2020年春分 神聖なる計画
2020年春分、もたらされたのは、かつてないほど大規模かつ精妙な光の降臨であった。以降、下準備は終わり、神聖なる計画が進行中。これまでの波乱が予告編のような、波乱が起きる可能性もある。光とともにあることが大事
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高貴にして世にも稀なる光の戦士がた、いかがお過ごしですか?
2020年3月春分、本年最初の同時瞑想、皆様どのように享受されたでしょうか。
私はもう少し早くログするつもりでしたが・・・(最近こればかり言ってますね)、慣れてる方は、同時瞑想の波動的フォローなどの「処理」をしてるんだろう、とか、見当をつけていたかもしれません。その推測はそのとおりです。
同時瞑想後の波動処理が一段落ついてからと思っていたのですが、それがまだ一段落つきません。こうなると、例によっていつ終わるかわからないので、中断してログしておくことにします。
非常に重要な局面に入りましたので、ご説明しておきたいことがいくつかありますが・・・今の時点で、とりあえずお伝えしたいことだけは書いておくことにします。
まずは皆様におめでとうございますと申し上げたいのです。・・・、もちろんそれが、「めでたい」ことになるかどうかは、お一人お一人次第なのですが・・・ですので、この局面について来れている、数少ない方々にとっては「めでたい」ということになるのでしょう。おそらく当ブログの熱心な読者様がたが、そういう方々に当たると思います。
と、少し皆様を安心させたところで、私自身は今現在、非常にストレスを感じているのです。頭に来ているのでちょっと書かせてください。ストレスを感じるなんてソフトな言い方ではとても足りないくらい、被害的な状況です。
それは例の憑依霊、巨大な甘ったれ、壮絶なる困ったちゃんのS・T氏です。・・ホントに何考えてるんだろう・・
これを書くのは、もちろん皆様の役にも立つことだからです。このような人物は、程度の差こそあれ、皆様の周りにもいるからです。
イベントについてだけででしたら、飛ばして後半を読んでくれてもかまいません。が、特にスピリチュアルにおいては、現在進行形で、この種の人物に幻惑されている人もいるかもしれません。
今回の波動の降臨で、私という場の波動の状況が、より明らかになりました。
私は長年に渡ってこの人の尋常ではない依存によって霊性開発やアセンションの進捗を阻まれているわけなのですが、その不気味さが、今回の光の降臨で、より鮮明に認識されました。
私のアセンション、霊性開発を妨害しているのが、ほとんどひとえに彼だということがわかったのです。彼の巨大な姿が見え、それが私におんぶにだっこでまつわりつき、すがりつくのが見えます。私にべったりとしがみついて、一緒に上昇していこうとしてるようです。隙あらば私の中に入り込もうとし、それができないとしても、口で言えないくらいの、不気味で大量の汚物を私に覆い被せてきます。
頭に来ていると申しましたが、これが他の人なら、大げさでなく、とっくに死んでいます。
これは肉体世界で例えるなら文字通りの犯罪行為です。不法侵入、場のレイプ、人格のレイプ、財産の略奪、そして大量の汚物を人のところに置いていくという暴力行為──。私が、以前から認識していたことですが、今まで考えていたよりはるかに深刻な規模で、しかも本人が自分の意思ではやめる気が全くないことがはっきりしました。
思えば、もしこれがなかったら、私が、記事のアップや同時瞑想のさいなどに読者の皆様から受けるものがあったとしても、それほど深刻でなく、もっとゆとりをもって処理できていたかもしれません。
ですので被害は読者の皆様にも及んでいると言えます。
そういえば先日、寄り合いで最後に会ったとき、彼が同時瞑想みたいなものを音頭をとってやるような話が聞こえてきました。そうだとしたら私の真似っこでしょう。
同時瞑想自体は、そこかしこでスピリチュアリストがやってますから、誰の専売特許でもありませんが、彼がやるぶんには私の真似です。
こんなこと言ってるのを本人が知ったら気を悪くするかもですが、私は気を悪くするどころではすみません。私にこれだけべったり寄生虫のごとく憑依してきてるんですから。言われたくなかったら自分が寄越した大量の汚物とともに出ていけって話です。
そしてある点で非常に迷惑です。なぜなら彼の場合、いっせーのでタイミング合わせをするというだけでなく、それによって何か(人のカルマや憑依霊など)自分が受けた場合、それも私のところに丸投げしてくるからです。
ただでさえ、霊性の開発の途上ではたくさんのネガティブを処理していかなければなりません。五井尊師は、それを、トンネルを掘るさいの瓦礫にたとえました。
S・Tは自分ではそれも処理できず、私の場に入り込んで、私に瓦礫処理をさせて一緒に昇っていこうとしています。というか、しています。
そのうえ、ほかの人から引き受けた分まで処理させているのです。自分は浄化できないのに引き受けておいて、私に浄化させようとする、というパターンも彼はエンエン繰り返しています。
彼の霊的レベルがここまでするのは、もしかしたら、彼はハイアーセルフのレベルから、骨の髄まで依存的魂なのかもしれません。ハイアーセルフがそうってあるの? と思ったりしますが、この状況から見るとあるかも、と思えます。
私は彼が肉体レベルでは好人物なのに・・・と書いてきましたが、実はもともと、本人の人格に問題があるんじゃないかと思えてきました。
霊的レベルがそうで、肉体レベルはまったく違う、ということもありえませんから・・・、肉体レベルでも、一見立派な人に見えて、実は、超・超・甘ったれな人物なのかもしれません。
彼の問題は、自分自身を凄い存在だと思い込み、そして周囲にもそう思われたいと願っていることです。人から尊敬を集め、驚異的だと思われたいという願望があるのです。でなければ、こんなハリコのトラのような、みっともないことはしないでしょう。
そういえば彼は、人当たりも悪くないし、周囲の人々から尊敬を集めている反面、無神経なところがあります。この無神経の正体は、とても幼稚なレベルで、こちらの気持ちを表面的にしか想像できないということです。
彼が以前、祈りの集まりに連れてきた同僚の女性を思い出しました。その人は一度は誘われてきたのですが、二度は来ませんでした。
その人とちょっと雑談を交わしたとき、S・T氏に無神経なことを言われたと漏らしたことを思い出しました。彼女の口ぶりからは、それでずいぶん傷ついていることが見て取れました。
それで私自身も、彼に非常に無神経なことを言われたことがあるのを思い出しました。
そういえば、以前ここでも書きましたが、他の同志さんの話す「ちょっといい話」にダメ出しして説教に持っていくのもそうですね。あれはあの一度だけではありません。言われた方はフンフンと感心して聞き入るけど、自分の話をいきなり否定されるんですから、中には気を悪くした人もいるかもしれません。
先生然として、周囲から尊敬されてるから、なんとなく見過ごされているけど・・・。私は、ダメ出しされたにもかかわらず素直に聞き入っている人は、彼を尊敬しているか遠慮してるからだと思いますけど、
常識的に見れば、くだんの女性、彼の言葉に傷つき、気を悪くしている人のほうが、むしろまともな反応だと思います。
彼に言わせれば、そういうことをいつまでもこだわるのは悟りを得ていないからだ、的なことになるのかもしれません。が、仮にそうだとしても、それは言われた側が思うことであって、言った側の人間のエクスキューズにはなりません。
スピリチュアル指導にかこつけて、無神経な物言いも正当化してしまう人というのはいるものです。
言われた方は、よくわからない世界のことなので、なんとなく納得させられてしまうこともしばしばです。
彼自身は、指導しようと思ってのことで悪気はないのかもしれませんが、子供や若者ならまだしも、いい大人が、悪気がなければ何を言ってもいいというものではない。
そういう幼稚さ、無神経さが、彼の霊的レベルの所業──私に対する憑依侵入カルマ寄越し、すなわち個の蹂躙や壮絶なまでの依存となってあらわれている。
それほど私におんぶでだっこでも、それがワンネスというものだ、仲間は助けるものだ、くらいに思っているのかもしれません。
悟りやワンネスを、自分に都合よく解釈しているのです。
悪気がなければ強盗していいわけでも不法侵入していいわけもない。肉体レベルでは当たり前のことを、霊的レベルではやっている。
かんたんに言えば、ものすごく壮絶に迷惑な、恐るべき子供と言える。
どれだけ周囲から尊敬を集めようと、悟った人だと思われようと、彼がしていることは、私にとっては「悪霊」以外の何者でもありません。
アセンションを妨害するものは多々ありますが、自分の祈りの同志がその最大の敵となるとは、よもや思ってもみませんでした。
今本当にまじでムカついているので書き綴ってしまいましたが・・、そもそも、同時瞑想の方の処理、波動的フォローの方だけならなんとかなるのです。憑依霊S・Tだけが、そのしつこさと現在進行形の寄越しの膨大さで、いつになったら解決できるものか、なんとも目処が立ちません。
とはいえ、私は皆様に向けて、それを有益に発信するつもりです
ともあれ、私のいいところは、どんなに過酷なときでも、超絶に最低の時期でも、理性を失わないでいられるということです。これまでもそうでした。私のワンダラーとしての誇りです。
彼を通して学んだことを、皆様にお伝えするつもりでいると、昨年にも申しました。それは今後の局面でも大事なことなので、追い追い書いていくつもりです。
犯罪被害者の人で、ときどき自分が見舞われた被害について、広く人々に周知しようとネットで発信したり、全国を講演して回ったりする人がいますね。
トラウマ体験なので忘れたいし、人に話すなんてとんでもない、という人も多いと思われる一方で、
自分と同じ目に遭ってほしくない、一人でも多くの人が犯罪被害に遭わないようにと活動する人たち・・・。
大変なトラウマで自分自身も苦悩しているのに、なぜ他の人のことまで考えてアドバイスしようとするのか・・・
私自身の今の経験を踏まえて言えるのは、「そうでもしなければ、とても耐えられないから」です。
同じ被害者でも、周知やアドバイスをする人たちは、辛くて人に発信などできない人よりも、傷が浅いわけではないのです。
自分のされたことが、ただ自分を傷つけただけの無意味なことになってしまう。人の役に立てる、つまり何かしら意義のあることに昇華していかなければ、自分というものを維持していけないほどの苦痛なのです。
少なくとも、今の自分の気持ちから言えるのはそういうことです。
思えば私がこのブログを始めたのも、自分の苦悩の経験にもとづいています。
私は当時、苦痛に満ちた道のりをなんとか乗り切ろうとするところでした。苦悩と恐怖に満ちた中で、私が望んだのは、ともあれ誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしいということでした。何にでもすがりたい思いがしたものです。
なぜなら私には見えたからです。底の見えない深い闇の淵が。そのきわに立って、それを覗き込んでいる自分が。そして、渦巻く、おびただしい人々の憎しみや攻撃的な想念波動が。人を闇に引きずり降ろそうとする何者か──。
たとえ目には見えなくても、人々が恐怖や不安を抱くとき、闇の淵に引きずりこもうとする者たちが、すぐそばで手ぐすねを引いているのです。
しかし、それらの者たちは、光の人を、幻惑することはできても、それ自体がその人の運命を損なうことはできないのだと、私はそれらの恐怖の経験から悟りました。
私は私と同じ苦悩を歩んでいる人に、あなたが大丈夫かどうかは、あなただけが選択でき、他のものはあなたの運命を侵すことなどできないのだ、と言ってあげたかったのです。あなたが大丈夫だと確信すれば大丈夫なのだと。ネガティブを手放せはすべての望みは叶うのだと。
スピリチュアリストの中には、同じことを言う人もいます。ただ、この「あなた次第」と言っただけで終わる人も多いです。セオリーだけ述べて、メソッドを提供せずにおしまいにする人は多いのです。(くだんのS・Tもそのタイプです)
言うのは簡単ですが、自分のものにするのは困難だということも、私は自分の経験を通して痛感していますので、ではどうすればいいのか、という、そのためのメソッドを語ってきているわけなのです。
今、霊性の同志(のはずの人)に極めて非常にムカついている私が、皆様にできることと言えば、そのときと同様、この苦痛の経験を通して悟ったアドバイスをすることと言えます。
それは次回以降にしてまいるつもりです。それはあなたにとって、これからの道のりで、とても役に立つでしょうから。
ゲートと呼ぶかはわからないが、予言は予定であったもよう
ともあれ、読者の皆様が、今、お知りになりたいのは、
で? 春分てどうなの? どうよ? みたいなことではないかと思います。
何人かのスピリチュアリストが発信していた、今年の春分にはアレが起きる、って話でございますよね。この「アレ」の意味というか、解釈が、それぞれの、スピリチュアリストとしてのレベルによって違うようだ、ということも、見てまいりました。
その際の記事はこちら↓です。
https://ascension.hamazo.tv/e8669686.html
私はこの予言について、そもそもネガティブな解釈は信じていませんでした。ネガティブに解釈している情報が散見されて、意外だったという話もいたしましたね。
春分の波動の降臨を、一言で説明するのが難しいのですが・・・ともあれ、それは素晴らしいものでございました。おそらく今後も続くでしょう。
その意味では、皆様には、手を叩いて喜んでいただいていいと思います。ただ、光の戦士がたには、ここからが腹のくくりどころと、気を引き締めていただきたい局面でもあります。
イベントなの? ねえ、イベント?
アセンションにゲートがあるって、わかるようなわからないような感じですとお話しました。現実に門のようなものがあるわけじゃないけど、そのような関門をくぐる、という意味では使われる言葉だと・・・。
しかし、この春分を、ゲートという言葉で予言している人ばかりではありません。
この機を堺に、人々の価値観が変わっていく、と言っている人もいます。つまり、ここが一つの岐路となって、世界が大きく変わっていくという話です。
非常に高度な光が降りてくると言っている人もいます。私が以前見かけた情報では、そういうのが目につきましたね。
決してネガティブな予言ではありません。
でも、ある意味、関門でもあるとは言えます。サイババ師は離陸する飛行機にたとえ、バシャールさんは行き先の分かれている列車にたとえました。
光の降臨は、全人類、万物に、平等に降り注ぎます。けれども、その恩恵をどこまで享受できるかは、お一人お一人の器(うつわ)によります。
個々人によって、その波動の降臨をどこまで享受でき、どこまで共振できるかによって、道筋が厳然と分かれていきます。
それは、巨大で高度な光の降臨によって、現実のものとなっていきます。
今起きているコロナウィルスのパンデミックは、その一つの現れとも言えます。
また、これを機に、経済がひっくり返ると言っている人もいます。来年以降、もっと恐るべきことが起きるというのです。
なかには、このパニック的な様相自体を、「イベント」と捉えているひともいるようです。
まるで、ノアの方舟の物語でいう大洪水のようなものですね。
でも、そうしたパニック的な状況──感染病や、天変地変や経済的な激震など、──それそのものが「イベント」なわけではありません。
前から申しておりますように、それは、「現れ」です。現在のこの物質世界の波動環境と、次元上昇にともなって降臨する高位な波動との間に、隔たり、つまりギャップがあるほど、そのギャップが大きければ大きいほど、衝撃的な事態を、世界にもたらします。
それは、ある種の投影です。ギャップの大きさの反映です。イベントそのものではありません。
ですから、必ずしも、壊滅的な状況を経験しなければ上昇しない、わけではありません。今の波動環境ではそうならざるを得ない、ということであって、それを軽減することは可能です。
そのために私達、光の戦士がいるわけなのですから。それを、これまでもしてきたのですから・・。
今現在、イベントとも、私は思っておりません。まだこんなものではないと思います。イベントがいよいよはじまる、プロローグのように思っております。イベントとも言えますが、イベントとは、一瞬で起きるものでもないのです。
神聖なる計画が進行中。光とともにあることが大事
解釈はいろいろですが、ともあれ、今年の春分あたりを堺に、世界が劇的に変わり始めるという予言は、まさに予言どおりだったと言えますね。
予言というより、そもそもの「予定」であり、計画されていたことだというのが、その巨大な波動の降臨により、われわれ地上要員にも確認された、と言えると状況と思います。
その意味で、よろしゅうございました。皆様、いよいよ始まったのです。おめでとうございます、というのは、そういう意味です。
しかし私が前回申しましたように、光の戦士が輝いていたとしても、物質世界に軸足を置く、大多数の人たちが社会を作り、私達もまたその一員です。
これまでも、多くの人の波動レベルと、降臨する光との隔たり・ギャップの大きさのため、天変地変などが起きてきました。
今のコロナウィルスもその現れの一つと言えるでしょうし、それを景気に、社会が不穏な状況になっていくことも予測されますよね。
こうした、何も気づいていない物質思考の人たちからの、負の影響も大きいでしょう。
卑近な例で言えば、トイレットペーパー騒ぎがありますね。あれで本当にデマを信じてパニクった人はひとにぎりだったと思います。そのひとにぎりの人が買い占めに走り、それをマスコミが大々的に報じたのでさらに広がり、大半の人が気づいた頃には、実際にモノがなくなっていました。
デマに踊らされた人はごくわずかでも、それによって、当初は冷静だった人たちまで、困った事態になったのです。
そのあとで買いに走った人は、デマを信じていたのではありません。
ここを混同している人が多いようですが、「デマのせいでトイレ紙がなくなった」しかも「デマがいつ終息するかがわからない。どこかで買い占められているかもしれない」というのは、事実認識です。
デマは妄想ですが、事態は現実に起きました。ここが厄介なところなのです。デマによって事実が生じ、事実認識によって不安が拡大したのです。
そんな次第で、これが光の降臨だとわかっているスピリチュアリストも影響を受ける可能性はあります。
また、それと同時に、スピリチュアルが発するネガティブの話も、当ブログでは以前から予告しております。その点については過去記事をご参照ください。
S・Tは私ですら予測しなかった極端な例ですが、このようにネガティブを転嫁してくる人というのは、スピリチュアルを名乗る人にも多くいるのです。
また、本当にこれがスピリチュアルかと思うような、ネガティブで暗い予言をし、人心を怯えさせる人たちも、今後出てくることでしょう。
中には、本人が本気で信じている人たちもいるでしょうが、詐欺も多いのです。世界が不安に覆われるときは、霊感商法のかきいれどきです。
こういうのに引っかかる人は、そもそも真のスピリチュアルを知らない人で、にわかスピリチュアリストも多いのです。
そんな、嵐のような状況が、今後予想される中で、ただひたすら、光とつながり、輝いている必要があります。
気を確かに持って、この状況を進んでまいりましょう。こういうときこそ、まともなスピリチュアル指導が大事と思いますので、私も可能な限りのアドバイスをするつもりです。
この、世界の命運と個々の人生を分ける局面にあって、的確なスピリチュアル情報は少なく、的確なスピリチュアル情報はあっても、ではどうしたらいいかという、的確なスピリチュアル指導はさらに少ない状況です。的確な指導とそうでないものを判別するのは、ますます難しくなっていくのは間違いなさそうです。この現状の中で、高度な皆様のお役に立てる数少ない指導の一つとなるでしょう。
そしてその高度な方々が、世界の命運を左右するキーパーソンなのですから・・。
ともあれ、もはや光の享受は、受け身でどうなるものでもございません。あなたがそれを、パニックの種にせず、清らかな光として享受できるかは、あなた自身にかかっています。これは光の戦士がたよ、われわれの真価を問われるときでもあるのです。
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