるネガティブを、とりあえず、なだめているにすぎません。
こうした心理パターンは、光の人だけの専売特許ではなく、誰もが持ってしまうものですが、それも暗黒想念波動によるものなのは同じです。
ですが、わけても、地球のアセンションのカギを握る光の戦士がたに、手放していただきたいものなのです。

今回私が、もう一つ、強く観じておりますのは、性にまつわるネガティブです。これも非常に根深いものが湧き上がっています。
今回のケースで、問題が拡大しているゆえんでもあると思います。
性とは──つまり宇宙のシステムとしての性はですが──そのルーツ、宇宙の本質の、高次にスピリチュアルな領域にまで遡っていきますと、厳粛なまでに清らかなものです。それはもう、どう表現していいかわからないほどの清らかさに、魂が震えるほどのものなのです。
この物質世界での性の仕組みは、その、ほんのほんの末端が、現象化しているに過ぎないものですが、それであってすら驚異的なシステムに基づいており、本質的には清らかです。
これは、財と富の項でも、何度か指摘していることですが、財と富も、本来は、宇宙の無限なる供給の源泉に最も近い光の物質化と言えるものです。
こうした、究極的なまでに清らかなものに限って、この三密度物質世界では、不浄なものであるかのように扱われますね。
あまりにも高潔すぎるので、その光を正視できないのかもしれません。明るいものを見すぎると、視界が暗くなってしまったりしますが、それと似ているのでしょうか。
ともあれ、その強く純潔な光は、その人の心の暗い部分をも照らし、揺さぶってしまうために、その人自身のネガティブが湧き上がりやすいのではないかと、私は見ています。
私は当ブログで、いずれはこの、性というシステムについて言及してみようかと、考えたこともあるのですが、おそらくそのときは来ないだろうと、今は思っています。
私自身も、まだ完璧に理解しているとは言えない領域だから、というのもありますが、私が理解しているレベルを説明するだけでも、わかってくださる方がいるとは、今の時点では観じておりません。
もし誤解されれば、逆に読者の方の波動を損なってしまいそうですし・・・。というか・・・そもそも言葉で説明できるものなのかも、なんとも分かりません。
そんな私からしますと、この物質世界の性は、実はあまり話題にしたい分野でもないのですが・・・、しかし、それは多くの人々が持つ、性に対する想念波動が、あまりにも本質からかけ離れており、低俗とか煩悩とか呼ばれる領域にあるからであって、性そのものが不浄だからではないのです。
財と富にせよ、性にせよ、不浄なのは、人々の想念の側にあり、その想念自体もまた、人々の心の、本当の意味での本質ではありません。すべては消え行くカルマなのです。

ともあれ、光の皆様、この、手放しというものをするにあたって、私が常々、強調しております、神を想い、神に感謝することも、とても大事です。
神に感謝する、というと、誰でも簡単にできそうですが、アセンションにとって、これほど重要なスキルもそうそうありません。
私に来るということは、他の人にも寄越してしまう可能性があるということです。それではアセンションになりません。一時的に誰かに荷物を持ってもらうだけです。
手放しをしようとして、寄越しになってしまうのは、高位神霊とのつながり、パイプが細いからなのです。そのパイフを太くする、最も強力なものが、感謝なのです。
光の人よ、高潔であるがゆえに、罪悪感をいだきやすい方々よ、どうか今一度、罪悪感の手放しを、ミッションとして挑戦してみてください。
私が今回の記事を書いたのは、これがいいチャンスになると思ってのことなのです。
批判派にもならず、かといって、一部の擁護派の人のように、批判派を批判しないでください。私が書いたのは、批判派も裏を返せば批判される側になりうるということであって、批判派を批判しましょう、ということではありません。
今回の件は、色々な要素が絡んでおり、考えさせられる点が多いため、レッスンになると思い取り上げました。これだけでなく、折りに触れ、何かのニュースや、何かの体験を通して、あなたから湧き上がるものがあったら、それを内省し、手放しへとつなげることを、お勧めしたいと思います。
あなたが、誰かを心の中で赦すとき、
それは、あなたが赦されるときなのです。
あなたの心に沈殿していた罪悪感が、あなたから消えてゆくことなのです。あなたは、人を赦すことで、あなた自身を赦すのです。
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