自分を赦す(ゆるす) ということと 人のせいにする ということ 

地球さん
人のせいにしたり、批判をしたりすることは波動を下げる。だが、同じくらい波動を下げるのは、自分を許せないことである



光の皆様、いかがお過ごしでしょうか?

8月も終わりに近づいていますね。今月は私も盛んにログをしておりましたが、それだけ波動がせめぎ合いを続けているため、皆様の波動域の向上が重要になっています。


8月のライオンズゲート以降のログをお読みになってない方は読んでみてくださいね。似たタイトルのログが複数ありますので、順番にお読みいただければいいかと思います。

波動を上げるためには常に振動している必要があります。「緊急ログ」なんかに説明してありますが、その前のログも参考になると思います。

少なくとも、お読みになってる間は波動が上がると思いますし。

恐らくあなたがお考えになっているのより、はるかに、今のあなたのありようが、あなたの将来にとって重要な岐路にありますので、ログを続けて入れたわけなのです。本当に大事な時なので、意識的にご自分という場を振動させ続けましょうね。



自分を赦す(ゆるす) ということと 人のせいにする ということ 







波動が上がると言えば、ここ数日考えてたんですが、私が最も悩まされている憑依霊TS氏ですけど、あんまりひどい時はログする、ログすると波動が持ち直す、と書きましたけれど。

持ち直すというのは、波動が上がるって意味です。何で上がるんだろう? とふと考えました。

私が彼のふるまいにホトホト参っていることを書くのは、見ようによっては、批判ともとれるし、人のせいにしているようにもとれます。


ところで私は観念論や抽象概念を好みません。波動を上げる行動を好み、波動を下げる行動を好みません。批判はやめましょう、というのは、批判にハマって波動を上げられない人を見ているからです。


ですから、波動が上がるからには、自分がTS氏について書くのは、批判でも人のせいにしているのでもないことになります。では何なのだろう、とふと思いました。

まず、批判というのは、たとえば、自分がそれについて一見影響がないのに、そのことについてやけに批判したがる人がいます。

たとえばニュースなど見ていて、ああだこうだと批判する人です。私の知り合いにもいますが、スピリチュアルな人にも関わらず批判がやめられず、エンエン批判しています。その人が批判をしだすと、他の人も、あの人はああだこうだと批判を始めます。

スピリチュアル的に見て、まだまだレベルが低いとかいう批判も始まります。「私は明るい気持ちで生きてるけど、いつも暗い気持ちで、何でも悪く取る人がいますけどね。なんでだろうね。気にしなけりゃいいのに」とか、「感謝の気持ちが足りないよね」とか。自分は明るくてあの人は暗い、というたぐいの批判もよく耳にします。

別にその人に自分が何か被害に遭ってるわけじゃないようなんですが・・・。

で、どうしてこういう批判が波動を下げるかというと、批判することによって、自分の中のネガティブな波動のほうに照準し、批判している対象とシンクロしてしまうからです。


あと、もう一つあるのは、やはりスピリチュアル的に少しわかってきた人に多いんですが・・・、ある人が不幸な境遇にあると、「あの人、前世で何かしたんだろう」的な見方です。

この論に従うと、たとえば、レイプされた人に対しては「あの人は前世でレイプしたんだろう」と思います。一般的な人が、「レイプされる女性は、本人が油断してたんだろう」「自分が誘ったんだろう」と思う人が、かなりいますが、それと同じです。

そんな風に思っている人は、口には出さなくても態度が冷やかなので、すぐにわかりますね。





あと、スピリチュアル的な人で多いのが、「あなたが不幸なのは、今のあなたにはそれがちょうど合ってるからよ」的な洞察です。


私はこの「あなたの境遇はあなたに合っている」という言い方が、大嫌いなのですが。

自分のしたことが自分に返ってくる、的な言い方のほうがまだしもです。どこが違うのかとお思いかもしれませんが・・・。「合っている」って言われると、なんか余計に救いがないような気がするんですね。

不幸が合ってる人なんていないんですよ。本来は不幸と合うなんてことはないはずですからね。それはあなたの本来ではない、というほうが、正しいですよね。あなたの魂が、それを経験したくてしているんだろう、つまり一時的なもの、という見方のほうがまだ救われますね。

「合っている」という言い方する人は、ご本人は、「いや、一時的にという意味ですよ」と言うかもしれないですが、もしもそうならそういう言い方にならない気がします。

というのも、高度なスピリチュアル領域を、魂が知っている人というのは、人間というのが本来、いかに輝かしく、驚異的な存在であるかを「イメージ」できます。だからショボイ状態の人を見て、それが本人に「合っている」という言い方がピンときません。





最近では「自分でしたことが自分に返ってくる」という言い方も、あまり好きではありませんので、使わなくなりましたが。というのも、この考え方も、人によっては、不幸な人をさらに責めるよすがにしています。

その言い方が、責めるんじゃなくて、一時的なものだから気を楽にね、今だけだよ、手放すために出て来るんだよ、なら、いいんですけど、

責める材料にしているスピリチュアル初心者が、結構たくさんいる気がします。


世間の人が、「人は生まれ変わり死に変わる」ということを、いまだに信じてませんけど。上記のように、責める材料にされるんなら、信じてない方がマシとさえ、思えます。







すべては自分のせいであり、自分の問題である。つまり、被害者になるのは、被害者の側に問題がある。という考えかたですね。それが、スピリチュアル的には、「前世」という要素が入ってきて、前世で何かしたんだろう、という風にも言われる。

今の状態だけでもキツいのに、どんなだったかわからない前世のことまで持ち出されると、余計に救いがありません。



この、「すべては自分」と言う考えは、スピリチュアルの主流になっているようですが、

それは、王道というか、正論ではあるんです。おっしゃる通りなんですが、現実の、物質世界の状況として、それがゆえに、多くのスピリチュアリストがこれにヤられている気が、最近しています。




自分を赦す(ゆるす) ということと 人のせいにする ということ 




私自身の、懸案事項であるTS氏をはじめとするカルマ寄越しもそうなんですが。カルマ寄越しされるからエラい目に遭う、ということを、私はかなり頻繁に書いていますよね。そして、そう書くことによって、波動を回復させています。

なんでそれによって波動が「回復」するのか? 

それは、それによって自分の中の刷り込みと戦い、消す作業をしているからです。

実はそれって、批判とか人のせいにするのとは、真逆なのです。

だから波動が上がるのです。

どう違うのか、とてもわかりにくいと思うので、説明してみますね。




カルマ寄越しされると、前にも書きましたが、カルマというのは、その人のオーラを汚し、小さくしてしまいます。力が無くなったように、波動が下がります。

寄越した側のほうは、相手に転嫁してしまうんですから、輝き、大きくなります。

カルマ寄越しする人が、しばしば、「大物」とみなされるのは、これをしてるからです。大分前ですが、「本当の意味で、「運のいい人」になりましょう」の項で、説明しましたね。このところ当ブログをお読みになりはじめた方や、忘れちゃった方は、たまに、過去ログを読んでもらうと、参考になることがかなりありますよ。


TS氏は、スピリチュアル的には、周囲から一目置かれていて、大物みたいに思っている人も多いようです。私自身もかつてそうでした。それですっかり幻惑されました。

しかし私は、今も思い出すんですが、自分がカルマ寄越しをしたことはなくて、当初から彼に寄越されていました。それで、上記のパターンのように、余計に、彼を大物と勘違いしたのかもしれません。要するに過大評価したわけですね。

この時の観念がまだ、私の潜在意識に「刷り込み」されているのです。

私の守護霊も、霊体も、幽体も、幻惑されていて、まだ完全に脱却していません。これが、彼の憑依、侵入、カルマ寄越し、果ては、寄生虫のように、私の領域に居座ってカルマをまき散らし、私から光をもらい続ける、という事態まで引き起こしています。

私の中に、彼を過大評価し、あたかも特別に霊格が高いように錯覚する観念の「刷り込み」が、まだ消し切れていないんですね。それをよすがにして彼がやってくる、寄越してくるわけです。

私は別に彼をさげすみたいわけでも批判したいわけでもなく、自分にとって取るに足りない存在であることを、自分自身にわからせたい。彼自身がどういう存在であるか、という問題ではなく、私にとっては取るに足りない存在であり、このように、大きな存在となって居座られるには当たらないのだ、ということを、

自分の守護霊、自分の霊体・幽体といった、コントロールしにくいエリアにも、わからせないといけない。

なぜならそういう観念がPTSDとなって、果てしない依存を許しているからです。

ですから私はここに、カルマ寄越しは本当にひどい。彼は依存症だ、と書くわけです。

つまりそれは、批判というより、自分の中の彼に対する「過大評価」を消してしまうために書いている。彼が自分にとっていきずりの人という以外の何者でもない、ということを潜在意識にわからせ、自分の中の刷り込みを消す作業をしているわけです。



それは、もう一つには、私の中に、罪悪感があって、それも消そうとしているのです。


罪悪感というのは、彼を自分の相手と見誤った、それによってこんな事態に陥った、という痛恨の想いが、私自身を責めているのです。

私にとって、最も根深いネガティブは、この、「自分を責める」という罪悪感なのです。

私はこれも消したいのです
。人のせいにしているというよりは、もっと大きな問題として、自分を責めるという罪悪感を消しさるために、

つまり「自分を許す」ために、自分は被害を受けている、依存されて参っている、と書くわけです。


それは、責めるとか、人のせいにするのと、どう違うかと言いますと、

それによって、私は、TS氏のことに、いらだったり責める気持ちがなくなるんですね。

そうじゃない人もいますよ。つまり、相手を責める気持ちが膨らんでいくようなら、それは、自分に問題があります。

しかし私はそういう段階はもう卒業しているのです。相手を責めるというパターンには陥りません。


むしろ、カルマ寄越しがひどいと、相手を責めてしまう気持ちが膨らみます。

だから、寄越しているのは彼で、依存しているのも彼なのだ、ということを、自分にわからせますと、責める気持ちがなくなってきます。

相手が悪いのだったら、問題は相手にありますから、私がそれを問題にしなくてもよくなります。




カルマ寄越しを私が跳ね返せる時は、書く必要がないので書きません。でも、書かないと耐えられないくらいひどい時(ここのところずっとそうですが)は、こうして、書くことによって、ひたすら、自分を許し、刷り込みを消し・・・を繰り返しています。

もちろん、主として祈りや瞑想によってやっているけれど、あんまりひどいと書くんですね。



自分を赦す(ゆるす) ということと 人のせいにする ということ 






私が、皆様に、「カルマ寄越し」をされているでしょうが、それはもう引き受けなくていいですからね、と、再三書いて参りましたけど。

それも、同じ理屈なのです。

私は、「カルマ寄越し」によって、いかに、人が、自分自身を、卑小な存在と思わされているか、特にパイオニアスターシードや高度なワンダラーがこうしたメに遭っているか、

そして、そうしたメに遭いながら、スピリチュアリストたちの、上記のような観念、スピリチュアルであるがゆえに、何でも自分のせいと思わされてしまい、それによって、どんどん自分を小さくしてしまっているというケースが、自分以外にも多々見られるので、

その意味でカルマ寄越しのことを書いているのです。

それは、ハナから、何でも人のせいにしたり批判したり、といったパターンの人とは、もう、霊性の段階が違う人たちのことを想って書いているわけなのです。

なんでも人のせいにする、というパターンから脱却してない人の対処法ではありませんよ。

逆です。なんでも自分が悪いと思ってしまうパターンの人のための対処法です。


ただ完全に人のせいにしたりはしない、という人は少なくて、想いが混じっている人も多いとは思いますが、

それも、このようなカルマ波動、ネガティブ想念が荒れ狂っている世界では、無理もない状態だと思われます。






何より大事なことは、「批判」とは思い上がりであると同時に劣等感である、ということを知ることであり、

人を責めるとは、劣等感や罪悪感の裏返しであり、

その一方で、カルマ寄越しによって波動を下げられたとき、罪悪感も一緒に寄越されることが多いので、

相手を責めるというのではなく、罪悪感を払拭するという意味で、

カルマ寄越しも客観視できるようになったほうがいいと思います。


それによって、罪悪感を手放し、自分を許すのです。


意外に思われるかもしれませんが、

高度なワンダラーやスターシードにとって、もっとも大きなハードルは、「罪悪感」です。

そうでもない人にとってのハードルは、優越感や劣等感などです。

高度領域の人ほど、優越感や劣等感はあまりありません。


ただし罪悪感はかなりのものです。誇り高いワンダラー諸氏、スターシード諸氏は、誰かと自分を比べてエラいだの劣っているだの、という観念がほとんどない代わりに、

少しのことでも自分が許せません。だから罪悪感が最も強いのです。



私はこのブログをお読みの方も、ほとんどの方は、持っているネガティブの中で、もっとも罪悪感が強く、ハードルになっていると思っています。



自分を赦しましょう。

今あなたがキツい、辛い状態ならなおのこと・・・。

たとえば誰かにハラスメントされているのなら、それは、ハラスメントする人が悪いのです。

仮に過去世で何があったとしても。

あなたが、高度なスピリチュアリストであれば、

「ハラスメントは、ハラスメントするほうが悪い」

と、思うことによって、あなたが相手を責めるという心理に陥ることはありません。



ためしにやってみてください。

もし、あなたが相手を責める気持ちになるなら、あなたはさらに苦悩し、波動が下がるので、そこに問題がないことがわかります。

でもそうではなく、あなたがそれによって解放された気持ちになるのなら、それこそが、ハラサーの攻撃(カルマ想念である)が、効果的にあなたを、内側から壊している表れなのです。

相手が悪い、と思え、とは、

「自分で自分を責める必要はないのだ」と思いなさい、ということです。

自分を赦しましょう、ということなのです。

ですから、あなたがそれによって、つまり相手が悪いと思うことによって波動が下がったり、責める気持ちが大きくなるようなら、

それこそ、自分が悪いのです。

相手が悪い、と思うことで、相手のことはもう忘れて、自分がほっとできるなら、それは罪悪感からの脱却です。






あなたがもし今、八方ふさがりだったり、不幸だったりするなら、

それは、あなたが自分を不幸という状態から赦していないからです。

もう、いいのです。

その経験は十分にしたのですから、

自分を赦してあげてください。

あなたが即座に自分を赦せない時には、祈りやマントラで自分を振動させてみてください。

自分を赦すことがいかに大切か、だんだんわかってくると思います。



あなたが今、ヘロヘロの状態になったりしているのなら、余計に、あなたは、

周囲の人のせいにしろ、とは言いませんが、

何よりも、あなた自身の中にある「罪悪感」を消すために、

あなた自身のせいではないということを、あなた自身にわからせてあげてください。






自分を赦す(ゆるす) ということと 人のせいにする ということ 



  
   




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