奇跡を起こす意識と波動

階段





  
  
    
      

地球さん

 素晴らしい未来へのイメージを阻むネガティブを払拭することが奇跡につながる
  

   
  

高貴なる光の皆様。

このたびの春分の日の波動の降臨、素晴らしいものでございました。

久しぶりに、「世界がタイムラインを乗り換えた」と明快に言えるエポックポイントであったと思います。

皆様の力も預かって大きかったものと存じます。おめでとうございます。




世界が誰の目にも見えるまでにはっきりと変貌する前に、波動が世界の変化をすでに示しています。


今回、特に注目すべき変化は、「タイムラインの乗り換え」の「乗り換え幅」とでも言ったものが、大幅に大きくなったことと申せましょう。

この機を境に、世界全体の持つ「意識」も変わった事を、現在、はっきりと捉える事ができます。

現時点で具体的に私が捉えているのは、他の惑星の宇宙人さんがたを受け入れられるだけの’心の準備’に向け、地球人全体の意識が、著しい進捗を見せたことです。

先日TVに登場したダリルアンカ(バシャールさん)が、人々は15年後には宇宙人の存在を当り前のように認識するだろう、と言っていますが、今の上昇のペースが続くならば、認識する以上の事が起きても不思議ではないほど
です。



美しい光の戦士がた──まったきもって素晴らしい方々、皆様が高度に振動していればいるほど、それを如実に捉え、速やかに運命を変えてゆくことができましょう。

このたおやかな春の変化・・・好もしいと思う方、いやもっとダイナミックな方がいいですけど! と思う方、様々いらっしゃるでしょう。



例えて言うなら、しばらく水を飲まずにいて喉がからからに乾いている所に、冷たい水を一気に飲み干すと、何とも言えない爽快感があったりしますね。

一方で、しょちゅう少しずつ水分を補給していますと、喉が乾いて苦しいということはないけど、乾いた喉を一気に潤すあの気持ちよさは味わえません。

現在私たちがいるタイムラインは、その中間と言ったところです。あまりダイナミックすぎても大変ですから、大半の人にとっては好もしい線なのかもしれません。何しろ昨年の災害程度で──程度というと何ですが、かつて想定された壮絶な道筋に比べればあれでも遥かに穏やかな程度で──大パニックでしたから。ダイナミックが好みの豪胆派には、物足りないかもしれませんが・・。

(余談ですが、水を常に沢山飲むのが本当に健康にいいかどうかは議論の分かれる所です。物質地球の一般的な水は波動も高くないのですが、波動を持ち出すまでもなく、医学的にも否定的な専門家もいるようです)



ただし、いつものごとく、まだ不安定な面もございます。このような際立った好機に、乗ったばかりのタイムライン、ともすれば、わずかなネガティブによって踏み外してしまうケースは、これまでも、多くのスピリチュリストが、一再ならず経験しています。


しかし今のように目覚ましい波動上昇局面であれば、このタイムラインを維持するのは、以前よりはより容易になっているし──、

今後どんどん各ライムラインが乖離していく局面にあるだけに、折角乗り換えたタイムラインを保つことは、ますます重要となります。

この機に祈りやマントラを途切れさせないよう努めることは、ご自分が今乗れている新たなタイムラインを、より確たるものにするでしょう。



  


双葉 奇跡は起こせるのか





ところで前回の記事はエポックポイントのカウントダウンの記事でしたが・・・、

いつものことですが、私はエポックポイントの記事にカウントダウンとマントラだけ書くわけではありません。お読みでない方は改めてお読みになっておいてくださいね。



さて、いよいよ高まってくる波動局面だけに、いずれは高度な道筋を見定めていく必要が生じてまいります。もっともそれはそうしたい方だけですが、当ブログの読者様なら大半はそうでしょう。


波動の高まる世界は、より好ましく、より快適になっていきますが・・・、

この次元世界からの次元上昇──三密度世界から四密度世界、すなわち四次元から五次元に上昇──というのは、それ以上の次元での次元上昇、──たとえば五次元から六次元に昇格するなど──と比べますと、非常に大きな、世界がひっくり返るような変化であります。

(ちなみにこの世界は三密度世界または四次元世界となります。呼び方について混乱している人が多いとバシャールさんも言っていますが)



世界の上昇とは、すなわち「あなたがその世界に行く」ということを意味します。

一つ注目すべき点としては、誰であれ、その世界をイメージできない世界に行くことはできないということです。

人はイメージできることは全て実現できますが、その逆も真なりなのです。


あなたが、あくまで次元上昇後の世界をイメージできないとしても、それに至る前に肉体を離れてしまうようなタイムラインにいるのであれば、それはそれほど悩ましい事ではないかもしれません。

恐らくは100年くらいかけてなされるアセンション世界・・・私はそれを「ちんたらアセンション」などと呼んだりしてますけれども。



まあ、本当言うと、そんな私たちも、見ようによっては「ちんたら組」かもしれません。すでに地球がアセンションしてしまっている世界もあると言いますから。

そんな、地球アセンションの中でも超先端を行く世界にどれほどの人類がいるのか思いめぐらすより、今いるこの世界の中で、アセンションの先端を行く私たち光の者の道筋について、考察してみましょう。



ここでちょっと知人の事を例にとりたいと思います。本人には断っていませんけど、特にプライヴェートに立ち入った事でもないので・・・。

その人はスピリチュアリストで、祈りの会の同志です。(当ブログのことは以前は読んでいただけてたようですけど、今はお読みではないようです。)

頭がよく、スピリチュアル情報にも長けており、熱心な祈り人で波動も高い。興味深い話をなさるので話していて楽しい方です。

・・・がその一方で、少々憂鬱になることもあります。

それは私の憂鬱というより、そもそもはその方自身が抱えている憂鬱、すなわちネガティブ想念なのです。

おしゃべりしていると、楽しい一方で、時にどうしようもないくらい大量のネガティブが、その人から黒い泡のようにモワモワと湧いてきて、それがこちらに襲いかかってくる。そうした例は、彼に限らず時折あるのですが、その典型的なタイプと申せます。

私の観察では、スピリチュアリストの中でも、波動レベルが低い人より、むしろある程度波動レベルが高い方に、そういう人が多い気がします。

ある種、あらたな局面に来ているのでしょう。




高度な素養を持つスピリチュアリストは、祈りやマントラなどのツールを用いて光を取り入れることができます。その一方で、ネガティブを手放すことについては苦手な人が多いのです。



上記の方の場合、ネガティブの大半は頭の良い人にありがちな批判精神のようです。世界の理不尽な事がいちいち目につくのでしょう。

私も同調する時はあるんですが・・・とはいえ、彼のネガティブは根深く、話したからといって消えるわけでもないようで(むしろ話せば話すほど増幅するようで)、それが少々困りものです。

でもまあ、考えようによっては、こちらに寄越すだけでそれだけ大量なんですから、ご本人はもっと困っているのかもです。

といっても、ご本人は意識してないのかも・・・と、先日までは思っていました。今の自分に満足してそうに見えるので。

しかし先日話していたら、どうも、無意識か意識的か分からないけど、どこか行き詰った状況にあるのを打開したいと思っているのかな、とも思えました。

その一つが、奇跡の話です。


その人によると、一般の、何も気づいていない人々に、スピリチュアルの素晴らしさを、はっきりと目に見えるかたちで示せないのが悔しいのだそうです。


それはこれまでのその人の話を聞いていた身としては少々意外でした。というのも、確か以前はこの肉体世界での人生を変えられないまま肉体を離れても、役割を果たしたことで満足している口振りだったので・・・。

私にはそれが、新たなステージに昇ろうとしているのに、その道筋が見えてこない苛立ちのようにも思えます。


  



双葉 奇跡を起こすとは、イメージすること





読者の方の中にも、そんな思いをお持ちの方、いらっしゃるでしょうか?

私がもう一つ意外だったのは、その人が人々に見せたい奇跡というのが、たとえばナザレのイエス師が、生前起こしていたようなことらしいということで・・、

つまり、自分では奇跡は起こせないというか、奇跡は自分が起こすものではないと思っているように受け取れたことです。

この、一般的に奇跡と呼ばれるものについても、「何かの現象を待っている組」と、「自分で何かを起こしたい組」に分かれるんでしょうか?


でも・・・

一歩引いて、視野を広げて考えてみますと、それが、実はどちらも大差ないことに気づきます。


ちょっと例を挙げてみましょう。


●ナザレのイエス師が、半身不随の人に触れたら、立ち上がった。


●サイババ師がちょっと手を振ったら宝石が現れた


●プロも参加する権威ある歌のコンテストで、ちょっと上手いだけの素人なのに優勝した


●趣味程度の手芸で年収数百万を得るようになった




それぞれ違うと思うかもしれませんが、どれも奇跡と言えます。

それは、一つには、どれも「そんなん、ありえへんやないかーい!!」と思われることが起きた、という事だからですよね。



でも・・・皆様は、上の二つと、下の二つは、違うように感じるかもしれませんね。

というのも、上の二つは、神のごとき人(あるいは人の姿をした神)が、一見不可能な事を可能にした事で、

下の二つは、その人、その本人が、一見不可能な事を可能にした事だから。


でも・・・、

実は、どれもみな、同じなのです。


どういう意味で同じなのか?


二つの点で同じです。それは・・・




1.そもそも本来、不可能でないから、可能だった。つまり、奇跡といいつつ、起きるべくして起きた科学的な事だから

2・どれも、本人が起こしたことだから




優れたスピリチュアリストである皆様方にとって、1.は納得される方も多いでしょう。でも、2.のほうはどうでしょう?



光の皆様、でもそうなのです。

この記事の、冒頭に掲げたイラストを、再度見てみてください。

天に向けて昇って行く階段があります。が、それを昇り切ったところで、階段が途切れていて、それ以上に昇れません。


それは、階段がそこで途切れてしまい、その先が無いからではありません。

昇って行く人が、その先の階段を、イメージできないでいるから
なのです。




光の皆様。まさにそれこそが、私たちが進んでいる道筋なのです。



すなわち、階段を上ることが困難なのではありません。

困難なのは、階段をイメージすることであり、イメージできないので昇れないのです。あなたがもし、容易に昇っていける階段を思い描けさえすれば、昇ってゆくこと自体は簡単なのです。





上記の、4つの奇跡の例も同様なのです。


面白くなってきたでしょう? 次回に続きます。








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