いかに降臨の神が奇跡を起こしても、それを信じられない人にとっては奇跡ではない
※先日から、ソーシャルボタンがおかしくなっていまして、表示されなかったりクリックするとエラーが出たりするようです。
このブログサイトでは前にもソーシャルボタンのエラーがあって、いいねのカウント数が全部消えてしまったりしています。その際改善を頼んだのですが、直ってなかったのかもしれません。フェイスブックのシェアボタンが機能しない場合は、ツイッターでシェアしていただければありがたいです。
高貴なる光の皆様、いかがお過ごしですか?
4月4日のタイムゲートはいかがでしたか? 光の降臨を享受できましたでしょうか。
春分の日のパワフルな降臨でタイムラインは明らかに向上しました。それに伴って、抵抗するネガティブ波動にストレスも生じます。タイムゲートの恩寵は、上昇した新たな波動世界へと持直すよすがであり、波動的なケアにもなってくれました。
私も抵抗波動の寄せ返しでストレスが多く、当日はなかなか波動の降臨が観ぜられないほどでしたが、やはりパワフルな時だけのことはあって、やがてそれらを跳ね返してくれる波動が降りてきてくれ、息をつくことができました。
常から祈りやマントラに専心している方であるほど、少し意識を照準するだけで、この恩寵を得られたことと存じます。
思えば、昨年の大災害──私の場合、物質的な被災はほとんどなかったものの、波動的には被災したと申しましたが──、あの時のすさまじいネガティブ波動に翻弄されたせいか、当ブログも読者を減らしました。
しかし今年の波動の様子を考えると、むしろそれで良かったのではないかと思います。あの程度で離れていく読者なら、それは相当なネガティブを抱えていたことだろうし、その人達を全てフォローできるほど、私にはまだキャパがなかった、ということなのだろうと。
残ってくれた人や、少し加わってくれた新たな人達の波動が頼もしく、私もそれほどのフォローをせずに済んでいる、ということなのかもしれません。
しかしながら、いえそれであればこそ、当ブログで最終的に目指している臨界点の突破については、じっくり腰を据えて、順々に進んでいくのが得策とも思います。昨年は、世界の波動状態がまだ未成熟であるのに、私が少し先走りしすぎて、マントラなど紹介しすぎたのかもしれません。
一昨年、昨年と綴ってまいりました財と富の神のシリーズは、すなわち、私が、一度書きかけて断念した、潜在意識の変革の項でもあります。このテーマはある意味同じものを目指しているわけです。
しかし潜在意識の項では、書き始めて、次を書こうと下書きを進めていたのに、ネガティブの湧き上がりが凄くて、続ける事ができませんでした。
財と富の神のシリーズも、ずっとリアルタイムでお読みだった方はお分かりと思いますが、一昨年は、書くたびにネガティブの湧き上がりがあり、記事を非公開にして閉じてしまったりしましたね。昨年も、マントラでそうした事がありましたが・・・。
私が、もう書いていいだろうと、ちょっとペースを上げようとすると、そんな具合で、抵抗勢力が凄いのです。それでも構わずに進めていたら、恐らく読者の方も、理解するより前にネガティブが湧き上がって、読むのが嫌になってしまったでしょう。
抵抗勢力というのは、「いやー抵抗勢力すごいな!」と分かるなら、まだしもなのです。
それ以前に、読む気がしなくなる、なんだか嫌な気分になる、といった形で、つまりあかたも、読者の皆様自身が、「自分の気持ち」と錯覚するという形で、ネガティブな心理状態にさせ、上昇から離れさせるという──つまり内側からその人の心理をネガティブな方向に向けさせるという、巧妙な攻撃をしかけます。
私の方は、それがネガティブ想念波動だと認識していますが、その私も、かつては心理攻撃に遭い、祈るのが嫌になったりしたこともあったので、
あまり先走りして、核心に触れる内容すぎて、ネガティブが湧き上がったとき、構わずに続けていると、私が暗黒波動に襲われるだけでなく、読者の方々にとっても、かえって回り道になると思われるのです。
といった経緯も踏まえて、今これを書いています。一昨年も昨年も、その時点ではもう言いたいことは書き終えた、と思うのだけど、皆様の波動の様子を観じますと、ここまでのレクチャーをすっかり身に付けた方はごく一部であると思い直します。
ですので、今年は、少し別のアプローチをしてみたいと思います。古い諺にも、「急がば回れ」というのがありますね。色々な角度からセオリーを説明し、踏まえていっていただいたほうが、結果的には近道だと思います。
当ブログが目指している頭上の壁の突破というのは、人類史上、成し遂げた人は数えるほどしかおらず、そのほとんどは、非常に高度な惑星から来たスターシードか経験豊富なワンダラーです。(もしくは降臨の神が入り込んだ人かもしれません。)
ただし今は、これまでとは違い、世界の波動的なアドバンテージが、未曽有の勢いで上昇側に以降していますから、その波に乗れば、私達にもそのチャンスがある、という、かつてない好機に恵まれた時代です。それであっても、成し遂げるのは険しい道かもしれませんが。
でも、それだけに、急ぐのはいいが焦るのは禁物です。そうしたわけで、色々な角度から皆様の意識に変革をもたらせるような話を、書いていきたいと思います。
成し遂げられなかったらどうなるのか、という心配はご無用です。(そもそも心配は暗黒波動の食べ物です。彼らにエサを与えないようにしましょう)
アセンションを成し遂げるタイムラインは無数にあり、高度なものに乗れば乗るほどいいので、こうしてレクチャーしているわけなのです。
何がどういいのかは、これまでも繰り返し説明してきました。その醍醐味や、カタルシス、アセンションする過程の鳥肌ものの面白さ、楽しさが、上位に行くほど跳ね上がります。でも、どのタイムラインでも、あなたがこうして上位に意識を向けて、祈りやマントラで波動を上げることに努めている、という、その動的な状態が、あなたのアセンションを維持します。
人間にとって(もっと本質的には宇宙にとって)、維持とは停滞した状態ではなく、動的な状態でしかありえず、常に変化している状態がニュートラルなのです。どちらの方向に変化しているかが重要となります。
実はこの記事を書いている今この瞬間も、波動が重いのです。書き始めて一週間以上経ちます。このテーマ、私が目指している、皆様に実現していただきたいテーマが、かなり波動的に重く巨大な岩をひっくり返さなければいけない事の証左だと思います。
だからこそ焦らず、ゆったりした気持ちでこのテーマに臨んでいただければと思います。目指している所は高く、しかしどの地点であなたが断念しようと、それで失敗したということにはなりません。あなたがその気になりさえすれば、あなたにとって、不足ないだけの波動域が、そこに開けているということです。
・・と、冒頭から少し四角張った話になりましたが、そうしたことを踏まえまして、
前回に引き続き、奇跡についての話をしてまいりたいと思います。まあ、肩の力を抜いてまいりましょう。
サイババ師の奇跡を例に考えてみましょう
前回の記事をお読みでないなら、そちらからまずお読みくださいね。
前回から奇跡についての考察をしていますが・・、今回はサイババ師の逸話を例にとって話を進めます。
とはいえ、先に断っておきますと、サイババ師を信奉しましょう、という話ではないですよ。
いつも言ってることですが、私にとっては生涯の尊師すなわちグルーですが、皆様にとってもそうですよとは申しませんので。
ただ、私が知り、体験した唯一の降臨の神でありますので(同時代に他に降臨の神がいた話も聞きませんが)、奇跡の話となるとエピソードには事欠きません。
その中で、皆様の意識の変革に関わる話をしてまいりたいと思います。
大分前ですが、サイババ師の事が日本でも注目の的になった時期がありました。
彼が空中で手を少し回すと、白い粉のようなものが出現する、ということも有名でした。
彼は他にも数々の「奇跡」と呼ばれる事をしているんですが、この粉(’聖灰(ビブーティ)’と呼ばれます)を手から出すというのが、彼が起こす奇跡の中で一番ありふれていて、有名なものだったと思います。
奇跡と呼ばれるのは、もちろん「ありえない事」とされている事をするからですよね。
あるTV番組で、サイババ師を取り上げたさい、そんな事があり得るのかを、さる物理学者に尋ねる、という場面がありました。「専門家」に意見を聞く、というのです。
するとその年配の物理学者はこう答えました。
「仮に角砂糖一個作り出すのでさえ水爆クラスのエネルギーが要るんですから、ありえません」
失礼ながら、私はその時、専門家に尋ねると言って物理学者に聞く方も聞く方だが、答える方も答える方だ、と思ってしまいました。
この物質世界の一般的な常識として、空中で手をちょっと回しただけで何かが出現するなんて事はあり得ない、とされている事くらい、小学生でも知っています。そもそも「あり得ない」という前提だから、奇跡だ、いや手品だと騒がれるのですから・・。
答える方も答える方で、「角砂糖には水爆クラスのエネルギーがある」だから「あり得ない」というのも何ともおかしな話です。
水爆どころか、必要とされるのがその一千分の一のエネルギーであっても「あり得ない」ことに変わりはありません。
しかもそのエネルギーが仮にそこにあったとしても、それだけで物質を出現させられるわけでもありません。もしこの三密度世界だけの科学で、物質を空中から出現させるとなったら、必要とされる作用機序を踏襲できるだけの、何らかの装置が必要になるでしょう。
つまりその科学者の発言は、論理的な筋道が立っていないと言わざるを得ません。「そんなこと私に聞くまでもないでしょう。小学生でもわかりますよ」と一蹴したほうがまだしも筋が通っています。
私はときどき、一般的な科学者の方々が、非常に精緻な頭脳と豊富な知識を持ちながら、なぜ非論理的な人が多いのか、首を傾げる事があるのですが、その典型的な例と申せましょう。
こうした例は、科学者のみならず、多くの知識人に見られるのですが、彼らがなぜか非論理的な思考をする時には、ある種のパターンがあるように見受けます。
サイババ師が行う奇跡への考察など、その典型例と言えるでしょう。
ちなみにですが、「水爆クラスのエネルギー」という例え自体は、参考になる面もあります。その莫大なエネルギーは一体どこから来るのか、考えるとちょっと面白いですよね。
そちらに話がそれてしまいそうなのでやめておいて、尊師は他の超常現象も数々起こしてるんですが、瞬間移動もその一つです。
Aという場所からBという場所に、ありえない速度で移動する、というやつです。例えばインドからアメリカへ、とかですね。彼はそんな事も時々やっていたようです。ある地点から空中に消え、別の地点で空中から現れるわけです。
空中から何かを取り出すのも、瞬間移動も、「ありえへんやないけー!」なわけですが、同時に、マジックのネタとしても、皆さんおなじみだと思います。
サイババ師だけでなく、ひところ、超常現象の番組が流行ったんですが、その一つで、空中から物質化や、瞬間移動を、マジシャンがやってみせる、という企画もときどき見られました。
すると、そこにいた懐疑派の一同が、「そら見たことか」とドヤ顔になり、やっぱりサイババ(を含む超能力者たち)は手品だった、と納得したんですね。
「え? 何で?」と思いながら見ていますと、肯定派の人が、「手品でできるからって、彼ら(超能力者)が手品でやったとは限らないからね」と言ったのです。
「ウンそりゃそうだ」と思ったんですが、懐疑派の反応が印象的でした。「はあ? 何言ってるの? 言ってる意味がわかんないよ!」と、不機嫌な口調で反駁したのです。
奇跡に対する反応が、その人の波動の段階の現れである
皆様はどう思いますか?
私個人は、「マジシャンが手品でできると分かったからって、超能力者が手品でやったという証明にはならない」と思います。
どう考えても、それが論理的な解答だからです。でしょう? つまり、手品でできた、は、何の証明にもなりません。一つのやり方を示したにすぎません。
それによって、その本人がやったことがインチキとか手品とか証明されたことにはなりません。
仮に、ある超能力者がインチキで詐欺だったとしても、他の全ての奇跡現象がインチキということにはなりません。
と申しますか、インチキとか詐欺であるなら、マジシャンが手品でやって見せなくてもそうです。
これは、その逆も言えるということです。仮に、マジシャンが手品でできなかったとしても、だからインチキではない、という証明にもなりません。
つまり、インチキだと思う人にとっては、それは、どんな証明も関係なくインチキで、マジシャンがいちいちやって見せる必要などありませんし、やったからといって、どちらの意味でも証明にならないわけです。
では何のためにやるのかというと、ある種の気休めなのではないかと思われます。
つまり、それが真実だなどということは、彼らは到底受け入れられないのです。そんなことがあり得る、という事を、受け入れる脳の状態に、なっていないのです。
そうした人にとっては、空中から何を物質化して出そうが、インドからアメリカに一秒で行こうが、それは手品であり、他の解答などありません。
自分たちの観念を裏切るような事象に出会った時、人は、何かで思考に折り合いをつけずにはいられないのです。そこには論理の入る余地はなく、「論理もどき」が彼らを納得させ、「やっぱり超能力なんてないんだ」と、安堵の息をつくのです。
これは、手品のような事象でなくても、同じです。
サイババ師は、イエス師の再臨と信じる人もいますが・・(それは多分違うと思いますが)、イエス師において伝説となっている奇跡の逸話、半身不随だった人が、彼の元に行ったら歩けるようになったとか、難病が消えてしまったとか、そんな話がサイババ師にもいくつもあります。
しかし、懐疑派の人は、それを事実として受け入れる段階に達してはいませんので、嘘だ、ヤラセだ、詐欺だ、と断じます。
また実際に詐欺でそういうの、ありますからね。やらせとかサクラ、そんなのが大半でしょう。サイババ師のこともそうした連中と同一視するわけですね。
これはおそらく、イエス師がナザレのイエス肉体人間として生きていた時代でも、同じだったかもしれません。
彼を処刑した人が、彼の起こした数々の奇跡を、信じていたかと言われれば、信じていなかった人も多いのではないでしょうか。
その人達は、人心を惑わす詐欺師として、イエス師を本気で罪人だと思っていた人もいたかもしれません。いずれにせよ、あまりにも人気がある聖者は、人々を支配する政治家にとっては脅威でしょうが・・。
しかし、もしもイエス師が本来どれほどの人物か分かっていたなら、処刑するなんて、全身が粟立つような恐ろしい真似ができただろうか、という気もします。
彼らはイエス師を処刑することこそが、正しいことだと思っていたのかもしれません。
それは、現代の人が、奇跡現象やスピリチュアルを似非科学と断じるのと同様の心理です。本人達にとっては、それがもっとも’良識的な’答えなのかもしれないのです。
つまりそれは、個々の人々の内面の問題です。
それは、彼らが思い描く、彼らの世界なのです。
その世界では、どのような奇跡を起こしたとしても、奇跡とはなりません。
前回記事で少し触れたように、現状の、スピリチュアルに全く与しない人たちに、何とかわかってほしいと思っているスピリチュアリストは一人ならずおられるでしょう。
ですが、奇跡で彼らを驚嘆させて、スピリチュアルに感服させる、というのは、かなり困難だとお分かりでしょう。
と申しますか、むやみやたら信じてしまう人も困りものです。実際に詐欺も多い世界ですから。
そもそも、奇跡をおいそれと信じない人というのは、むやみに信じてしまう人よりは、魂の経験が上かもしれません。
そうした、一見「良識的な」段階から、さらに進んで、奇跡を現実と認識するには、どうしても到達しなければならない波動の段階があるということです。
少し長くなりました。あなたの脳が息切れしそうなので、続きは次回に譲りましょう。
※当ブログは現在の所フリーのブログサイトの為、出てくる広告はブログ本文の内容とは無関係です。
※現在ソーシャルボタンに関して、原因不明のエラーが発生しています。特にフェイスブックが機能しないようです。その場合は他のSNSでシェアしていただけますと有難いです。
※このブログはチップサイトへの応援をお願いしております。
詳しくは こちら をご覧ください
(↓注釈が重複表示される記事がありますが、ご容赦ください)
※当ブログは現在の所フリーのブログサイトの為、出てくる広告はブログ本文の内容とは無関係です。 ※当ブログはリンクフリーです。ただし、記事本文の転載については、こちらのルールをお読みください。
※現在ソーシャルボタンに関して、原因不明のエラーが発生しています。特にフェイスブックが機能しないようです。その場合は他のSNSでシェアしていただけますと有難いです。
※このブログはチップサイトへの応援をお願いしております。
詳しくは こちら をご覧ください
(↓注釈が重複表示される記事がありますが、ご容赦ください)
※当ブログは現在の所フリーのブログサイトの為、出てくる広告はブログ本文の内容とは無関係です。 ※当ブログはリンクフリーです。ただし、記事本文の転載については、こちらのルールをお読みください。